百四十九話 瑞稀、大暑(四)
月曜の朝出社したら、デスクの上に大判の封書が置いてありました。使いまわしの社内便封筒で、書いては消しがずらずらと並ぶ送り手受け手リストの一番下で、唯一二重線で消されていない行の受け手の欄に私の名前が記されています。でも差出人はまったく見覚えの無い東京本社の方。いぶかしみながら封を解くと、中から出てきたのは「東京ギフトショー2023」の出展社マニュアルでした。
「先週おこなわれた出展社説明会、会場が有明だったんで東京のひとに行ってもらってたんだよ」
厚めの冊子を手にして固まっている私に、灰田さんが応えてくれました。部屋の隅のウォーターサーバーの前に立つ上司に顔を向けた私は、有明が東京のどの辺なのかわからないまま曖昧に頷きます。表紙をめくると、「ご出展の小間位置」とプリントされたA4の紙が挟み込まれていました。用紙中央の四角く囲んだ罫線の内側に、そこだけ手書きの太字で書かれた呪文みたいなコード番号が収まっています。
東4-T32-18
「これって住所かなにかでしょうか」
「小間の場所だよ。東京ビッグサイト東館の大回廊を挟んで南北に配置された大ホールがあるんだけど、その北側の一番手前の辺り。僕らのオルタは『ホームファニシング・ライティング&デコラティブフェア』ってカテゴリーに入るんだけど、その固まりは東4にまとめられてるみたいだ」
マグカップ片手に私の席の後ろを回り込んだ灰田さんが、流れるような解説をしながら自席に戻ります。
「ホームファニシング……?」
「インテリア関連の商材を扱うエリアだよ。家具や照明、インテリア小物なんかの室内装飾品を提案するブースが並ぶことになる。若干カテエラっぽいけど、うちのはそこしか当てはまるとこがないから」
そんなサラサラッと説明されても、ビッグサイトに行ったことのない私なんかじゃぜんぜんイメージできません。
そう思いながらも、中太マジックでくっきり書かれた小間位置のコードを見てるとじわじわと実感が湧いてきます。ホントに展示会やるんだ、って。
心持ち背筋を伸ばし、冊子を開きました。今回のギフトショーの会期は九月六日から八日で水木金の三日間。前日の設営を考えると、都合三泊四日の東京出張となるわけでなります。うわって感じ。
べつに都会が怖いわけではありません。だって中学までは東京に住んでたんですから。といっても狛江なので、都内と言うにはちょっとおこがましいかも。だって中学生だと自宅と学校の周辺が世界のほぼすべてじゃないですか。渋谷とかお台場も一応行ったことくらいはありますけど、正直、馴染みの場所ではないですね。
「あんまり直前だとホテルとかエアもいっぱいになっちゃうから、今日にでも予約を入れといた方がいい。アパとか東横インクラスであればどこでもいいから瑞稀ちゃんの気に入ったとこで押さえてくれちゃっていいよ。航空券も」
あとで報告だけしてねと言うだけ言って、灰田さんはご自分のお仕事にとりかかりました。
ヤバいです。まかされちゃいましたよ、私。まともな旅行なんてこの前の神戸オフ会しかないし、あれだって決められた時間に合わせた新幹線と指定されたホテルの予約をしただけです。なのに気に入ったとこでいい、なんて。こんな難易度の高い旅行計画とか、私にできるのでしょうか。しかも今日中に!
旅慣れてる涌井さんを掴まえていろいろとコツを教わり、午前中いっぱいかけてなんとか予約を終えました。涌井さんがわざわざ総務の部屋で、灰田さんとふたり分の出張だよねって強調するもんだから、天童さんの視線が痛い痛い。
まあともかく、そんな
九月五日火曜日、朝の便で福岡空港を発。羽田到着後は竹芝のビジネスホテルに荷物を預け、水上バスかゆりかもめを使って東京ビッグサイトへ。設営作業の終了を確認したらホテルに戻ってチェックイン。
六日と七日はホテルを拠点に、水上バスを通勤の足にしてビッグサイトで接客のお仕事。
八日朝のチェックアウトの際は荷物だけ預かってもらって、こちらは身ひとつでビッグサイトへ。会期終了後はホテルに戻って荷物をピックアップ。モノレールに乗って羽田へ行き、空港のレストランで軽く打ち上げ。最終便で福岡に帰る。
うん。完璧ですね。
*
「この水上バス通勤ってのがそそられるね」
お席で会議弁当を食べてる灰田さんが言いました。午前中の管理職者会議が予定外に早く終わったらしく、用意されていたお弁当を持ち帰らせてもらったんだとか。有難いことに私の分もお土産に。
だもんで、今日のお昼は上司となかよくオフィスランチです。またなんか金曜のネタにされそうだけど。
「竹芝-会議場の船は興味本位で乗ってみたこともあるけど、日常の足って感じなのがいいね」
「ですよね。この水上バスとモノレールを見つけたとき、勝った、って思いましたもん」
「やっぱり瑞稀ちゃんはセンスいいよ」
仕事を褒められるのとは違う、なんかこそばゆい感じ。感覚の共有ができたっていうか。
気分よく卵焼きを口に放り込んでいるときに、スマートフォンが震えました。表示は、母。
「あ、すいません。家から電話みたいなんで、少し席外します」
卵焼きを飲み込んでそう告げると、スマホを掴んで廊下に出ました。
「みーちゃん、今お昼休みよね」
時間を選ばないのんきそうな母の声が耳に響きます。でも今回は心なしか早口。まさかお父さんになんかあったりしたの?
いつもより構えた声で、私は返事をしました。
「そうだけど」
「あのね、さっき東京のお義姉さんから電話があったんだけど、みーちゃん来月沖縄行ってもらえる?」
はあ?
いきなり沖縄?!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます