第七話 墓地へ

 屋敷に帰ってきたアルジントは、何もする気が起こらず、ただソファーに座って天井を呆然と見上げていた。

 レーンを死者にさせてしまったという事実が、今は何よりも重い責任としてのし掛かっていた。


「アル様、夕食をお持ちしましたよ」

 使用人エリーの声だった。

 食欲がないからと言って自室で夕食を取ろうとしたわけだが、思いのほか豪華な食事が出てきたため、アルジントは虚ろな瞳でそれを見つめた。


 そして、ふと眉を寄せた。よく考えればおかしいと気がつくはずなのに、何も気づいていないことがあった。


「この食材はどうやって手に入れたのか知っているか?」

 突然の質問にエリーが目を丸くする。

「え? それはもうファルコス様だからこその為せる業で――」

「どうして食材確保の事務仕事に父上が出てくるんだ? この屋敷のシェフは、ただ作るだけの存在か? 何の疑問も持たずに、与えられた食材を?」


 立ち上がってアルジントがエリーに歩み寄ると、彼女は冷や汗を滲ませていた。


「ど、どうされたんです? そんな疑問を持ったことなんてなかったでしょう? 今日の外出先で何か嫌なことでも――」

「自分自身でこの鳥籠から出ることにした」

「アル様……」

「夕食はやっぱり兄姉たちと食べようと思う。持ってきてもらったのに、悪い」

「そ、それは構いませんが……」



 今日の夕食の席にも父ファルコスの姿はなかったが、アルジントにとってそれはむしろ好都合であった。


「兄上、お話があります」


 アルジントは食事の席で口を開いた。

 もちろん姉たちの姿もここにあり、驚いた顔で弟を見る。

「今でなければならない話か?」

「父上のいない場所で……、兄弟姉妹間で話をしたかったのです」

「理由は?」

「父のこれまでの行動について、共有したかったからです」


 ダルラスは食事の手を止めて、冷静な表情で腕を組んだ。

「……それは互いに干渉しないのがルールだったと思うが」

「それを破ってもいいと思っています」

「父の制限が、お前自身を守るためだったとしても?」

 前のめりになってアルジントがテーブルの縁を叩く。

「それが苦しめているとも知らずに?」


 ダルラスは言葉を払いのけるかのように、顔の前で手を振った。

「食事中にするような話じゃない。続きは後で――」

「この食事だってそうだ。食材の入手経路、入手先は? 公爵家とはいえ、さすがに財源も尽きるはずなのに、どうしてこの屋敷の中では安定していられる? 普通ありえないんだ。どうして僕はそんな身近なことに気付けなかったんだろう……」


 兄や姉たちの表情は強張り、皆が同じ顔をしていた。身動き一つする者はいなかった。


 その瞬間、アルジントは確信した。彼らは共通して何かを知っている。

 それが自分だけは未だ知り得ないことだということも。


「兄上は、父上がダンベルグ教会に行っていることも知っていたんですか?」

 ダルラスは眉間に皺を寄せ、重々しい表情に変わった。

「……その答えは、明日だ。明日の昼前に一緒に教会へ行こう」


 その後、夕食時に言葉を交わすことはなく、五人は無言で料理を食していた。


 ただ、罪悪感と焦りに誰とも目を合わせることのできない兄や姉たちとは違い、末弟のアルジントは腹が立っていた。

 自分だけが蚊帳の外にされ、父ファルコスから一切の共有をされていないこと。それはどんな理由であれ、納得できるものではない。


 この日も父ファルコスが帰ってくることはなかった。



 ***



 翌日、午前一〇時に屋敷を出発した。

 アルジントにとっても、ダルラスにとっても、誰かと屋敷を共に出ることは八年以上ぶりだった。

 父の外出制限を無断で破ることに、意外にもダルラスは気にする様子はなかった。


 ダンベルグ教会に着くと、建物内には入らず、裏手の墓地へ向かった。歴代、リーグルス家の墓がここにあることはアルジントも知っている。


「アル、最近ここに来たことは?」

「墓地には来ていません」

「そうか。父はお前に期待していた。何か導き出してくれるのではないかと。私にも何か期待していたのかもしれないが、仲間のいない私は、父の期待に応えることはできなかった」

 怪訝そうにアルジントが眉をひそめる。

「何の話です?」

「お前には多くの友人がいる。きっと何かわかったんだろう? 死者というものについて」

「――!」

「私も父も、自分たちがそれだということを知っている。だが、今もっとも解決に近い場所にいるのはお前とその友人たちだろう」

 淡々と話を進める兄ダルラスを、アルジントは感情剥き出しで睨んだ。

「わざと僕を泳がせて、何か情報をつかませようとしたのですか?」


「いいや。本当はもっと早くに私や父がこの悪夢を解決するつもりだった。母がいなくなった時から、既にこうなる可能性を予測していたんだ。……だが、何もできなかった。お手上げだったんだ。その代わり、この死者としての生活を続けるにあたって、できる限り環境を整えようとした。衣食住、これだけは何とか継続させたかった」


「それで? 具体的に何をしていたと?」


 ダルラスが墓地の中を進んでいくため、アルジントもその後ろをゆっくりと追った。

 もう少し進んだら、リーグルス家の墓がある。


「ここが墓だ。我々の。父はここの墓守をしていた。そして、この墓地一帯の管理を、リード牧師から仕事として引き受けていた」


 その墓には名前が記載されていた。当然、自分の名前も。


「墓の管理なんて、そんなことしてもお金は足りないはず……。それだけですか?」


 もう何を言われても驚くことはあるまい。


「――その前に一つ、話を聞いてくれ。このダンベルグ教会には、王族からの多大な資金援助がある。理由は分かるか?」

「この教会が街で一番大きくて、平和と平等の象徴だからでしょう?」

 ダルラスの視線が、墓からアルジントの顔へと向けられた。

「それだけじゃない。この教会にはある少女が綺麗な姿で眠っている。ネルソン村で亡くなった少女だ。それを守るために、王族は金をかけている」

 

 唐突な話だったが、アルジントは昨晩のリード牧師との会話が思い出された。ネルソン村の、あの少女のことであろう。

 だが、綺麗な姿で眠っているという言い回しは、言い得て妙である。


「それは、墓を守るのではなく、遺体そのものですか? ……まさか、何者かが墓の掘り起こしを?」

 ダルラスは渋い顔で頷いた。

「ああ。墓の掘り起こしは死人への冒涜だ。禁忌に価することは王だって百も承知だろう」

「じゃあ、なぜ王族が資金援助を――?」

 訊いてすぐにアルジントが口を閉じる。

「……なるほど、これには王族が関与しているんですね。そして、この件に父上も関わっていると?」


「そのとおりだ。……ここだけの話、リード牧師はその少女の死体を手放したいと思っている。だが、それを公言できないリード牧師は、裏方仕事として父上にある依頼をした。本来あるべき場所に死体を返すために、ネルソン村の墓の場所を探す調査だ」


「それで父上は収入を?」


「ああ、そうだ。援助のおかげで資金は潤沢だからな。一方で、リーグルス家において生者と密接に関わる食材調達などの事務方仕事は、すべてリード牧師が担っている。つまりは対等な関係さ」


 そう話すダルラスの表情は暗く、どこか虚だった。 


「では、リード牧師は資金援助を受けている王族に対して、すべて背こうとしているんですか? だからその一端を担いだ父上の身にも危険が及んだ……。例えば、少女の墓の場所を見つけてしまったとか?」


「――さすがだ、アル。……つまり、父上は王族の関与により失踪したんだろうと踏んている」


 当然それは衝撃的事実であったが、父の不在があまりにも長いことを考えると、あり得ない話ではなかった。

 王族の関与と聞いて、アルジントの頭の中にはイルバ・マルサスの名前が浮かんだ。


「兄上、マルサス家は王族の配下にあります。……今もっとも放置してはまずいのはマルサスじゃありませんか、兄上?」


 神の聖域にいるリード牧師やジェインに身の危険が及ぶ可能性は限りなく低いだろうが、王族と悪魔イルバ・マルサスが父ファルコスの失踪に関わっているのだとすれば、今後危うい立場になり得るのは――……。


 アルジントは強い気持ちで兄を見据えた。

「しばらくは兄上も気をつけてください」


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