百五十七話 瑞稀、立秋(二)

 金曜日の就業時間が終わっても、例の課題に対する名案は落ちてきません。

 いや、まったくなにも考えてないわけではないのです。オルタのアクリルスタンドとか、半跏思惟像のキーホルダーとか、オルタの軸に仕込める煙の出ないお香だとか。でもねぇ。なんっか違うんですよね。

 中途半端な案を連ねた文面のメールを下書きに保存すると、私は帰り支度をはじめました。週末に足掻いてみようと会社のノートパソコンもバッグに詰めていきます。



 シャワーを浴び、にんにくとベーコンとマッシュルームで簡単なパスタをつくって、今日のエミールをアップしたら八時前。自分のノートを横にやって、持って帰ってきたPCを開きます。さあ、続きでもはじめますか。


 とは言ったものの、打ち始めるべき内容はまだ定まってません。とっかかりは見えてる気がするのですが、尻尾はまだ掴めてない。今週はそんな感じがずっと続いてます。お茶を濁したみたいなノベルティで済ませちゃいたい弱い気持ちを抑えて、もう少し粘ってみる。

 うん。今までやってきた中にヒントがあるかもしれない。

 電話やメールの邪魔もない自宅作業だからこそ、じっくり考え込むにはいい機会。私は、これまでのやりとりをはじめからひとつずつ思い返すという地味なアプローチをはじめました。

 


「当日は一来場者になって、この夫婦の馴れ初めとかを想像しながら観させてもらうッスよ」


 先日の打ち合わせのとき、星野さんはそう言ってました。

 来場してくれた人が、その短い時間の中で自分ゴトに落とし込めるくらい深く、住んでるふたりを理解する。できるかどうかではなくて、どこまでそれに近づけるか。私たちがペルソナをつくり、それに基づいて部屋をデザインする。壁の写真に私の顔を使うのだって、そのための施策です。

 もうひと押し。隣人を知ってもらうための具体的な仕掛けを。


 例えば栄さん。大晦日に声を掛けられたときは完全に不審人物だったのに、連れ出されていったパークライフでインタビューみたいな会話をしたら、帰りには友だちになっていた。

 例えば谷下さん。ツイートや著作で一方的に知ってはいたけど、スペースで話し、オフ会で一緒に食事したら親近感のレベルが跳ね上がった。

 例えば蔵六さん。過去のツイートを読んで輪郭を想像していただけだったのが、著作を読み、チャットみたいなやりとりで好きなモノへの思い入れを聞いたりしてるうちに親近感が増してきた。


 本人の言葉でのコミュニケーションがとれると、私が捉えるそのひとの解像度をぐっと上がり、他のひととは違うそのひと用の棚が胸の中にできる・・・・・・。


 そう。キーワードは「解像度」なのです。

 皆川さんとふたりでつくりあげた田中一郎・すみれ夫婦の輪郭を、さらにきめ細かく滑らかにする情報ツール。それこそが、私に求められている「来場者のハートを鷲掴みにするツール」に違いない。

 ふたりの解像度を上げるために私ができること。そんなの、ひとつしかありません。


 東京ギフトショーのはしくらブースに訪れてくれたお客様全員に、薄い冊子を差し上げることにしましょう。すみれと一郎の短い物語を綴った会場限定冊子を。


          *


 金曜の夜遅くに降りてきた天啓で気持ちの高揚が抑えきれなくなった私は、そのまま手を止めることなく田中すみれの物語を書き上げました。

 千六百字余りの短い短編。その場で読んでもらうのも、このくらいのボリュームならなんとかなるんじゃないか。夜の魔法で増長してる私の達成感は、そんなふうに楽観的になってます。

 冷蔵庫のビールを開けてひとり祝杯をあげてから、ファイル添付で灰田さんにメール送信。わくわくしながら返事を待ったのですが、おつまみをつくり二缶めを飲みながら画面を見直してもまだ返信は返ってきていません。


 もぉ、なにやってんのよ灰田さんは!


 少し酔ってたかもしれません。頬を膨らませて画面の右下を見ると、時刻は午前三時を遙かに回っていました。


 そっか。フツーのひとは寝てますよね。


 素に戻った私に、思い出したような眠気が襲ってきました。そりゃそうです。いつもなら完全に寝入ってる時間ですから。電池切れに合わせて、ビールの酔いも回ってきた感じ。

 もう寝よう。明日はなにか汗を流すことをしなくっちゃ、ね。

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