幸せのクレープ(陸)
昼食を食べ終えた日曜日は、用事がない限りひまりちゃんと外出することにしていた。寒い冬も彼女と話ながら過ごすと、身も心も暖まるのだけど、それを真面目に話すと照れながら背中を叩かれた記憶がある。
大体外出する先は、近所の商店街と相場が決まっていた。地元の人や観光客であふれかえるぐらい有名な商店街だった。屋根もあるので雨が降っても安心して過ごせるのは、とてもありがたいことだった。
「うーん、いつもながら混んでるね」
「そうだね」
混んでいる、とひまりちゃんが言ってから商店街散策が始まるのが定番で、僕は親子丼で脹れた腹を軽く擦りながら歩き始めた。店を見るので歩調は自然とゆっくりになる、昔馴染みの洋服屋さんや文房具やさん、新しくオープンした店も少なくない。
「ところで陸さん」
「はい」
ひまりちゃんに「さん」付けで呼ばれて、僕は真顔で返事をする。
「食事のあとはデザートだよね」
「それに対しての異論はないね」
デザートは大事だ、とても重要だ。しかもそれを見越して、親子丼は少なめに作って食べている。
……大体商店街に出掛けるときは、確実に食べ歩きをするようになったからなんだけどね。
付き合ったばかりの頃は、食べすぎて動けないことが結構多くて、同棲してから話し合って決めたルールの一つだった。
休みの日の昼は少なめにする。
そしてそれは今日も問題なく実行されていた。
「寒いから温かいデザートでもいいよね」
「冬なら焼き芋とか……」
芋ならスイートポテトとかでもいいなぁ、あと洋菓子屋さんに芋を使用した新しいデザートもあった気がする。
「お腹に溜まりそうだね、焼き芋だと」
「バターとか乗せると美味しいよね」
「それはそうだけど」
じっとひまりちゃんは僕の顔を覗き込みながら、低い声で言った。
「カロリー多そう」
「ひまりちゃん、デザートの話をしているんだから、カロリーの話をしてはいけないよ」
糖質制限デザートとかも多くみられる世の中だけど、やっぱり制限されていないデザートは美味しい。疲れも吹っ飛んでしまうほどの美味しさだ。あの一口目の至福は、言葉で表現するのはとても難しいことだと僕は考えている。
「そうだけど、うーん……そうだ!」
ぱっと花が開いたかのような笑顔を浮かべながら、ひまりちゃんは僕の手を取る。
「行きたいお店があったんだ、そこに行こう!」
おお、と僕は感嘆の声を胸のなかであげていた。人混みを潜り抜けて到着したのは、商店街の端にあるピンク色を基調としたキッチンカーだった。甘い香りを漂わせていて、お客さんも何人か並んでいる。
「新しく商店街に来るようになったクレープ屋さん」
「結構最近の話?」
「うん、だからまだ陸が知らないかなと思って」
全く知らなかった。ここ最近、仕事が急がしすぎて商店街を眺める余裕すらなかったから。
「クレープも好きでしょ」
「もちろん」
並びながら僕は力強く頷いた。色とりどりのクレープの写真が貼られている看板を見るだけで、ごくりと喉が鳴ってしまう。
僕もひまりちゃんも食べるのが大好きだ。苦手な食べ物はあるけれど、基本的に何でも美味しく食べてしまう。
特に僕は甘い菓子に目がない。ひまりちゃんに怒られてしまうほど食べてしまうこともある。食事の代わりにお菓子を食べていたら、本気で叱られたのを忘れることはできない。
「それでひまりちゃんは何を食べるの?」
「私はイチゴ生クリームかなぁ。陸は?」
「僕はバナナチョコアイス生クリーム」
寒いけどアイスは外したくない、どうしても食べたい。
「いつも変わらないね」
「ひまりちゃんもね」
思わず顔を見合わせて笑ってしまう。クレープの種類は多種多少で、甘くないおかずクレープもある。僕らはどうしてもクレープイコール甘い食べ物という認識が強い。
待ちながら看板を眺めて、これも美味しそうだねと話に花を咲かせていると、僕らの順番が回ってきた。
すでに決定しているクレープを注文して、凍えた手を擦りながら待つ。昼間で天気もいいけれど、空気がとても冷たい。首まであるコートを着ていても寒いものは寒い。手袋をしないのは、食べるときに握りにくくなっておとしてしまうからだ。
「お待たせしました、どうぞ!」
店員さんの明るい声に、寒くてどんよりとした雰囲気が吹き飛ばされていった。クレープを受け取ったのはひまりちゃん、一つを僕に手渡してくれる。
そうそう、これだ。きつね色よりも少し薄い色をしたパリッとしたクレープの生地は、バナナや生クリーム、それにバニラアイスが包まれていて、仕上げにチョコシロップがかかっている。キッチンカーと同じ、ピンク色の紙で包まれたクレープは見た目だけで心を弾ませる。絶対に間違いなく美味しい。
「陸!」
耳元で名前を強く呼ばれた僕は、驚いてびくっと体を震わせてしまう。
「離れないと」
空いた片手でひまりちゃんは、僕のコートを引っ張っていた。クレープの世界に没頭しかけてしまった。
「ごめん」
謝ってからすぐにキッチンカーから離れて、僕らは商店街から出た小さな公園へと急いだ。日曜日なので色々な人たちがいる中、僕らは空いたベンチを確保してすぐに座ってクレープを食べ始めた。
出来立てのクレープの生地はほんのりと温かいので、生クリームやアイスが溶けやすい。しかも僕のクレープはチョコレートソースもかけられているから、時間の経過と共に生地に染み込んでいってしまうのだ。さらにクレープを巻いている紙に浸透してしまうと、手がチョコレートまみれになってしまう。
だから躊躇なく僕は、巻かれた紙を少しだけずらしてクレープにかぶりついた。
香ばしくほんのりと甘い生地、そして追ってくる生クリームとチョコの濃厚な味、そしてその奥にあるバナナを噛み締めると、もう至福としかいえない味が口中に広がる。まだアイスは口には入っていない。
バナナとチョコレートの組み合わせを発見した人は偉すぎる、間違えなく美味しい。それに生クリームの甘さが加わって、色々な甘さが味わえる。
「美味しいなぁ」
「美味しいね。……うん」
僕の顔を眺めながら、ひまりちゃんもクレープを食べ続けている。その手は一切止まることはなかった。アイスが入っていなくても、生クリームも熱で溶けやすいから、それなりに急いで食べる必要がある。
「本当、陸は美味しそうに食べるよね」
「……ひまりちゃんもそうなんだよ?」
僕にいいながらも、ひまりちゃんの顔もにこにことしていて、美味しそうに食べている。この顔が大好きで僕まで嬉しくなってしまう。
「だってイチゴと生クリームの組み合わせ最高なんだもん。甘酸っぱいイチゴと濃厚な生クリーム、もう幸せすぎる」
「もっと食べられる胃だったらよかったんだけどね」
さすがに三十代ともなると、暴飲暴食は控えていかないと、これからも美味しい料理を食べていけなくなってしまう。
「そんなこといってないで、目の前のクレープを食べないと。溶けちゃうよ?」
そうだった!
僕は慌ててクレープを頬張る、すると今度は冷たいアイスの味がして、あまりの甘さの組み合わせに目を細めてしまう。
美味しい。
濃厚にさらに濃厚が追加されて、しかも冷たいから味全体が引き締まるような感じがする。口の中が甘さで支配されていって、何か飲み物を飲んで口の中をさっぱりさせたいけど、でもこの味に浸っていたい気持ちもある。
「美味しいなぁ」
「美味しいよね」
「あらあら、美味しそうに食べるのね」
無我夢中でクレープを食べていると、見知らぬおばあさんがにこにこと微笑みながら僕らを見ていた。
「幸せそうでいいわね、ずっと見ていられるわ」
「あはは、恥ずかしいですね」
「恥ずかしいことなんてありますか。美味しいクレープなんでしょう?」
『はい!』
僕らは声を揃えて返事をしてしまう。その様子に、おばあさんは声を上げて笑ってしまっていた。
「私も食べてみようかしら、そんなに美味しいなら」
そんなことをいわれて、僕らは照れてしまっていた。
外食するとよく言われることが多くて、今回が始めてではなかった。
だって美味しいものを食べると、笑顔が浮かんでしまうのだから仕方ない。
そう思いながら、僕はおばあさんにクレープ屋の場所を伝えて、急いでクレープを食べ終えるのだった。
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