第一章
第一話 悪夢のはじまり
「遅刻だ……!」
朝の陽光を浴びた広大な牧草地を横目で見やりながら、ルーアはネルソン村からルーフェス旧市街へ続く街道を走っていた。
肩に提げた鞄が何度も脇腹を打つ。
息が切れてきて足取りも重くなってきたころ、ルーアは旧市街の城門をくぐり抜けた。
――長い夢のせいで遅刻だなんて、馬鹿らしくて誰にも言えない……!
ここから先は狭い路地が入り組んでいて、街の中心部であるランゲル地区に向けて上り坂が続く。
先人アンドラ王は人々の生活の質を上げることに精を注ぎ、この街を築き上げ、一七二五年に未婚のまま三〇歳という若さで命を絶った。
かつてのルーフェス国は幾度の戦いにより国土面積を変えながら、若きアンドラ王により今のルーフェス旧市街が自治区として独立した。
彼はほんの八年足らずで今と変わらぬ街並みを作り上げたのだ。この石造りの城壁や九十九折りの細道も、今では彼の功績であり遺構である。
だが、今のルーアには、この偉大な歴史を横目で見やることが精一杯であった。
アンドラ王の時代に作られたネルソン村と街を繋ぐ街道は、荷馬車や物資の供給で利用するなど人々の往来には欠かせない。
村民も城門を自由に出入りすることができるようになり、商いが盛んになったことで人々の生活の質も上がった。そのおかげで、村から旧市街の学校へ通う生徒も年々増えている。
だが、ルーアのように街の外に居住する生徒にとっては、通学というものがいささか不便であることに変わりはない。
このまま約束されたにも等しい変わらない毎日が続くのだろうかと思うと、学校へ通えることのありがたみすら忘れてしまいそうになる。
路地の曲がり角、その手前でルーアは一旦立ち止まった。街の中心部、ランゲル地区の外れに建つダンベルグ教会を見上げる。
――ああ、もう間に合わないか。
教会の時計盤はルーアに遅刻を宣告する寸前であった。
気持ちは半ば諦めつつ、ルーアは学校へ向かうために足を踏み出した。
「……わあっ!?」
左側の死角から全速力で飛び出してきた誰かと激突し、ルーアはその反動で身体が右側に飛ばされた。転倒せずに済んだことは、不幸中の幸いであった。
強打した左腕をさすっていると、飛び出してきた相手が眉尻を下げてこちらを見ていた。
「本当にすみません! 大丈夫ですか?」
その人物は、ルーアと同じ学校の制服を身にまとった青年だった。整った顔を不安そうに歪めている。薄茶色の髪に柔和な顔立ちをしており、実に嘘が苦手そうな優人の顔だとルーアは思った。
「いえ! こちらこそ、すみませんでした! 前を見ていなくて……」
ルーアは腰から深々と頭を下げた。周囲を確認していなかったこちら側にも非はある。
「君は悪くないから頭を上げて? 俺も焦ってたので。……とりあえず今の状況を整理すると、これは遅刻決定かな」
ルーアが下げた頭をゆっくり元に戻すと、青年は憂鬱そうにダンベルグ教会の時計に目を向けていた。
「俺の名前はヴェーチル。学校への近道を知っているんだけど、もし良ければ一緒に来ない?」
さらりとした自己紹介に、あっさりした誘いであった。目的地が同じとはいえ、相手は初対面の人間だ。ついて来てと言う彼の言葉を信じて良いのだろうかと、ルーアはすぐに頷くことはできなかった。
色々と考えながら押し黙っているうちに、ヴェーチルは「じゃあ、もし良ければついてきてね」と言って先に歩き始める。
確かに、このまま立ち尽くしていてもどうしようもない。
ルーアはヴェーチルを小走りで追いかけると、横には並ばずニ、三歩後ろについた。
「あの、私はルーアと言います」
同じく名前だけの自己紹介をすると、ヴェーチルが朗らかに後ろを振り向いて笑みを見せた。
「ついて来てくれてありがとう、ルーア」
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