百九十三話 瑞稀、白露(十)

 眼下の灯りは、やっぱり東京あっちとはだいぶ違うもんなんだな、と思いました。あっちの灯りは海以外には途切れ無く続いてるけど、福岡ここのは集積したものが真っ黒の平面上にぽつんぽつんと偏在してる感じ。海の傍に拡がる灯りの群れだけは、ちょっとあっちと似てる。

 でも私は、ここも抑揚が効いてて悪くないって思っています。


 五日ぶりの福岡。閑散とした夜の到着ロビーに、ふたりは立っていました。


          *


「おかえり瑞稀」

「あらためまして、おつかれさま、瑞稀ちゃん」


 ここは天神の少しはずれ、岩田屋デパート裏の地下にあるダイニングバーです。午後十時を回っているのにお店の賑わいはこれからって感じ。連れてきてくれた灰田さんの話によれば、午前三時まで開いてるんだそうな。栄さんや私の住まいに近いこのあたりにこんなお店があったなんて知りませんでした。

 栄さんと灰田さんがワイングラスを軽く合わせてきます。私もおそるおそるぶつけ合いますが、本来ならマナー違反なのでは、と思っていたら栄さんが説明してくれました。


「格式ン高かお店なんかじゃ音立ててぶつくるなんて言語道断ちゅうところもある。そもそもワイングラスは割れやすか。けどな、ぶつくる乾杯ばせんっちゅうとは、むしろ食事ン形式から来とぉって説もあるっちゃよ」


「食事の形式?」


「そう。決まった席に座ったら動かんで、自分の目ン前に小分けに用意された料理ば食べるって形ばい。立ち上がるんも御法度やけん、手ば伸ばしたっちゃグラスが当たらんとよ」


「なるほど」


「グラスを割ったりとか迷惑なことをせずに節度を守ってさえいれば、こういうフランクなお店では自由にしていいんだよ。なんせ、楽しみに来てるんだから」


 ラクレットのかかった温野菜を取り分ける灰田さんが、栄さんの話を引き取りました。

 ここ一ヶ月もやがかかったみたいだったふたりの表情は憑きものが落ちたかのようにすっきりしていて、以前のいいときの顔に戻っています。

 灰田さんから手渡された小皿のポテトをひとくち食べました。濃厚なチーズがのっていて美味しい。お腹にじわーってくる。ああ、そういえばもんじゃ焼きのあとはなんにも食べてなかったんだっけ。そう気づいたら、急に食欲が湧いてきました。こんな時間だけど今夜はいいよね。



「今回は、瑞稀ちゃんがいなかったら、今頃きっと僕はお通夜みたいになっていた。瑞稀ちゃんさまさまだよ、いやホントに。これからは足向けて寝られないね」


「ミツルから聞いたけど、相当怒ったはらかいたんやっちゃ? そん発破ばなかったら今は無かね。瑞稀にはほんなこつ世話になったばい」


 今回ばかりはふたりの言葉を素直に受け取っとこうと思います。だって本当に、私がいなかったら今頃ふたりの道は完全に別れ別れになっていたんですから。


「で、おふたりはこれから先どうされるんですか?」


 顔を見合わせたふたりは、栄さんの目の合図で答弁の代表が決まったようです。手にしていたフォークを置いて、灰田さんが口を開きました。


「早いうちに籍を入れようって話をしてる。たぶん年内に」


 少しだけ目を伏せた栄さんの頬が朱く染まってる。


「すぐにでもって言ったんだけど、お互い二十歳の若造じゃ無いんだから、関係者や親族を行脚あんぎゃしてちゃんと説明してからの方がいいって栄が・・・・・・」


ついのつれあいになるっちゃけん、回り全部から祝うてもらわないかんちゃろうって思うて」


 すかさず繋ぐ栄さんの連携に、私は感動します。

 そうか。このおふたりは夫婦になるんだな、と。再会して復縁して恋人同士になる、ではなく、十六年間止まっていた時計を再び動かしたら、以前の結婚目前だった状態からスタートする、みたいな。

 なんだかコンビニの冷凍食品に似てる。私はそんな連想をしました。解凍したら、すべての調理が済んでいてすぐに食べられる状態になるパスタやラーメンやお好み焼きとか。

 栄さんたちは、ふたりでいた過去の時間の間に十分な熟成を済ませていたんですね。

 思い描いていた未来の形にぴったりとはまる結果を目の当たりにして、私の満足感は最高潮になっていました。私、やりきりましたよ、完璧に。

 おしどりのように仲睦まじいふたりの微笑ましい姿を見つめ、達成感にうち震える私の頭の中に、ひとつの台詞がうかびあがってきました。


「お医者さんは、ちょっと可哀想かもですけど」


 狛江に向かう車の中で、私の話を聞いた皆川さんがつぶやいたひと言。

 ああ、そうでしたね。ペアを決めるレースに出走者が三人いれば、誰かひとりは敗者となって退場しなければいけないのです。圧倒的な差があったり不当な行いをした自覚があったりすれば、コースを後にすることになっても自分を納得させることは容易でしょう。でももしも自分に落ち度が無かったら。綿密な計画を設計図通り実施し続け、最良のパフォーマンスとまるで不足の無い着地点を用意していたのに、そのうえで負けてしまったとしたら、その失意はどれほどのものとなるのか。

 強引さだって持ち味です。安曇さんのブルドーザーのようなパフォーマンスは、少なくともそこに小賢しい邪心は見受けられなかったに違いありません。結婚相手として考えるならお釣りが出るくらい申し分ない優良物件だったと思います。そしてそれは、彼自身も自負していたはず。にもかかわらず、後戻りの無い線路に乗せる最後のターンを目前にして、トンビに油揚げをするりと横取りされてしまったのです。

 どうしたって私の立場は灰田さんサイドですから、今の状況には慶びしかありません。でもその裏で、今まさにうちひしがれ、謂れの無い自責にさいなまれているひとが確実にいる。そのことを忘れてはいけない、と思ったのです。


 ほんの僅かではありますが、私は願い事のリソースを彼のためにも振り分けます。

 安曇凛太郎さんが、この先新たな恋を見つけ、いずれ幸せになれますように。

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