百五十三話 瑞稀、大暑(六)

 難航していたフライヤーのデザインですが、超強力な助っ人が現れたので悩みが一気に解消しそうです。


 木曜日の午後、ヴィルトシュテルンの星野さんがふらっとやってきました。近くまで来たのでちょっと寄ったという感じです。オルタの初号機を持ってきてくれたのが六月の半ばでしたから、お会いするのはかれこれひと月半ぶり。あいにくと灰田さんは週末までお出かけなので、私ひとりが応対します。


「まだメモレベルだけど、第二弾以降のシリーズはこんなのを考えてみてるッス」


 パーティションに仕切られた打ち合わせルームで向かい合う星野さんが、タブレットをこちらに差し出してきました。画面には二列三段で六枚の画像。そのひとつひとつに同じアングルで違うデザインのオルタペストリーが嵌め込まれています。

 荘厳な山の頂、飛び立つ鳩の群れのシルエット、すべてを悟ったような瞳の牛の貌。私は一枚ずつ拡大して拝見しました。どれも今どきの住居の壁にしっかりマッチしそうなのに、ちゃんと気持ちを落ち着かせて、普段とは違う遠くを見る気分にさせてくれるデザイン。


「あんまり宗教がかったもんばっかもどうかって思って」


「すごいです。とってもいい。これなら日本だけでなく、どの国の、どの民族の人たちにでも使って貰えそう」


 星野さん、自慢げな笑顔を浮かべています。アイディアやデザインなんてなんぼでも出しますって言ってた打ち合わせの席を思い出しました。さすがです。自分からああ言ってくるだけのことはある。


「展示場の方はどんな具合なんスか? 今回は最初だから東京まで見に行こうかなって考えてんスけど」


 ああ、それなら、と応えて私も持ってきていたカンプの写しを広げました。


「おお! 展示場をマンションの一室にしちゃうわけッスね。こりゃいいや」


 いいリアクションしてくれる星野さん。今度は私がドヤ顔する番です。


「住んでるひとのイメージが湧くッスねぇ。観た感じ、共働きの夫婦かな。バイク乗りの奥さんとカメラが趣味の旦那。新婚旅行にイスラム圏行っちゃうってのはなかなかのこだわり・・・・・・って、この奥さん、波照間さんじゃないッスか!」


「なんかそういうことになっちゃって」


 その件については苦笑いするしかありません。


「や、いいと思う。だって当日、波照間さんはそこにいるんっしょ。僕が来場の客だったら絶対食いついちゃう」


「みんなそう言ってくれますけど・・・・・・」


「いや、いい。絶対いいッスよ、この仕掛けは。てかこれ、夫婦のペルソナまでつくったんスか?」


「わかります?」


 わかるッスよと言って、星野さんは大きく手を広げ、それから腕を組みました。


「嬉しいッスねぇ。自分のつくったのがこうやってちゃあんと考えたブースで展示されるってのは。こりゃ絶対見に行かんと」



 ところで、と私は切り出しました。


「いまちょっと困ってるんですよ。当日配布用のフライヤーづくりで。星野さん、ちょっと見て貰えます?」


 横に置いていたファイルから数枚の紙を出してテーブルの上に置きました。私の描いた鉛筆ラフ。それらに手を伸ばし、星野さんは一枚ずつ検分します。


「ふーん。なるほど」


 紙を揃えてテーブルに戻した星野さんは、顔を上げて私の目を見つめてきました。


「了解ッス。これ、僕がつくりましょ」


 え? いいんですか、そんな余分なこと。

 咄嗟にそう思った私の考えを読んだかのように、星野さんは続けます。


「ただで、てのも寝覚め悪いだろうから、印刷まで持たせてくださいよ。そしたらデザインフィーは捻出できっから」


 頭の中で計算しました。私がデザインをしたとしても、いずれどこかに印刷をお願いする必要はあります。それに、せっかくいろんなひとたちが頑張って知恵を絞った展示会なのに、持ち帰ったフライヤーの拙いデザインでそのイメージを台無しにしてしまうのはあまりにももったいなさ過ぎる。


「あの、お願いしちゃっても、いいですか」


「大船に乗っちゃってください。納期と部数と予算の上限をあとで送っといてくれれば、即日で見積もり出すッス」


 うわ。めちゃくちゃ助かる。心配事のひとつがこれで完全消滅してくれるよ。

 星野さん、今日来てくれてありがとう!



 帰り際に星野さんはこんな言葉を言い残していきました。


 当日は一来場者になって、この夫婦の馴れ初めとかを想像しながら観させてもらうッスよ。


 観に来た人に、夫婦の機微について興味を持ってもらう。それができればきっと、私たちと来場者の親和性アップに繋がることでしょう。マンションのお部屋のつくりこみだけじゃない、もうひと押しできるようななにかがあれば。

 喉元まで出かかってるなにかを私は探ります。もうちょっと。あともう少しだけ手を伸ばせば。


          *


 日曜日の午後に部屋の掃除をしながらも、私は思索の海にとらわれていました。

 来場者のハートを鷲掴みにするツール、灰田さんと栄さんのこと、沖縄旅行、エミールの物語、恋愛に積極的になれない私。あっちに飛びこっちに戻りでうろうろしてるだけだから、頭の中がぜんぜん整理できない。クールダウンして、ひとつずつ片づけていかないと。

 簡単なお化粧をした私は、ノートパソコンだけ詰めたトートバッグを肩に掛けてパークライフに向かいました。でも期待してた栄さんは、今日も不在。電話やLINEで確かめれば済むんでしょうけど、それはなんか違うって思ってしまう。

 ハイボールとコロッケだけ頼んでふたり掛けのテーブル席に腰掛けた私は、ナプキン立てを端に寄せてノートパソコンを開きました。

 コロッケを頬張りハイボールを飲みながら、エミールたちの物語を読み返す。

 そっか。エミールとリヒラも、いまは酒場にいるんだった。


「最初にお前の最大の心配事を解いてやろう」


 そんなリヒラの台詞を打ち込みながら、私は一瞬だけ別のことを考えます。

 私にもリヒラみたいなひとが現れてくれないかな。瑞稀はこうすればいいって手を引いてくれるような。そんな都合のいいだけの話なんて、ないか。そもそも、私の最大の心配事ってどれなんだろ。


 今日の分を書き終えた私は、デザリングで繋がった呟きの大海原にいまできたばかりの百四十字のエピソードを放流して、ノートパソコンを閉じるのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る