第44話:キャシーの悩み
食堂でお酒を飲んでいると、ふいにライネルが目の前に座った。
「昼から酒かよ」
呆れたように声をかけられたが、私は無視してエールを口にする。
飲まないとやっていられないのだ。
樹海の一件について別に私の責任だと非難の声が上がっているわけではない。
けれど、指揮を執っていたのは私なのだ。
人に指摘されなくても自らの責任は痛感している。
「ノルドと軽くやりあってきたぞ」
へぇーと私はわざと興味なさげに相槌を打つ。
「で、楽しかった?」
「まあな。あんな相手とやり合えるのはそうそうないからな」
へらへえと笑う彼を見て、少し私は苛々とした。
「どういう意味?」
「珍しい二刀流使いで、戦闘センスも一流。しかも火魔法も中級程度に使えるとなると、そんなのはそうそうお目にかかれないだろ」
ノルドのことを褒め切った彼は、完全に彼に心酔しているようだった。
分からなくはないのだけれど、それではいけないような気がしていた。
「さすが、神童さまってところなのかな」
「何だよその棘のある言い方は。いいことじゃねぇか、将来有望な傭兵が生まれたってことでさ」
「有望、ね」
たしかに、ライネルの言い分は間違ってはいない。
スタンピードで魔獣をなぎ倒し、ノースライトの傭兵崩れをあっさりと殺し、キラーマンティス相手に単騎で生き残るぐらいなのだ。
あと十年も経てば、剣技でもアランやグレイル、ライネルを超え、魔法でもジャ―ヴィスを凌ぐことは容易に想像できた。
だからといって、それを単純に喜ぶこともできなかった。
「私は不安で仕方がないけどね」
「何が?」
「色々ありすぎるのよ。五歳の子供がくぐっていい修羅場じゃないでしょ。しかもあの子は自ら死地に飛び込んでいるんだから」
そうだ、それが問題なのだ。
並みの傭兵や冒険者でさえ尻込みするような状況に、あの子は簡単に踏み込んでしまうのだ。
「それは俺やお前らが守ってやればいいだろ」
「実際、守られているのはこっちだと思うけど?」
うぐっ、とライネルはくぐもった声を出した。
彼に至っては二回失敗していて、二回ともノルドのおかげで生き残っているといっても過言ではなかったのだ。
「まあ、そこはフェンリルに選ばれた子供ってことで、俺とは出来が違うってことでいいだろ」
「ライネルは単純でいいわね」
現状、ノルドの面倒を見ているのは私なのだ。
こんなことが頻繁に起こっては身が持たない。
これだったら、戦争に駆り出されたほうが遥かにましだというものだ。
戦争で人が死ぬのは納得できる。
だが、あんな小さな子供を死なせるのは耐えられなかった。
「だが実際問題、ノルドはもう並の傭兵と対等に渡り合えるぐらいの技量も精神力もあるだろ」
「本人にそんなこと言わないでよね。その気になったらどうするのよ」
「その気になったら、って?」
「一緒に戦いたいとか、そういうことを言い出したら困るでしょ、って言いたいの、私は」
「さすがにアランもリリアも許さないだろ?」
「それはそうだけど……」
アランはともかく、リリアは絶対に許さないだろう。
だけど、何か嫌な予感がして堪らないのだ。
あの子なら言い出しかねない、そんな予感がするのだ。
哨戒程度なら大丈夫でしょ? そんな感じできっと軽く参加を申し出るような気がしていた。
いや、あの子が望む望まないにかかわらず、そんな機会が訪れかねない気がしていた。
そうでなければこんな短期間にあんなことが立て続けに起こったりしない。
何か、特別な運命を背負っている、そんな印象を持っていた。
ライネルにうじうじと愚痴を吐いていると、ふらりとディージィーが顔を出した。
「昼からお酒?」
「ライネルと同じこと言わないでよ、もう」
「樹海から帰ってきてからキャシーの様子がおかしいってみんな心配してるわよ」
「それは謝っておくわ」
とりあえずノルドやみんなにはしばらく樹海に出ないと言ってあったから、やることもなく酒におぼれていた。
自分のふがいなさもあるけれど、特にノルドに起こった出来事を受け止められないでいる。
そんな私の心情を砦の仲間に感づかれてしまっている。
「そんなに責任を感じなくてもいいのに。あれは仕方がなかったことだし、それに私もライネルもノルドくんも無事なんだし」
気にしないかのようにディージィーが笑う。
「でもちょっと腑に落ちないのよねぇ、私も」
「何が?」
「記憶がないのよ。一応、私が自分で状態回復をかけてライネルに治癒をかけたってノルドくんは言ってたんだけど」
あの場にいたのは、ライネルとディージィー、ノルドだけしかいない。
聖魔法がつかえるのはディージィーだけなのだから、その話に何も矛盾はない。
「何? ノルドが聖魔法を使ったっていいたいの? それはないでしょ。祝福の儀を受けていないんだから。まさか、フェンリルが出てきて聖魔法をかけたとか思ってるわけ?」
「そこまでは思ってないけどさ……」
ノルドの話だと、フェンリルに会ったのはキラーマンティスとやりあって川に流された後だということだった。
その話を信用すれば、あの場にフェンリルはいなかったはずだ。
仮にノルドが嘘を言っていたとしても、あのフェンリルの巨躯で洞窟に入るのは不可能だ。
だからそれはあり得ない。
「結果、そうなってるんだから、ディージィーがどうにかしたんでしょ?」
「そうだよね……うん、そうだと思う」
まるで自分に言い聞かせるようにディージィーがうんうんと頷く。
これ以上、私は難題を抱えたくなかったから、それ以上考えることを止めた。
フェンリルがらみの話はもう聞きたくもない。
「それより、さっき出入りの商人がさっそくフェンリルの話をしてきてたぞ。ジリク砦と樹海は一躍注目の的だってな」
ライネルが嬉しそうに告げる。
勘弁してよ。
「何で? まだ一週間しか経ってないのよ。噂になるのが早くない?」
私はやりきれなくなってエールをさらにがぶ飲みする。
注目を浴びて楽しそうにするライネルの気楽さが羨ましくなる。
「あの日の夜に駐留していた商人がいたから、ヴァリアントに戻ってさっそく吹聴したんじゃねぇのか?」
商人にとって情報は命のようなものだ。
仕方がないといえば仕方がないのだけれど、これ以上ノルドに注目があたるのはやめて欲しかった。
「フェンリル討伐とか、そんな話はでないわよね……」
そんなことになったら最悪だ。
せめてアランやジャ―ヴィスが戻ってからにしてほしい。
「さぁ、それは辺境伯次第じゃねぇか。ただ、俺はあれとやり合いたくはねえがな」
「私も同意」
ライネルとディージィーが口々に呟く。
私だってあんな化け物を討伐なんてできるとは思ってはいなかった。
軍が出されたとしても、樹海の先遣隊として私たちが駆り出されることは明白だった。
咆哮一つで体が痺れて動けなくなったのだ。
そもそも、剣や弓があの銀色の体毛に覆われた体に効果があるとも思えなかった。
「まあ、でも話自体は広まってるからなぁ。興味を持った冒険者どもが来てもおかしくねぇわな」
ライネルがまた面倒そうな話を出してくる。
砦によそ者の冒険者が顔を出してくるのは勘弁してほしかった。
それでなくてもノルドのことでこっちは手いっぱいだというのに。
「それに、ノルドくんの話も一緒に広まっているっぽいしねぇ……」
ディージィーがまた不吉なことを言い始める。
「ノルドの幸運にあやかりたいっていう商人は実際にいるみたいだぞ」
「だよねぇ」
二人が顔を見合わせてくすくすと笑う。
砦の中でさえ、ノルドのことを神格化する人間だっているのだ。
話に尾ひれがつけば、ヴァリアントの商人たちで同じことを考えるものが出てもおかしくはなかった。
追加のエールを取りに行こうと席を立ったとき、食堂の入り口から仲間が一人駆け込んできた。
「キャシー、それにライネルもディージィーもここにいたのか」
どうやら私たちを探していたらしかった。
「何?」
「アランたちが哨戒から戻ってきたぞ!」
私は少し不思議に思った。
王国軍との契約ではもう数日は任務についているはずだった。
なぜ前倒しで帰ってきたのだろうか。
「何をそんなに焦っているのよ」
「アランがキャシーとデイサズを集めるように言ってるんだって」
「それだけ?」
「あぁ、どうやら北がきな臭いらしい。それで急いで戻ってきたって話だ。グレイルの第一部隊や第二部隊のほとんどは国境に置いたままで、アランとジャ―ヴィス、あと数名だけが戻ってきた」
きな臭い?
どうやら、また大きな難題が降りかかってきたのかもしれない。
「それって……」
「ノースライトが挙兵するんじゃないか、って話らしいぞ」
あぁ、と私は天井を仰いだ。
ついに来るべき時が来てしまったのか。
ノースライト王国は継承権争いでしばらく国内がごたごたしているという噂だった。
だからここ数年は国境線は小競り合いが続くだけで、私たちも哨戒任務がほとんどだった。
ついに戦争が始まるのだ。
もう、ノルドがどうとか、フェンリルの討伐がどうとか、そんなことは関係なくなったな、と私はため息をついた。
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