第七話 実体

 ルーアは質問を続けた。

「……もし仮に、皆さんの姿が見えなくなっても、この地からいなくなるわけじゃないんですね?」

 ウェリティは書物に視線を落とした。

「ええ、そうね。ただ、死者として存在する意味が完全になくなれば、この不条理から抜け出すことができると思っているの。……私たちも神の国へ行くことができるんじゃないかって、期待しているのよ」

「神の国……」


 ルーアは身体中の血液が全身を巡る感覚に、一瞬だけ身震いした。

 神の国とは、人が死んだら行く場所だ。


「……僕たちがここにいるということ。それはすなわち、まだ魂がここにあるという証拠だ」

 アルジントの話し方はあまりにも淡々としていた。

「魂が残っているのは、未練があるから……?」

「いや。実のところ、よく分かっていない。普通は、自分が死者であることすら気づかない」

 そこまで言うと、表情にわずかな曇りを浮かべて言葉を続けた。

「まあ、自分が死者であることを、ようやく実感するようになったんだがな」

「なぜ?」

 ルーアは引き下がることなく訊く。


 ウェリティやヴェーチルなら口籠りそうなことも、アルジントは有耶無耶にせず正直に話してくれるような気がした。


 そしてルーアの予想は的中し、彼はそのまま話を続ける。

「僕は生者に認識されなくなった、ということだ。つまり、幽霊ゴーストだな。ぶつかられても全く痛くないし、生者は僕の身体を平気で通り抜ける」

 その瞬間、ヴェーチルが不謹慎にも少しだけ笑みを浮かべた。

「本当にすごいよね」


 それほど嫌味は感じられないものの、あからさまに興味津々といった反応だ。

 これを聞いて良い気はしないだろうが、アルジントは怒ることもなく、穏やかな口調でヴェーチルを咎めた。

「笑うなよ。君もいずれ僕と同じになるんだぞ」

「……まあね。その時は仕方ないさ」


 ただの友人同士の会話だ、とルーアは少しだけ安堵した。つい表情が緩みそうになり、不意に背筋にピリッと緊張が走る。


 ――おかしい。


 そう思った瞬間、彼らの声が突然聞こえなくなり、ルーアの聴覚が途切れた。

 アルジントが生者に認識されていないならば、なぜ自分は彼の姿を見ているのだろうか。


 ルーアは全身に鳥肌が立った。


「おかしい、ですよね……?」


 アルジントとヴェーチルの動きがピタリと止まり、表情を少し引きつらせる。そのまま二人は頼るような視線をウェリティ向けた。

 こういう時こその年長者ということもあってか、ウェリティは二人に向かってゆっくりと頷く。


 ウェリティはこれから神のお告げを代弁するかのように、穏やかで繊細な表情をルーアに向けた。 


「……そうなのよ。あなたを呼んだのは、それを伝えるため」


 ルーアはただ不安に満ちた顔をウェリティに向けた。

 いつだって望んだ言葉が返ってくるわけではないことくらい、頭では理解しているつもりだった。


 でも、それはとても残酷で――。



「あなたは、私たちと同じ死者よ」


 ルーアは気が抜けたように脱力した。全身に力が入らない。

 衝撃的な宣告を受けたはずなのに、脳みそが空になったように一切の感情が湧かなかった。


 なんとなく、そんな気はしていた。ただ信じたくなかっただけなのだ。


「私が、死んでいる……」


 そんな言葉しか出てこなかった。

 今さら死者の存在を否定はしないが、自分が死者であるなど理解できるはずがない。


 ただ分かっているのは、三人が単に自分を恐怖に陥れようとしているわけではないということ。

 それでも、だからこそ、信じたくなかった。


「……お、お言葉ですが、私が死んでいるはずありません。ゆ、友人と一緒に話したりするし、家に帰ればお母さんがいて、一緒にご飯を食べるんです。……私の生活には、変わったことなんて、何一つありません」


 ヴェーチルは震えるルーアの言葉に耳を傾け、それを受け止めてから重々しく口を開いた。


「……そういうものなんだよ。俺も普段は何も変わりなく暮らしている。自分が生者に認識されているうちは、特に何も感じない。でも、長い時が経つとアルジントのように死者であることを実感するようになるんだ」


 アルジントはルーアの顔を見た。

「君に納得してもらうために、僕の家に招待しようと思う。明日は暇か?」

 なかば強引とも思える誘いであったが、この状況で断る権利など、ルーアにはないも同然だった。

「……夜遅くならなければ」

「分かった。それじゃあ、また明日の放課後にここに集合としよう」




 解散した後、ルーアは一人で学校を出て、ゆっくりと家に向かって歩いていた。

 周囲の綺麗な景色すらも目に入ることはなかった。

 そう、今日のはただの夢。死者なんて、現実にいるはずがない――そう思わなければ、まともでいられる自信がなかった。

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