第三話 ポム・ド・ノワール(2)
注文していたチーズタルトと紅茶が店員によって運ばれてくると、ヴェーチルの表情がみるみるうちに輝き始めた。
食べ物を前にする彼の姿は、まるで純粋無垢な少年だ。
一口食べた瞬間、ルーアの身体にはとろける酸味と甘さが染み渡った。
たとえお腹が減らなくたって、美味しい事実は変わらない。
「……ああ、美味しかった」
すぐにヴェーチルの満足そうな声が聞こえて、ルーアは驚いて彼を見た。
「よくそんな飲み込むように食べられるな。味わっているのか?」
アルジントが淡々とした調子で、ヴェーチルの皿を見る。
「美味しすぎて。もちろん、ちゃんと味わって食べているよ」
ヴェーチルが困ったように笑いながら、ナプキンで口元を拭った。
「……そっか。じゃあ、この流れは俺の番だよね?」
――え?
「ルーアは初めて聞くと思うけど、俺の死因は餓死。生前はまともに食事をもらえなかったから、食べ物があったら見つからないように急いで食べていたんだ。そのせいで、早く食べる癖がついちゃったんだと思う」
ルーアの身体の動きが止まった。
ウェリティやアルジントが事件に巻き込まれて亡くなったと聞いていたため、ヴェーチルのことも勝手に同じような死因を想像していた。
「俺は自分が死者だと知ったのは、この学校に入ってからなんだ。……というのも、たまたま学校でウェリティ先生とアルジントに声をかけてしまって、それから知ることになって。ルーアも状況が似ているよね」
ヴェーチルの言葉に応じるように、ルーアは小さく頷いた。
「俺は、今こうやって皆といられるのが楽しいんだ」
ヴェーチルは穏やかな瞳で、空になった自分のタルト皿を愛おしそうに見つめた。
すると、突然アルジントが店をぐるりと見回した。
ある一点で彼の視線が留まり、その先にはタルトを運んできてくれた店員とは別の店員がいた。
「目が合ったな。おそらくあの女性は死者だ」
「確かに、彼女はこちらを見ていたわね。きっと死者なんでしょうね」
ウェリティの言葉はあっさりとしていた。
「こういう時、どう対応するのが正しいんですか?」
アルジントの灰色の双眼がルーアを真っ直ぐに捉えた。
「これ以上の関わりを持たない。それが正しい対応だ。闇雲に声をかけることは、誰の得にもならない」
「でも、アルジントには、死者と生者が見えている……。それって、どんな風に見えているの? だって、困ることだってあるでしょう?」
「両方いる場所では、死者の視覚が優性になる。だから、君たちの見え方とそれほど違いはない」
アルジントが懐から財布を出すと、そこから金貨を一枚取ってテーブルの上に置いた。
それを自らの手で払いのけると、金貨は甲高い音を立てて床へ転がった。
その音は店員や客らの視線を釘付けにし、慌ててやって来た店員が金貨を拾ってこちらに差し出す。
「どうぞ。三人のどなたか、こちらを落とされていませんか?」
店員の視線は最年長のウェリティに向いている。
「ええ、ありがとう」
にっこり笑顔で受け取ったウェリティは、店員が去ってからそれをアルジントに渡した。
これがルーアにとっての死者の謎を一つを解決させた。
死者の所有物は死者が持てば生者に見えない。でも、それが死者の手から離れた瞬間、生者には見える――。
「つまり、物はそれを持つ側の視覚に偏る。建物も同じ原理だ」
アルジントは口元にわずかに笑みを浮かべると、背もたれに寄りかかって腕を組んだ。
「三人に一つ提案したいことがある。死者になった者の共通点は何か必ずあるはずだ。ウェリティの持つ『死亡者名簿』に記載のある人物に、僕たちのような死者がいる可能性がある。それを調査してみてはどうだ?」
かなり根気のいる調査になることは間違いない。
ウェリティは少し気まずそうに口を開いた。
「アルジント。でも、私の『死亡者名簿』は牧師さんがくれたものだから、書かれている期間は限定的なのよ」
「構わない。僕は、牧師がウェリティに書物を託す前までの出来事こそ重要になると勘繰っている」
ウェリティは納得したように頷いた。
「でもさ、死者がいる場所なんて分からないよね?」
ヴェーチルが訊いた。
「ああ。だから、ラザーニ校の中をまず見て回る。ヴェーチルやルーアとの出会いもそこだから、他に死者がいる可能性もあると考えている。ただ一つ勘違いしないでもらいたいのが、僕は死者を仲間にして声をかけるつもりはない」
「いいわ、それならやってみましょう」
ウェリティの言葉に、ルーアとヴェーチルも頷いた。
帰り際、ルーアとヴェーチルは持ち帰り用の菓子を一つ注文した。
それぞれの帰りを待つ家族のために――。
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