百七十三話 瑞稀、処暑(六)
波照間島に来て早や五日の木曜日。明後日の朝には島を離れて帰途に就きます。
この五日間、とにかく一日の流れがゆったりしてて。昼間は強い陽射しを避けて開け放した広間でゆったりと過ごし、夜は大嶺さんのお宅にお呼ばれして夕餉をいただく。訪問者は昼も夜もひっきりなしで、冨嘉集落にお住まいの人とはもう全員お会いしたんじゃないかと思えるほど。みんな本土の話を聞きたがっているのです。その度に祖母が得意の口上を披露するって感じ。同じ話を何度も聞かされた私なんかは、祖母の半生を知り尽くしちゃったくらいです。
おばぁと同じくらいの年配の方々からは戦争のころの話を聞きました。
私たちも知識で知っている太平洋戦争末期の沖縄戦の最中、波照間のひとびとは日本軍の命令で隣の西表島に移住させられていました。波照間島自体への直接攻撃は終戦まで無かったのですが、日本軍の物資調達(主に家畜)のための強制措置だったそうです。
当時マラリア地帯として知られていた西表島に移された波照間のひとびとの多くは、戦後帰島したときにはマラリアに感染していました。帰ってきてみたら家畜は根こそぎ持ち去られ、畑も荒れ放題。食糧難で体力を失っていた島のひとびとは容赦なく拡がる
皺くちゃな貌をさらに歪ませて口惜しそうに語るおばあさんたちを見つめながら、私は当時の島の様子を想像してみました。でも充分に思い描くことはできなかった。
たぶん今と同じように照りつける陽射しと真っ青な空と海の間で、荒れ果ててしまった畑を前に痩せ細った島のひとびとが慟哭をあげたことでしょう。簡素な家の暗がりには、高熱に冒されてうめくことしかできない病床の家族。戦闘とは無縁の日常を過ごしていたはずの平和な民が軍の都合に振り回されて生活のたつきを簒奪され、あまつさえ伝染病まで押しつけられた姿は、私の拙い経験や知識だけではイメージしきれなかったのです。
老人たちの
*
「こんな小さな島にもいろんな伝説があるのよ」
大嶺さん宅からの帰り道、夜空を覆う星屑を見上げながら祖母が語りだしました。私の背では宴席に疲れたおばぁが寝息を立てています。
「四百年くらい前、薩摩藩の圧政に耐えかねた島の若者が仲間たちを募って船で逃げ出したのよ。この島の南にあるという楽園、
「どうなったの? そのひとたち」
私の疑問に祖母は首を振りました。
「知らない。そもそも、そんな島は無いのよ。少なくとも地図上には。それにまったく同じ伝承が与那国島にも遺ってる。あっちはパイパティローマじゃなくて
夜空を見上げる祖母に釣られ、私も顔を上げました。満天に散らされた小さな光は、そのひとつひとつが数多のひとびとの物語のようでした。いつの時代でもひとは想いを巡らせたんですね。ここではないどこかを希求して。
*
「ミズキ
戸板を全部外して
「無理よお母さん。瑞稀だって福岡で仕事があるんだから、そういつまでも夏休みしてるわけにはいかないのよ」
祖母の言葉に呼応するように、私もおばぁに振り返って曖昧な笑顔を返します。そう。来週には波照間島最大のお祭り、ムシャーマが開かれるのです。
ムシャーマは島全体の豊年祈願の祭事で、島の集落が三組に分かれてそれぞれの仮装を披露するんだそうです。古くは神様を象った仮装と組の豊穣を競う綱引きがメインだったのですが、小競り合いのもとになるという理由で綱引きは中止になり、いまは仮装行列だけなんだとか。
私たちが寄せてもらっている冨嘉も、お隣の名石集落と合同の西組として行列に参加します。私が浜辺を散歩したり家でぼーっとしてる間も、集落のひとたちは仮面や衣装をつくったり三線を奏でて
「すりならトキ
自分だけでも残っていかないかと誘われた祖母は思案顔をしています。見た感じ足腰もしっかりしている祖母は、私の介添えが無くても羽田まで戻ることくらいはできそうな気もします。
「私から伯母さんの方に連絡して羽田まで迎えに来て貰うよう言っとくから、お祖母ちゃんだけでも残ってムシャーマ観ていく?」
うーんと唸っていた祖母は、気持ちの定まった顔を上げて応えます。
「お母さんが元気なのはわかったし土地のひととも繋がりが戻ったから、今回は帰るわ。ムシャーマは、また来年でもくればいいし」
そんときは瑞稀も誘うからと付け足した祖母は、にかっと笑いました。
私と祖母のやりとりを黙って聞いていたおばぁは、おもむろに身体をおこすと膝を使って私のところまでいざり寄ってきました。縁側に座る私の膝に手を置いて覗き込むように顔を寄せてきたおばぁは、やがて目尻の皺を烏の足跡のように深くしてこう言いました。
「
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