第二話 リード牧師について
レイクの店を出て、ウェリティはアルジントとともに地下研究室へ戻るところだった。
民家に繋がる裏口の扉を開けようとして、その直後、背後から少年の声が呼び止めた。
「アルジントさん!」
騎士団学校の生徒、ジェインだ。
アルジントは振り返ると、自ら歩み寄っていく。
「場所が分かって良かった。あれから状況はどうだ?」
ジェインは暗い表情だったが、かろうじて笑みを浮かべるだけの気力はあるようだった。
「うん、思ってたより普通だよ。レーンさんは何も疑問を持たずに普通に過ごしている。……どっちかと言うと、僕の方が心の整理ができていないかも」
「整理できなくて当然だ。レーンのことはこっちで引き受ける。今日はそれを知らせに来てくれたのか?」
ジェインはそろりと目を逸らした。
「あ、えっと……。それもあるけど、もう一つ大事なお知らせがあって。……その、カーター・マルサスが死んだんだ」
アルジントが小さく息を飲むと同時に、ウェリティがぴくりと反応する。
「……ジェイン。その話、もう少し聞かせてくれる? 立ち話じゃなくて、できれば地下研究室で」
「――うわあ、すごい、研究室だ! ここでサラも研究してたんだよね?」
ジェインの純粋無垢な反応に、アルジントとウェリティは顔を見合わせて苦笑するしかなかった。
「ジェイン、念のために言っておくが……。ウェリティはここで殺されたんだ」
アルジントが落ち着いた声で伝えると、ジェインはぎくりと後ろめたいことでもあるかのように目を泳がせた。
「あっ、ごめんなさい……。気が回らなくて……」
アルジントは若干眉をひそめて、ジェインを見据える。
「何か知っていることがあるなら言ってくれ。僕たちは君を信用している」
ここに逃げ場はないとでも言わんばかりに、アルジントが視線をまっすぐジェインに向けた。
「う、うん。……僕はレーンさんが殺された後、死者になって蘇ったことを父さんに話してみたんだ。そしたら、父さんが諦めたみたいで色々と説明してくれたんだ」
まるで何か悪いことをしてしまったかのように、ジェインの顔色が悪い。
「色々ってなんだ?」
「……うん。悪魔に殺された人間について、父さんは分かる範囲で記録しているらしいんだ。僕も見せてもらったから間違いない。悪魔が関与していると、殺人なのに痕跡がほぼ残らないから、逆に分かりやすいんだって言ってた」
ウェリティがジェインに顔を近づけるようにして訊く。
「じゃあ、もし分かれば教えてくれる? ……そこに私の死は記されていた?」
ばつが悪そうに顔を歪めたジェインを見て、ウェリティはその答えを確信した。
身体を元に戻すと、余計な心配は御無用とでも言わんばかりに、腰に手を当てて開き直ったように笑みを浮かべた。
「それを知ったからと言って、今さら何もしないわ。私はね。死んだことで分かったこともあるし。まあ、アルジントがどうするかは分からないけど」
ジェインが少し安心したように頷いた。
「わ、分かった。ウェリティさんの意思を尊重すべきだよね。……確かに、そこにウェリティさんの名前を見つけたよ」
その瞬間、アルジントの顔がジェインの方に向けられた。
だが、ウェリティは何も知らない風に、ただ腕を組んで無機質な天井を見上げる。
「やっぱり、私は悪魔に殺されたのねえ。じゃあ犯人はイルバ・マルサス?」
「……父さんの記録によると、そうみたい。アルジントさんと同じ」
「やっぱりね。ちなみに、イルバ・マルサスを殺したサラは、他にも誰か殺しているのかしら?」
「確か、もう一人いたよ。でも名前は分からないのか書いてなかった。僕も全部の頁に目を通したわけじゃないけど、印象が強かったものは覚えてるから」
言いながら、ジェインの視線は机上の『死亡者名簿』の方へ移っていった。
「ねえ、その本って、爺ちゃ……僕の祖父が書いた本だよね? いつもらったの?」
ウェリティは机上の『死亡者名簿』を手に取った。
「八年前。本はいくつかあるけど、この『死亡者名簿』には、八年前までの死亡者データが手書きで書き込まれているのよ」
「それ、僕も見ていい?」
「ええ、あなたのお祖父さんが書いたものだし。でも、見たくないものを見ることになるかもしれない。それでもいいの?」
「……うん」
ジェインは受け取った『死亡者名簿』を椅子に座って広げると、一ページずつめくり始めた。
時々物悲しげな表情を見せながら、頁をめくる手は動いていく。
途中で何気なく裏表紙を確認した時、ジェインの手が止まった。
最後の方のページに違和感を感じたらしく、不思議そうにウェリティに顔を向ける。
「最後だけ、紙がよれているみたいだけど……」
ウェリティはその頁を開こうとするジェインの手に、そっと自分の手を重ねた。
「見てもいいけど、おすすめはしないわよ」
ぐっと口を結んで、ジェインは頷く。
「……たぶん、大丈夫」
開いた頁は、紙がよれて文字が読みづらくなっていたが、間違いなく他の死亡者らと同じ様式で記載された名簿だった。
だが、早々にジェインは肩を小さく震わせ始めた。恐怖と悲しみ、そのどちらにも見える。
「……だから言ったのよ。大丈夫?」
ウェリティがジェインの背をさすりながら、アルジントに目配せして名簿の中身を確認するよう促した。
それを見たアルジントは、大きなため息をついて首を横に振る。
「……なるほど、これが一つの真実か。ウェリティはいつから気づいていたんだ? ……まさか、ジェインの祖父の名前がここにあるなんて、さすがに思わなかったろう?」
「ええ。気付いたのはつい先日。私だって、そういう本なんだとずっと思っていたんだもの。その頁だけ薄く糊づけされていたなんて、普通思わないでしょ?」
そこに記載されていた死亡者の名前は、ジェインの祖父、ランドル・リード。『死亡者名簿』によると、彼は一七年前の一八七二年に亡くなっていることになっていた。
両手で顔を覆いながら、ジェインは静かに泣いていた。
「……父さんは、爺ちゃんは遠出したんだってずっと言ってたんだ。だって、教会にも爺ちゃんの墓はないんだよ。……死んでるなんて思わないでしょ? 死んだ痕跡がないって、おかしいよ」
「……無理だろうが、落ち着け。時系列に状況を整理した方がいい」
アルジントの話はこうだ。
ジェインの祖父、ランドル・リードは妹サラの死をきっかけに、聖職者の権限を利用して『死亡者名簿』の記録を始めた。
その後、一七年前の一八七二年に悪魔サラに殺されて死亡し、死者として復活。
その後、ランドルの息子である現在のリード牧師が教会を継いだ。
ランドルは死者として経験した現象をすべて書物に記録し、死者になった後も『死亡者名簿』の記録を続けた。
そして、最後に自分の死の真相までもを記録したということである。
「ジェインの祖父は、長年記録し続けてきた書物一式を誰かに託したかったんだろう。ジェインにも分かっていることを色々と伝えたつもりなんだろうが、聖職者になることを望まないジェインに書物を託すことはしなかった。そしたら偶然、適任者としてウェリティを見つけたんだろう」
突っ込みどころがないほどに、ウェリティはアルジントの説明に納得していた。
アルジントは話を続ける。
「この名簿には彼の死因がしっかりと書かれている。『一八七二年 サラが憑依した人物により、刺殺された』。ジェインの祖父はサラに相当憎まれて殺されたらしい。……でも、サラを解放するために何ができるか、彼はずっと研究していたんだろうな」
ジェインがポロポロと涙をこぼす。
「……待って。じゃあ、僕の爺ちゃんはずっと
アルジントはいたたまれ無さに、わずかに肩を竦める。
「君の祖父が死者であり、その真実を残したのもまた君の祖父だったということは真実だ。……だがまあ、半分は僕の仮説だ」
ジェインは鼻を啜りながら、こくりと頷く。
「……分かった。じゃあ、なんで爺ちゃんの墓はないの? 父さんは何で遠出って僕に嘘ついて隠したの?」
「死んでいるなら、墓はどこかに必ずあるはずだ。そして、君の父が嘘ついた理由は君のためだろう。……それで守っているつもりなんだ。本当は傷つけていることに、全然気づかないらしい」
自嘲じみたアルジントの言葉にウェリティは少し違和感を感じていた。これが杞憂であれば良いと、今はそう願うしかなかった。
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