二百十一話 瑞稀、寒露(四)
「報告します。昨日カレシができました!」
食事中からずっとうずうずしていた
「昨日、ですか?! だって涌井さん、普通にお仕事されてたじゃないですか。いつの間に、そんな電光石火を」
うんうん、
「どどどどど、どこのどなたなのですか」
水晶ちゃんも動揺を隠せてません。
三人の視線が集中する焦点で、もったいぶった涌井さんは、んふんと鼻を鳴らします。
「ま、そんな凄いことがあったわけでもないんだけどね」
注視するしかない私たちをじらすかのように、スプーンですくった杏仁豆腐をつるっと口に入れる涌井さん。いいから、さっさと続けて!
「ほら、あたしって韓流オタクじゃない。当然だけど、そっち方面のコミュにもいくつか入ってるのよ。そのうちのひとつ、最近はほぼ毎晩入り浸ってるとこのスレ主でさ」
「なぁんだ。エア彼氏ですか」
一気に表情を戻した水晶ちゃんが一刀両断します。天童さんもふぅっと溜息。
「違う違う! エアじゃなくって、マジもんなの!」
全身で否定する涌井さんは、必死の弁明。
「日本生まれの韓国人で今はソウルに住んでんだけど、夏にオフ会で行ったときに一度会ってるし。
「なんですかそれ。要するに、単なるうちわのお祭りじゃないですか。緊張してたこっちが大損ですよ」
まったく人騒がせな、とこぼして、手をつけてなかった小鉢にスプーンを差し込む水晶ちゃん。ホントよね。つられて私もスプーンに手を伸ばします。
「どのくらい本気なんですか、そのお話」
ちゃんと拾ってあげる天童さん。優しい子だなぁ。
「桜子だけだよ、聞いてくれるの。本気も本気。ちゃんとそのあとにふたりだけの部屋立てて、朝五時まで一緒だったし」
「部屋って言ったって、要はネット上ですよね。それってまるっきり裏垢チャンネルじゃないですか。ルイさんちょろすぎ」
「ちょろくないもん。クリスマスに福岡来るから会おうって話もしてるし……」
容赦ない水晶ちゃんの返しにたじたじの涌井さんは、声もしぼんで、普段のデキる女オーラがすっかり消え失せてます。まるで先生に叱られて凹んでる女子高生みたい。
涌井さん自身の、というか、総務女子三人の誰かの恋バナに遭遇したのははじめてなので、なんだかすごく新鮮。終止テキパキしてるあの涌井さんにして、自分の色恋バナシになるとこんな貌になるんだ、って。いつもの仕事ばりばりの涌井さんは頼りになるけど、こういう彼女も可愛くていいな。私もこんな顔することってあるのかな?
*
気がついたらシチューが美味しい季節になってました。
明日は土曜だし、思いたったらいてもたってもいられない。定時に会社を出た私は、駅降りてすぐのサニーに寄ってじゃがいもと人参と鶏もも肉を買い、部屋にあったタマネギと合わせてホワイトシチューをつくりはじめました。その気になれば、料理くらい普通にやるのです。
バターが香るあったかいシチューとほかほかのごはんは、頭の中の「幸せ」って言葉をわかりやすい五感に置き換えてくれました。
後片付けをしたら午後九時。シャワーは煮込んでる間に入っちゃったから、今日はもうなにもすることがありません。TVをつけたけど映画が好きそうなのじゃなかったからすぐ消して、インスタントコーヒーを片手に私はノートパソコンを立ち上げます。
最近流行ってるという八十年代J-POPのリミックス動画をバックグラウンドにして、ツイッター、じゃなくてエックスを開きます。
今日も百四十文字一話だけ。プロットの必須事項をうまくまとめてるんですが、火曜日に私が書いたくだりを拾ってくれてるのがわかり、ちょっと嬉しくなります。
今週の節「発現」はアニメやドラマで言えば第二話にあたる部分で、舞台の説明に終止してしまう感があります。共同で事前につくったプロットや設定がストーリーの主体になるので、そのぶん突飛なアレンジは入れにくい、つまり素直なバトンを手渡される率が高いのです。打ちやすいところにリターンするレシーブ、ですね。リレー小説の醍醐味からは遠いけど、ここをちゃんとクリヤしないとお話しが成立しなくなっちゃう。
明日の分を仕上げたので、投稿の予約セットを済ませます。今節中に入れとかなきゃいけない要素はあとふたつ。その片方のとっかかりは、いま書いたのにきちんと盛り込んでおきました。手堅い蔵六さんのことですから、ちゃんと拾って繋げてくれることでしょう。
ブラウザのタブをYouTubeに戻します。さっき選んだリミックスはまだ続いてるけど、画面は静止画ですから動きはありません。アニメ調の女性が都会の夜景を背景に佇んでるその画像を見ているうちに、昼間の涌井さんのことが蘇ってきました。
話は結局うやむやになったままでしたが、彼女のあの表情は恋がホンモノなのを物語ってる気がします。一度だけ会ったことのあるネット上では親しい知り合いと、彼氏彼女の関係になる。それってどんな感じなんでしょう。
思いついて地図画面を開いてみました。福岡からソウルまでの距離は五百三十七キロ。飛行機での移動時間は、なんとたったの一時間十分でした。
東京より近いんだ。
私は、いまいっしょに小説を書いてる蔵六さんと、一度だけともに仕事をした皆川さんのことを思い出していました。
皆川さんの顔は思い出せるけど、逢えず終いだった蔵六さんはアイコンの図柄しかよすががない。
月末の東京で会えないかって聞いてみようかな。
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