百四十八話 笠司、大暑(三)

 土曜日の現場は郊外のショッピングセンター。夏休みを当て込んでの子ども向けの集客イベントだ。僕の役目は会場運営のサポート。マイク付きのイヤホンを耳に差し、困ってる人や困った奴を探しながらスタッフTシャツで会場を練り歩く。そんな仕事だ。

 人ごみの中を歩きながら、僕はずっと物語のことを考えていた。新しい話も考えてはみたいが、なによりも今は、止まってしまっているあの話を。



 小学五年生のサトル少年は、義父からネグレクトを受けている。娘を亡くしたばかりで心が弱った母親はそれを知ってはいても、見過ごすことしかできない。


 少年には聡明で美しい姉がいた。高校受験のために通い始めた学習塾で、姉はひとりの講師に目を付けられる。狡猾なその男は母子家庭の弱みに付け込み、母親に求婚して、あっという間に義父に収まった。そこから男の姉に対する粘着が始まる。

 早々に姉の純潔を散らせた男は、そのまま姉を奴隷人形のように扱う。それも母親と弟にはバレないように。家族の平穏を人質に取られた姉は、唯々諾々と男に従う。が、それはある日破綻する。男と一緒にホテルに入っていく姿を、弟のサトルに見られてしまったのだ。泣き狂いながら男のされるままになった姉は、その日の夜にサトルから誰何されたことで心が折れ、自ら命を絶った。

 義父である男のネグレクトは、せっかくつくりあげた玩具人形をサトルのせいで台無しにされたという逆恨みから始まったのだ。


 敬愛する姉を亡くし、姉の愛した沈丁花の庭木だけをよすがに生きるサトルは、姉を蹂躙し死に追い込んだ義父を殺したいほど憎んでいた。

 雨の公園で絶望に打ちひしがれるサトル少年の前に、ひとりの美しい女性が現れる。

 ちさと28と名乗るその女性は、自らがネットワークAIが司る汎用ヒューマノイドの試作品であることを明かし、モニタリングの無作為抽選で選ばれたサトル少年をマスターとして、たった今から三十日間サーバントを勤めると宣言した。


 最初の夜に義父を家から追い出したちさとは、さほどときを経ることもなく、彼女抜きでは成り立たないほど完璧な家族の一員となった。

 ネットワークAIには五段階の運用原則(ILv)があり、世の中のすべてのものを知性や再現性を基準にカテゴライズしていた。例えば再現性の高い玄関のドアは非常時なら破壊しても良いが、希少な工作品や生命体を損なってはいけない、とか。だがそれとは別に、個体であるちさと28にはマスターによる指定でもって、より上位の守るべきものを設定できるようになっていた。サトルは上位品目(ILv90s)の最上位99に姉の沈丁花を、90にサトル自身を指定した。

 いくつかの新しい経験をこなしながら、サトルとちさとの平和で充実した日々は過ぎていく。

 モニター期限を明日に控えた夜、ちさとがメンテナンスで不在の深夜を狙って刃物を持った狼藉が家を襲ってきた。義父と彼が雇った仲間ふたりだった。

 成すすべもなく抑え込まれたサトルは、義父から姉の死の真相を聞かされる。お前にバレたからあいつは自殺したんだ、と。

 狂気に駆られている義父は、今からあの沈丁花を切り倒すと宣言した。

 


 今年の二月から五月の中頃までのあいだツイートで紡いできたSF小説『少年と彼女(仮題)』のあらすじはこんな感じだった。

 本来だったら毎日更新するはずだったその連載小説を、僕はもう二か月以上ほっぽらかしている。「お前が大事にしてるあの木を切る」と息巻いたはずの義父は、いつまでたっても切り始めようとしない。


 なんか、上空に巨大なメテオが迫ってるのに延々とチョコボレースに興じてるクラウド一行みたいだな。


 いや、いつまでもチョコボレースを、もとい、仕事を理由に物語を進めないなんて、物書きを目指すものがやっていい所業じゃない。それこそ今すぐにでも、僕はあの物語をもう一度走らせないといけないんだ。


「エムディスの皆川さん、聞こえますー? ステージ前で酔っ払いがMCさんにちょっかい出してて演目が進められませーん。至急対処をお願いしまーす」


「了解。急行します」


 そう応えて、僕は早足でステージに向かった。

 あっちもこっちもおんなじことをやってやがる。


          *


 何度かの書き直しを経て、再開の一話をツイートしたのは日付が変わって二時間を過ぎたころだった。

 自分の中のルールでは、一日一本。でも、これだけイレギュラーに大穴を開けた身としては、そんなルールくそくらえだ。もう一本、いやせめてもう二本は今日中に出してやる。そして、月曜からは元のペースに戻すんだ。

 そう決めたら安心したのか、急激に眠気が襲ってきた。


          *


 日曜も同じ現場。午前中からぶっ通しで会場に立っていた。これ、屋外だったら熱中症で倒れるレベルだな。だがその甲斐あって、夕方五時過ぎに解放された。


「おつかれさん。あとはこっちでやっとくよ。俺、明日は休みだし」


 こっちは明日も定時ですよ、と言い返したいのを我慢して、僕は控室をあとにした。混ぜっ返して長引く方がよほど無駄だ。それよりも。


 電源付の席が空いてるのをたしかめて、駅前のドトールに僕の居場所を確保した。

 部屋に戻る時間がもどかしい。早く、早く更新がしたい。物語の続きは仕事の間に考えてある。あとは百四十字にまとめるだけ。

 残り二十パーセントを切っているスマホに充電ケーブルを繋ぎ、ストローを使わずにアイスコーヒーを飲んでから、僕は執筆にとりかかった。



 今日二本目(未明の分を入れれば三本目)を投稿し、二杯目のアイスコーヒーと共同でジャーマンドッグをやっつけていたらスマホが震えた。

 まさか。反応には早すぎるだろ。フォロワー三十人しかいないのに。

 画面を開くと、その「まさか」だった。



月波@tsukiandnami


蔵六さんが小説再開してる!!

マズイ!

ボクも書かなきゃ(大汗)

―――――午後6:34 · 2023年7月23日

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