第8話

 夢の中には時計も何もないので、正確なところは分からないし、そもそも夢の中と現実世界の時間の進み方は違うのかもしれないが、蛹が口を開いたのはさっきの言葉から一時間ほど経ってからだった。

 彼女は神妙な面持ちで語り始めた。

 今までの私との思い出を、走馬灯を語るかのように。

「初めて菫のことを見た時はさ、正直なことを言うとそこにおるだけの存在、木彫りのクマみたいなもんやと思ってた。

 でも、ウチはそれに憧れてたし、初めて喋れた時は嬉しかったわ。

 あんな形やったけど。

 そっから仲良くなっていろんなとこ行ったなぁ。

 ディズニーも、焼肉も、ゲーセンも、寿司も、ラーメンも、イタリアンも。

 ああ、ごめん、今おなか減ってんねん」

 彼女は軽く苦笑いをした。

 私は声をかけようとするが、喉が震えない。

 その間にも、彼女はどんどんと話を進めていく。

「体育祭も文化祭も楽しかったし、頑張って走ってた菫は、カッコよかった。

 今年は二人三脚もあったし、一緒に走りたかったんやけど」

 え?

 まだだよ。

 体育祭はまだ始まってない。

 二人三脚の走者すらまだ決まっていない。

 なんでそんな、一緒に居られないみたいなこと言うの?

 私は今置かれている自分と彼女の状況に気づき、必死にこの夢の世界から抜け出そうとする。

 しかし、目は覚めない。

 体は動かない。

「最後まで話聞いてや」と彼女に腕を掴まれているような、そんな感覚だった。

「二人で不思議な体験した祭りも楽しかった。

 あ、あの店員は今も許しとらんけど」

 はっはっはと大きく口を開け、蛹は笑った。

 私はとてつもなく焦っていた。

 蛹が消えてしまうような、そんな気がした。

 そして、彼女は私が一番聞きたくない言葉を発する。

「そんじゃあ、お暇させてもらいますわ」

 待って。

「菫、今まで」

「言うな‼︎」


 私は周りをキョロキョロと見回す。

 学習机、椅子、漫画。

 どうやらすんでのところで目が覚めたみたい。

 生暖かい風がどんよりした気分で入り込んでくるいつも通りの自分の部屋だ。

 財布を引き出しから取り出し、急いで玄関に向かって自分のスニーカーを紐すら結ばずに履いた。

 おそらく、タイムリミットはそこまで遠くないだろう。

 親が寝ていることなんて気にも留めないまま、私は家を飛び出した。

 全速力で、前へ前へ。

 あの先の言葉なんて、絶対に言わせない。

 明日も明後日も、これからも一緒に横並びで走る。

 夕方に走った時にはすぐに限界を迎えていたのに、不思議と長い時間全速力で進むことができたが、限界が無いわけではないことは人間なので当然だった。

「はぁ、はぁ」

 私は息を切らしながら、肺が潰れそうになりながら走る。

 足は悲鳴をあげて、何度も何度も転びそうになった。

 でも、走らなきゃいけない。

 私を私にしてくれた、蛹のために!

 二十分ほど駆けて、ようやく目的地を捉えた。

「やっと着いた、あの神社。」


「ライト、忘れちゃったか」

 急いで飛び出してきたからか、スマートフォンも持ち合わせていない。

 銀河が誕生する前のような暗さでデコボコだらけの参道を疲労困憊の足で進んでいく。

「痛っ!」

 こんなに走ったことは久しぶりだったからか、ふくらはぎが攣ってしまった。

 でも、それでも止まっちゃいけない。

 蛹への気持ちが私を本殿に向かって突き動かす。

 この場所が怖いとか、逃げたいとか、初めてここに入った時に思ったことは今は全く感じなかった。


 かなりの時間右足を引きずりながら進むと、なんとかあの時のこっちを見つめてくるような狛犬の姿を瞳にとらえた。

 一歩一歩歩みを進める度、砂利の鳴る音が私の心音をかき消していく。

 本殿と一直線上に立った。

 少し体が固くなりつつも私は空唾を飲み込み、賽銭箱の方に向かう。

 蛹がどうなるかなんて分からない。

 もしかしたら蛹はそもそも元気で、こんな願いはいらないかもしれない。

 でも、少しでもまずい状況に陥ってる可能性があるなら私は願う。

 私は彼女を元気にすると同時に、もうひとつするべきことがあった。

 それは、「なんでも一つ増やして」という願いをなくすこと。

 例え彼女が危なくなっている原因がこの願いじゃあなくても、将来、例えば癌が一つ増えるとなると取り返しがつかない。

 長財布を取り出し、小銭をしまうところのチャックを開けて、賽銭箱に一番重い硬貨を投げ入れた。

 二礼二拍手し、私は目を閉じ、両手を合わせる。

 願いは一つ。

(蛹の状態を、‼︎)

 最後に一度礼をすると、私は溜まった疲れがどっと押し寄せてきたのか、その場にぺたんと座り込んでしまった。

 あ……眠い。

 こんなところで寝たらだ……め。


 意識が戻ると日が昇る直前だったようで、テーブルを囲む家族みたいに赤みがかかった空が、私の目覚めを出迎えていた。

「ここは……」

 あたりをキョロキョロ見渡すと、商店街の一角に戻ってきていた。

 後ろを振り返ると、そこにあったのは雑居ビル。

 神社なんて影も形もなく、視界には商店街という言葉が似合う街並みが残っているだけだった。

「蛹は……?」

 私はこんなところまで来た目的である蛹のことを思い出した。

 彼女は無事なのか。

 一番いいのは私の夢がただのそこらへんに転がり落ちているような悪夢で、彼女が今日もいつも通り学校に来ることなんだけど。

 学校……?

 そういえば昨日が夏休み明けの初日。

 まずい、今日って平日じゃん。

 ……いや違う、学校なんかよりまずはお見舞いに行くべき。

 でもそもそもこれは夢から全て杞憂なのかもしれない。

 入院なんてしておらず、元気にいつも通り学校に来るかもしれない。

 それに、入院していると言われても、それがどこなのか私にはさっぱり分からない。

 …………

 担任なら詳しくは無いかもしれないが、もし彼女が入院しているとしたらきっとある程度把握しているだろう。

 もちろん彼女が学校に来るのが一番だが。

 なら次の目的地はやはり学校だ。

 私は攣った足で出せる全速力で家まで帰った。

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