第五章

 第一話 アムール・デ・ロワ

 アンドラ王の死後にできた老舗カフェ、アムール・デ・ロワ。主人の名はレイク・ルヴァンといい、三〇代半ばの眼鏡をかけた細身の男性である。

 ここは知る人ぞ知る名店で、店はいつも不定休。客層はほぼ五〇代前後で構成されているが、中にはちらほらと若い常連客の姿もある。

 その一人がウェリティ・ローグであった。

 レイクはウェリティが死者の研究をしていた頃からの友人であり、死者について理解している数少ない生者である。


「ウェリティ。君に頼まれた調べもの、これが報告書だよ」


 誰もいない店内で、レイクがウェリティに数枚の紙を渡した。

 ウェリティはそれを見るなり、顔をしかめる。


「嫌な予想が当たったってわけね。……病気がちだったサラ・リードは、あの研究室で密かに人間の生死について研究していた。かなりの変わり者ね」 


「それを言うなら、君だって死者について調べていたんだろう? サラ・リードも研究熱心で、独自の研究テーマを持っていた。学校が彼女のために研究室を増設するくらいには、かなり学校側の関心も高かったんだろうさ」


 ウェリティの眉がピクリと上がった。

「そうね。でも、あなたの報告書はどれもサラ・リードを持ち上げすぎているわ」

 レイクが両手をがばっと広げたかと思うと、次の瞬間、大胆に頭を抱えた。

「そんなことないよ! 君の死は僕の生涯の悲しみだ。唯一の救いは、僕が君たちを見ることができることさ!」

 ウェリティはため息を漏らす。

「大袈裟な言葉ねえ。まあ、実際に死者を見ることのできる体質というものは存在する。……アルのような幽霊ゴーストでもね。でも、それは限りなく少なくて、私の知る限りではレイクと、ダンベルグ教会のリード家の人たち、そして生者だった頃の私。……他にいる?」

「いいや、俺は聞かないね。でも、それぞれに共通点ならあるよね」

「なに?」

「死んだ者に囚われている」

「……なるほど、確かに」

「そして僕は、君の知らないことを一つ知っている。それは――」


 レイクは自分で言い出しておきながら、若干怯えたように誰もいない店内を見回した。

 彼は異常なほどに警戒していた。


「……フロール・ヴァレンヌの墓の場所だよ」


 警戒の果ての答えがこれか、とウェリティにはいまいち理解ができなかった。


「それって百年以上前に亡くなった女の子の話でしょ? サラ・リードにとって思い入れのある人物だって、あなたの報告書にもある。でも、サラだって会ったことないほど昔の人でしょ? 今さら墓を知って何になるというの?」


「はは、そりゃ随分とひどい言い草だ。僕の曾祖父はアンドラ王の養子だったんだぞ。……ほんの数年足らずだったけど」

「ええ、アンドラ王はすぐに亡くなられたものね」

「ああ、おかげさまでこの生業さ。養子は必要ないってね。……でも俺は誇らしく思っている。この店名のとおり」



 店のドアベルがガランと鳴って、扉が開いた。

 レイクとウェリティが振り向いた先に立っていたのはアルジントだった。


「……悪い、話の邪魔したか。店が閉店してたし、ウェリティも研究室にいなかったから、ここにいるのかと思って」


「全然いいよ! 久しぶり、アルジントくん! せっかくだ、一緒に話をしよう!」

 レイクがふわりとした笑みを浮かべて手を振った。それを蔑むようにウェリティが見る。


「……で、話題は?」

 淡々と訊くアルジントに、レイクが笑顔を見せる。

「この店の名前の由来について話そうと思ってたところだよ」

「ああ、あれか。王の愛。てっきり、レイクの趣味かと思っていた」


 馬鹿にされたことを不貞腐れるように、レイクが年相応には見えない表情を浮かべて腕を組む。


「違うよ。これを名付けたのは曾祖父だよ。アンドラ王には好きな人がいたんだ。でも年の差もあったし、彼はこの街を作り上げるという目的をまず先に達成させた。ダンベルグ教会ですら、彼に賛同したんだよ。つまり、神と王は一つになったんだ……!」


 目を輝かせながら力説するレイクに対して、アルジントがわざとらしい半目で斜め上を見る。


「そりゃあ良かったな。……だが、その目的を果たしたあと、アンドラ王は彼女が亡くなっていることを知った。そして、アンドラ王は自害。さすがに僕もこの話なら知っている」


 途端にレイクは悲壮感を顔に浮かべて、再び頭を抱えた。

「……そうさ! アンドラ王だって、ちゃんとした人間だったんだよ。彼は神じゃない、人間だったんだ。ああ、もし彼が死者になってくれていたら――」


「アンドラ王が死者になっている可能性は本当にないと思うか?」

「残念ながら、それはないよ」

「どうして断言できる?」

 レイクが膨れてそっぽを向く。

「彼が死者なら、俺の店に顔を出しに来てくれてるはずだろ? 血は繋がっていなくても、俺はアンドラ王の意志くらい継いでるさ」


 これを聞いて、アルジントは肩をすくめた。彼の子供っぽさは話しやすいという意味では長所でもあるが、その感情の不安定さは一長一短であろう。


「どうだろうな。今でも王と聞いたら誰もがアンドラ王を一番に思い浮かべる。人間ではあるが、やはり神聖視はされている」


 レイクは夢見がちに両手を組むと、天井を見上げた。

 それは放っておいて――と、ウェリティがアルジントに向き直る。


「――で、遅くなったけど、私に用があったのよね?」

 ウェリティが訊いた。

「……ああ。レイクも聞いてもらって構わないから、ここで話していいか?」

「いいわよ、話して。アルがこの時間に来るということは、ヴェーチルとルーアにはまだ話さない方がいい内容?」

「……まあ話すつもりだが、先にウェリティに話しておきたいと思って」 


 アルジントはウェリティとレイクが座る席から少し離れた場所に腰を下ろした。

 鋭い目つきでテーブルの一点を見つめながら、ゆっくりと口を開く。

 

「悪魔を殺す必要がある」


 ウェリティはその場から立ち上がると、納得いかない顔でアルジントのそばに歩いて来る。

「それはサラ・リードとイルバ・マルサスのこと? 悪魔を殺して私たちは解放されるの?」

「問題はイルバだ。奴を殺らないと、こっちが殺されることになる」

 ウェリティは眉をひそめた。

「じゃあ、サラは放置していいの? イルバ・マルサスを殺しても、死者の解放につながるとは考えにくいんじゃない? 無駄に時間を割くのは良い考えとは思わないけど」

 真っ当なウェリティの意見に、アルジントは反論することなく頷く。

「分かってる。まず、僕はサラ・リードを擁護することはしないし、したいとも思わない。ただ、サラは行動の動機が不十分である一方で、イルバは明確だ。やつの行動は殺人狂にも近い。もはや道理も理屈もない」

「……アル。レーンが殺された後、何かあったの?」

 やや慎重になるウェリティに、アルジントが小さく息を吐いた。

「……今、僕の父が行方不明になっている。イルバ・マルサスは絶対にまた殺しに来る。だから、先にこっちを片を付けないと、自分たちが殺されて、死者の解放どころじゃなくなるかもしれない」

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