百八十話 笠司、白露(四)

「おはよーございまーす」


 広い会場内のあちこちでブースが組み上げられている中、場違いの明るい声が耳に飛び込んできた。仮組みを抑えていた僕が振り向くと、額に汗をにじませた笘篠衿香えりかさんが所在なさげに立ちすくんでいた。

 え? なんで?


「今日って六日、だよね」


 僕を見つけて安心したからなのか、口調が砕けている。ポケットからスマホを取り出して、画面をえりかさんに向けた。


「五日ですよ。えりかさんの出番は明日からッス」


「もしかして私、日付間違えちゃった?」


 こめかみからも汗が滴り落ちてきてる。この様子だと、寝坊したと勘違いしてカレンダーも確かめずに大急ぎで走って来たってとこか。

 積みあがったノベルティの段ボールから取り出したタオルと自分用に買ってきていた水を併せて手渡す。ありがと、とつぶやくような礼を言ってえりかさんは水を飲んだ。


「まあ、遅刻したわけじゃないから実害ないし、場所も確認できたからよかったじゃないですか」


 揶揄を含んだ僕の言葉にえりかさんは頬を膨らます。


「なにそれ。リュウジくん、私のこと馬鹿にしてるでしょ。ていうか現場Dがなんでそんなオシャレしてきてんのよ、設営日なのに。自分こそ仕事やる気ないでしょ」


 反撃してくるえりかさんは思いのほか可愛い。とても三十過ぎには見えないよ。


「や。これは仕事で必要だから着てるんです。うちの制作からの指定で」


 スタンドカラーの白シャツに濃い茶色のコーチジャケット、ボトムはオフホワイトのチノパン。シューズはさすがに革靴かわってわけにはいかないから、コンバースのオールスター。これが一昨日おととい日葵ひまりにプロデュースされた僕のお出かけコーディネートだ。

 待ち合わせ場所で開示した僕の事情に嬉々として応えた日葵は、ハヤトそっちのけで半日僕を連れまわした。試着すること十数回。全部終わって遅い昼食を摂るころには、僕もハヤトも疲れ切っていた。


「そんなシャレオツな恰好してする仕事なんてエムディスさんの現場のどこにあるっていうのよ」


 そう言い切ったえりかさんが、あ、と口を押さえる。


「制作って、もしかして小竹さん? リュウジくん、モデルとかさせられるの?」


 まあそんなとこです、と応えたところで背後から声が掛かった。


「おつかれー。お。いいじゃねぇかリュウジ。馬子にも衣装だな」

「おお。なんかうるっせえ現場だな。音があっちこっちで反響してやがる。てかまだ来てねえのか、はしくらの担当は」


 連れ立ってやってきたサンタさんと小竹さんが同時に喋ってきた。小竹さんの肩には角張った防水バッグ、右手にはでかいストロボを備えた無骨なカメラ。


「えりかちゃんひさしぶり。見学でもしに来たか? あいかわらず勉強熱心だねえ」


 あきらかに状況を察してるサンタさんのフォローに、恥ずかしそうに唇を嚙むえりかさん。対称的に悪態をつくのは小竹さんだ。


「んだよババァ、まだMCとかやってんのかよ。しかも出番でもないのに出張ってきて。はっ。元気なこってなによりだ」


「なによエロコタ。いい歳してあいかわらずのカメコ気取り? ぼく、まだまだ現役でーす、とか言ってそう。機材だけは一流でも撮ってるもんはレースクイーンの出歯亀デバガメばっかなくせに」 


 間髪入れず、倍にして言い返すのはえりかさん。なんですかこの状況。混沌カオス過ぎる。いったいなんの修羅場なの?

 現場をコントロールできない己の無力さに絶望する僕に、隣に立ったサンタさんが耳打ちしてきた。


「気にすんなリュウジ。こいつら、会うたびにこうやって自分らの仲良し度合いを測ってんだ。今日もリミッター無しに罵詈雑言言い合えてる、ってな。ほら、現場の古株はみんな知ってるから、関係ないって顔して作業続けてんだろ」


 なるほど。たしかに年配の作業者たちはにやにやしながらも滞りなく作業を続けている。手が止まってるのは若いバイト連中だけだった。



 罵り合いがひと段落ついたところで小竹さんは席を外した。撮影に適した場所を探しにいったらしい。えりかさんはサンタさんと雑談をしている。どうやら顔合わせまでは居残るようだ。波照間さんたちが来る前に、僕も自分の仕事をしておかないと。

 すでにブースの骨格は立ち上がり、リビングルームの床を貼り込む作業に移行している。必要なケーブルの類は床下に這わされて、壁のところどころに空いた穴から端が垂れ下がっていた。順調に進捗しているのを確認した僕は、壁裏のバックヤードに回って到着品目のチェックをはじめる。

 さっき開封してひと組拝借した社名入りタオル、スタッフTシャツ、フライヤー、リーフレット、会社案内……。波照間さんから送られた品目リストを参照しながら、品物と部数をチェックしていく。オルタペストリー本体一式も含め、「配布用冊子」以外はすべて届いていた。

 チェックリストに日時とサインを記入していたら、表側から名前を呼ばれた。サッシをはめ込む作業の横を抜けて正面側に出ると、はしくらの灰田室長がえりかさんと挨拶をしていた。背が高い人と勝手に想像していたけれど、意外に普通の体格だった。


「おお、そこにいたか。はしくらのおふたりが着いたぞ。灰田さんと波照間さん」


 サンタさんの目線に釣られた灰田室長が僕の方を向いて軽く会釈してきた。その影からひょこっと顔をのぞかせた小動物雪オコジョ、じゃなくて、波照間さん。ぺこっと頭を下げてきた。

 え? ベレー帽?


 一瞬の思考停止で、頭を下げるタイミングが遅れた。


 やばい。可愛いじゃん。



 予定より早く壁の仕上げに掛かっているリビングを見回した灰田さんが、こちらを向いて口上をはじめた。


「今回は私たちの新商品の紹介にお力を貸していただきありがとうございます。エムディスプレイのみなさんとうちの波照間とでつくりあげたイメージパースがこうやって再現されていくのは、とても感慨深いものがあります。今日の夕方には完成した部屋を見るのが楽しみです」


 このひと、優しい顔してやんわりとプレッシャーかけてくる。サンタさんが僕を見やってにやりと笑った。できるよな、って顔。

 できますよ。そのために何度も進行状況確かめてきたんですから。

 後ろ手を組んでブース制作に見入っている波照間さんの背中を見ながら、僕は強く頷いた。


 いつの間にか戻ってきていた小竹さんは、挨拶もおざなりに波照間さんのいでたちを舐め回すように見始めた。猛禽類にロックオンされたオコジョのように固まってる波照間さんがおずおずと口を開く。


「こんな感じで大丈夫……でしょうか」


 モノトーンのボーダー柄カーディガンに薄いベージュのワイドパンツ。上に着るショート丈のトレンチは襟幅が広く、長めの黒髪ボブの半分は白いベレー帽が隠している。まるでファッション誌のコーデ見本みたいだ。落ち着いた印象の波照間さんによく似合っている。これなら誰に会っても恥ずかしくない。っていうか誰に会うことになってんの?


「問題ない。このまま行きましょ」


 ひと通り見定めOKを出した小竹さんは、踵を返して僕の方に歩みはじめた。


「ほら、ぼーっとしてねぇでさっさと行くぞ」


 横を素通りして会場の出口に向かう小竹さん。困惑している波照間さんと目を合わせた僕は、頷いて見せる。

 そうだ。この後の作業がある小竹さんは、とにかく早く撮影を済ませたいはず。だから被写体である僕らは、それに応えなくちゃいけない。

 意図を理解してくれたのか、波照間さんも僕に続いて小竹さんを追いかけた。



「最後に一枚、一瞬でいいから、ふたり並んで笑ってるのが欲しい」


 カメラを構えた小竹さんが波照間さんと僕に注文してきた。広い共用通路でかれこれ三十分ほど続けられた撮影会は、ようやく終わりになるらしい。ツーショットってことは、トルコ旅行のやつの撮り直しかな?

 波照間さんが尋ねた。


「帽子はどうしますか?」


「要らない。あ、いや、やっぱかぶって」


 指示通りベレー帽をかぶり直す波照間さんは、手鏡代わりのスマホで向きを整えている。カメラのディスプレイから目を離さない小竹さんは、僕に細かい立ち位置を指示してきた。帽子のポジに納得のいった波照間さんが僕の隣に並ぶ。


「そこでいい。頭の方をもう少し相手に寄せて。あー、別にくっつかなくてもいい。ていうか、くっつくな。そう、そこ。その場でカメラに向かってちょっとはにかんで笑え」


 小竹さんは、いつの間にか波照間さんにも命令口調になっている。

 天井の高い空間に、立て続けのシャッター音が響いた。



 仕上がりに満足した様子の小竹さんは、用は済んだとばかりに無言で背を向けた。


「今の写真、なんに使うんですか」


 僕の質問に応えることなく足を踏み出す小竹さんは、会場入口を目指してずんずんと進んでいった。僕らは顔を見合わせる。

 ベレー帽の波照間さんがくすりと笑った。

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