第9話

「あっぶな!」

 私は門が閉まるギリギリの時間に学校の敷地内に入れたが、代償としていつもの朝の蛹みたいに大量の汗が全身から吹き出していた。

「はぁ……最悪」

 あんなところで寝落ちしてしまった自分を恨むしか無かった。

 ちなみに家に帰ると、もう朝ごはんができている時間だった。

 当然、訝しむ視線を私に向けてきた母には、「外を走ってた」と言って、なんとか誤魔化した。

 席に着くととりあえず肌が出ている部分の汗を拭き取る。

 他は後で更衣室に入って処理するとしよう。

 しかし、いつもこの時間にクラスに入ってくる彼女はいまだに姿を現さない。

 上がる心拍数。

 すぐにでも教室に入ってきて安心させてほしいのだが、一向に入ってくる様子はなく、チャイムまでのカウントダウンは刻一刻と進む。

 それが鳴っても、結局席は空っぽのままだった。

 担任の老紳士も特に欠席事由に触れることなく、朝の連絡事項を抑揚なく処理していった。

 私はいても立ってもいられずに、その先生に話を聞く。

「先生、蛹ってなんで休みか知ってます?」

 老紳士は、理由が分からないというものではなく、どちらかといえばこれを言っていいものかと思っているような悩ましげな表情を見せた。

「うーん、あんまり大きな声じゃ言えないんだけどね……

 七宮さん、部活帰りに事故にあったらしいんだよ」

 言われた瞬間、私は思いだした。

 彼女が願ったことを。

 

 願いが叶っていても、その時にはもうすでに手遅れだったら……

 脳内にはさまざまなことがよぎった。

 きっと彼女のことだから下校時間ギリギリまでひたすら練習していたんだろう。

 ヘトヘトになった彼女は気付くのが遅れて……

「どこの病院にいるんですか?」

 私は不安だった。

 願いは間に合っているのか。

 早く答えを見たかった。

「そんなのは言えないよ」

「いいから、言って!」

 私の普段見せない迫力に気圧されたのか、先生は小さな声で「西武蔵病院」と返す。

 ここからは、歩いて三十分くらいだろうか、当然だろう。

「先生、藤原 菫、本日早退します」

 私は先生の静止を振り払って廊下をかっ飛ばす。

「どこ行くんだ、ちょっと!

 頼む、出ていくのは許すから、頼むから早退届を書いてくれ……」

 聞こえてるけど、頭に通さない。

 階段を駆け下りていく。

 先輩後輩同級生、色んな人がすれ違う私を珍しいものを見るかのように目で追っていた。

 そんなことも気にせずに、私は疾走し続ける。

 昇降口に到着し外ぐつに履き替えると、私は自分の通学用自転車に乗り込み、足にモーターがついているかのように全力でペダルを回した。

 いなくなっちゃだめ。

 私にはまだ蛹が必要なの。

 あなたが消えちゃったら私はきっと元の自分に戻っちゃう。

 無事でいなくてもいい。

 ただそこに生きていて——


「あの、その、七宮 蛹さんは何階に入院してますか?」

 私は飛び込むようにエントランスに入ったあと、病院が開いたばかりなのに誰も並んでいない受付に問いかけた。

「少し待っててくださいね……三階の三百六号室です」

 平日で私が制服姿だったからか受付の女性は少し目を見開いたが、すぐに顔を戻して答えた。

 早く行かなきゃ。

 私はエレベーターを待つ時間もその場に留まっていられず、階段を全力で登る。

 三階、三百六号室。

 人生で一番早い鼓動を感じながら、私はその扉を開いた。

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