なくした物、つながるもの

 高校生活が始まり数日経ったあの日、お母さんが突然、死んだ。

 お母さんは家の中で倒れていた。学校から帰ったわたしが見つけ、救急車を呼んだ。

 救急車はなかなか来ないし、来てもすぐに運んでもらえない。

 わたしは「なんで、どうしてっ?」と言いながら、お母さんに声をかけるしかできなかった。


 病院に搬送されたけど、すでに心肺停止していた。


 わたしはその日からずっと同じことを考える。

「朝、何もなかったのに? どうして、突然? わたし、悪いことしたっけ?」

 色々な人やものに対して恨みや怒りを持った。一番腹が立つのは自分だった。

 わたしが一番そばにいたのに、何も気づかなかった。

 朝、普通に学校に行った。

 なんで、気づかなかったんだろう。

 なんで、なんで、なんで、なんで……!?

 ぐるぐる同じことを考える。


 気づいたらお葬式は終わっていた。


 お父さんは日常に戻っていたけど、わたしは学校に行きたくなかった。

 お父さんはわたしの分の朝食と昼食を作り、会社に行く。

 学校に行っても楽しいと思えない。朝起きるのも夜眠るのも辛い。

 ずっと考える、なんで、あの時、あの朝、気づかなかったんだろう――?


 わたしは一日、ぼんやりすごす。恨みや怒り、悲しみと共に。

 それでもお腹がすく。お腹がすくと、お父さんが作った料理を食べる。

 食べる自分に嫌悪感が湧く。

 なんで、わたしは食べるんだろうか?


 お葬式が終わって何度目かの朝、わたしはお父さんに泣いて、叫んだ。

「お母さん死んで、悲しくないの? なんで会社なんか行けるの? どうして、わたしに怒らないの?」

「悲しくないわけないだろ」

 お父さんは淡々という。

 声を荒げるわたしが馬鹿みたいに。

 お父さんはそれ以上、何も言わず黙っていた。

 わたしは頭にきて、部屋に荒々しく入った。


 翌日、テーブルの上に朝食と昼食だけでなく、刺繍の布や道具が置いてあった。布には輪がはめられていて、少しだけ刺繍がしてある。小さな花が。


 ――やってみる?

 お母さんの声が聞こえた。

 いつ聞かれたか覚えていない。ただ、わたしは「別に」と答えたのは記憶がある。

 教えてもらえば良かったのかもしれない。

 今更思っても遅いのだ。お母さんは死んだから。

 大粒の涙があふれた。


 ふと、小さな額縁が目に入る。

 そこには、お母さんが作った刺繍の景色がある。

 それだけではない。家には、お母さんの刺繍がたくさんある。花瓶の敷物や棚の埃避け、わたしが小さいころ使っていたハンカチやバック。

 お母さんの刺繍はあって当たり前だった。

 それと同じくらいお母さんがいるのが当たり前だった。


 一方で、別れがあるのも当たり前なのだ。あって欲しくはないけれども。

 病気、事故、災害――。


 わたしがいなくなるかもしれない。お父さんかも知れないし、友達かも知れない。

 ふと、怖くなった。


 だから、一瞬一瞬を大切に生きなくてはいけないのだ。


 お父さんにひどいことを言った。お父さんが反論してくれても良かったのだ。

 それでけんかしたかもしれない。

 でも、その後、仲直りすればいいのだ。

「恥ずかしいけどね」


 わかったことがあるのだから、改善しないとならない。

 仲直りする、または、話をするきっかけを作ろうとわたしは考えた。

 夕食を作ろう。

 そういえば、料理は作ったことがない。お母さんやお父さんが作ってくれたから。

 家庭科の授業でしか作ったことなかった。なんとかなると信じた。

 ご飯を炊いて、野菜炒めと味噌汁なら、たぶん作れる。

 スマホ片手にレシピを探した。


 お母さんが死んでから止まっていたわたしの時間が、動き出したのかもしれない。


 夕食をお父さんは喜んでくれた。

 そのせいで、これから夕食は作ると勢いで宣言してしまった。でも、お母さんがしてたことを分担していかないといけないしね。

 それと大事なことが一つあった。刺繍のことを切り出すのは少し勇気がいる。

「刺繍、続きしてもいいのかな」

 お父さんはあっさりと「構わないよ」という。考えもいていないようだけど、お父さんは嬉しそうだった。

 わたしは期待されていることに不安になる。

「これから刺繍の勉強をしてからだよ。いつできるか分からないよ?」

「いつかはできるんだ、待ってるよ」

 お父さんの返答にわたしは力強くうなずいた。


 刺繍の勉強を始めた。いびつな花が沢山できる。あきらめそうになるけど、できたものが愛おしく、捨てがたくなる。

 あきらめないで少しずつ進んだ。


 母の残した花畑は、十年後、鮮やかに広がった。

 父はそれを見て微笑んだ。

 その目の端には、涙が浮かんでいた。

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