最終話
「ん?
どした?菫」
蛹はまるで今まで何もなかったかのように病院で一人スマートフォンをいじっていた。
その顔は傷ひとつない、普段と全く変わらないものだった。
拍子抜け。
でも、人生で一番嬉しかった。
登って来たばかりの太陽が、彼女を祝福しているかのように喜んでいた。
「元気……なの?」
私は彼女に問いかけた。
「うん、なんか手術中に二個あったはずの致命傷が消えたらしいわ。
ウチは寝とったからようしらんけどな」
傷もやっぱり一個増えた?
いや、そんなことはどうでもいい。
今、彼女はここにいるのだから。
緊張の糸が一気に解けた。
私の目からは一筋の雫がこぼれだした。
呼吸をするごとに涙が一粒増えていく。
私は彼女に抱きついた。
「ちょっ、痛い痛い」
そう言っても、私は力を緩めることなく彼女が、今ここに生きていることを確かめるように抱きしめていた。
私は何分かそのままでいた。
いや、実際は数十秒間という微かな時間だったのかもしれない。
それでも永遠にも感じるような時だった。
私が病院に見舞いに行ってから数日。
彼女は不思議な力のお陰で、もうとっくに身体に異常などなかったため、医師もどうすることもできずに退院した。
いや、唯一異常があるとしたら、私の願いは「蛹を祭りの前に戻して」だから、彼女は祭りから後の日の記憶を全て失ったことか。
それでも、そんな些細なことは彼女にとってはどうでも良かった。
私はトラックにいる蛹の姿を目に焼き付けていた。
優勝なんて、せんくていい。
走りたい。
大会前、そう語った彼女が今、鳴らされた号砲を聞き、駆け出していった。
いっこふえる少女 友真也 @tomosinya
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