第六話 ネルソン村にて
この日、ルーアは終業後に研究室へ寄ることなく帰宅した。
最近は母と一緒に過ごす時間が少なくなっていたが、ルーアにとって何より大切なことが母といる時間であることは、今もこの先も変わることはない。
「ただいま!」
「ルーア、お帰り! 今日は早かったわね。夕食はもう少し待ってね」
家の中から聞こえてきた母の返事はどこか嬉しそうだった。小走りで玄関までやって来て、ルーアを笑顔で出迎える。
午後七時頃、夕食の席につくと、今日のメインディナーは野菜たっぷりのスープであった。
「今日はお隣のヴァレンヌさんがたくさん野菜が穫れたって言うものだから、おすそ分けしてもらったの。おかげで野菜たくさんになっちゃったわ」
そう言って、母は楽しげに笑った。
いつも通りの無邪気な母に、ルーアはほっと安堵する。
隣家のヴァレンヌ家はアンドラ王より前の時代から続くネルソン村の由緒ある家系である。広大な敷地を持ち、農業や畜産業、林業まで幅広く経営をして、村の雇用創出にも貢献している。
若い主人は気さくで親切ということもあり、村ではちょっとした人気者だ。
「このスープ、本当に美味しい」
ルーアはにっこり笑顔を見せた。
「良かった! ルーアに喜んでもらえるのが一番だもの。お母さんも煮込みの方は頑張ったのよ」
母の笑顔に合わせるように、ルーアも再び笑った。
「お母さんの料理があってこそだよ」
「ふふふ、ルーアったら。……あ、そういえば最近、学校は楽しい? お友達とは仲良くやっているのよね?」
「うん、学校の先生とも仲良くなって」
「それなら私も嬉しいわ。ゆっくりしてきていいのよ、お母さんのことは気にしなくて大丈夫。この村の人達はみんな家族みたいなものだから」
母の言葉に、ルーアは一瞬後ろめたさを感じた。
笑顔を浮かべながらも、それに見合う感情をどこかに忘れてきてしまったかのようで、たまらなく虚しい。
「……ねえ、お母さん。お金って厳しくない? 私が学校に行ってても大丈夫?」
家計に余裕がないことくらいルーアも察しがついている。
「何を言ってるの? そのために私も働いているのよ。あなただって、お手伝いしてくれているじゃない」
「それでも――」
「いいの。家のことは気にしないで」
ルーアは夕食後、夜風を浴びに外へ出た。
景色を遮るような高層建築物もなく、澄んだ群青色の空に星がまばらに光っているだけである。
ふと、イージェル家が所有する牛舎から聞こえる牛の息遣いがいつもより少なく感じて、ルーアはそっと覗きに向かった。
起きたり眠ったり自由に過ごす牛らを、牛舎の外から慣れたように一頭、二頭……と数えていく。
――あれ?
ルーアは牛の数が先週数えた時より少ないことに気がついた。
ここ最近は仔牛を売りにも出しておらず、母の手料理に牛肉が使われた記憶もない。
ならば、考えられるのは村内で乳牛を高い金額で売った可能性である。村内でお金を循環させるため、ネルソン村ではこういうことをよく行っている。
これは村人同士の結束が強いネルソン村だからこそ確立できた共産主義的システムである。より財力のある者はルーフェス旧市街や隣国へ働きに出て収入を得ることも可能で、村の社会のあり方は柔軟性に富んでいる。
村全体で支え合って生活しようという、これがネルソン村の人々の意思なのだ。
だがそれは死者であるルーアにとって、ただのつらい現実だった。
――ああ、やっぱり、普通に生活できていたわけじゃなかったんだ……。
死者である以上、このまま学校へ通い続けても意味がないことくらいわかっている。
それでも母親の生死が不明である以上、簡単に学校をやめることもできないのだ。
自らが死者であることを母親に打ち明けることができれば良いのだが、それは現時点ではおおよそ無理な話であった。
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