第42話:砦へと
巨狼が樹海の中を駆けていく。
俺は飛び跳ねるなと言ったのに、崖を避けもせず跳躍して一直線に進んでいく。
「死ぬ……」
振り落とされぬように、必死に体毛にしがみつく。
最初は体毛を両手で掴んでいたのだが、それでは落とされそうになり、今は、足も使って体全体でしがみついていた。
「うぁぁぁぁ」
また巨狼が木々を避けるようにして跳躍する。
俺は耐えきれず大きく叫んだ。
「小僧、いちいち大声を出すんじゃないよ」
巨狼は一度歩みを止めると、面倒くさそうに俺に告げた。
「飛び跳ねるなっつってんだろうが!」
「じゃあ、木をなぎ倒せっていうのかい? あんた、きっとその衝撃で振り落とされるよ」
「せめて、もう少しゆっくり走ってくれよ」
「そんな悠長なことしてたらいつまでたっても樹海から出られん」
巨狼に言われ、俺は二の句が継げなくなる。
こいつの言っていることはいちいち正しいのだが、いかんせん、怖くて仕方がないのだ。
「分かった。飛び跳ねるのは仕方がないが、もうちょっと手加減してくれ。そっと飛んで、そっと着地してくれ」
「いちいち煩い小僧だねぇ。だから人間は面倒なんだ」
不貞腐れたように巨狼は文句を言う。
そう言われても、ノルドの小さな体で体毛にしがみつくのはかなり苦労しているのだ。
身体強化でどうにかなっているが、それでも振り落とされないようにしているのでぎりぎりだ。
「さ、樹海の外まであと少しだ。いくよ」
巨狼はそう宣言すると、再びその巨躯を尋常じゃない速さで進めていく。
木々をすり抜け、時には飛び越え、樹海を我が物顔で駆け抜けていく。
崖を跳躍し、川を下っていく。
「そういえば、俺は砦に戻りたいんだが、場所は分かるのか?」
「人間がいっぱい住んでいるんだろう? 匂いで何となく分かる」
ついに日が暮れた。
次第に樹海は暗くなり、俺は巨狼と真っ暗な世界を進む羽目になる。
もはや何が起こっているのかすら分からない。
ただ、風の中を突き進んでいるという状態で、俺は必死に体毛にしがみつくしかなかった。
「小僧、ほら、もう樹海の外に出るよ」
巨狼に言われ、前を見ると、遠くに小さな明かりが見えた。
あぁ、と俺は安堵の息を吐く。
砦だ、あの光は砦に違いなかった。
巨狼が再び大きく飛んだ。
それは今まで一番大きな跳躍で、着地の瞬間に俺は弾き飛ばされそうになった。
「だから、飛び跳ねるのはほどほどにしてくれと……」
「煩いねぇ、さ、着いたぞ」
そして、巨狼は大きく一つ遠吠えをした。
「死ぬかと思った……」
「死んでおらんだろ?」
「それは結果論だろ。落ちたら俺は死んでたぞ」
そう言いながら、俺はしがみついていた体毛から両手両足を離し、垂らされた尻尾から地面へと降りる。
土に足をつけると、やっと安心できた。
「ほんと、死ぬところだった……」
あまりの疲労で、俺はそのまま地面に倒れこんだ。
息を切らし、何度も深呼吸をする。
「で、小僧、そいつらはお前の仲間か?」
何を言っているんだ?
そう思ってふと顔を横に向けると、そこには砦で見知った顔があった。
傍らにはライネルとディージィーの姿がある。
彼らは剣を抜き、手をかざして魔法を撃とうとすでに戦闘態勢にあった。
「ちょっと、待って、ライネル、ディージィー!」
俺は慌てて体を起こし、巨狼と彼らとの間に割ってはいる。
「ノルド、何でこんなところに?」
ディージィーが叫ぶように声を上げる。
「その魔獣は何なんだ!」
「化け物だぞ」
「でかすぎる!」
最悪だ、まさかかち合う羽目になるとは思ってもみなかった。
「違う、まずは剣をしまって!」
俺は慌てて彼らに向かって叫ぶ。
だが、すでに恐慌状態に陥っており、聞く耳をもってくれない。
「魔獣だぞ!」
「ノルド、早く離れて!」
駄目だ、完全に臨戦態勢になっている。
それも仕方はないのかもしれない。目の前にいるのは巨躯の狼なのだから。
「こいつは違うんだよ、敵じゃない」
俺はそう言って、巨狼の足元に体を寄せた。
攻撃させるわけにはいかない。巨狼がその気になれば、ここにいる全員嬲り殺しにされるだけだ。
「ノルド、離れて!」
「どうする、こんな化け物を相手にできるのか!?」
「やるしかねぇだろ!」
彼らは完全に冷静さを失っている。
このままだとまずい。非常にまずい。
「化け物とは、いつの時代の人間も反応は同じだねぇ」
巨狼がくつくつと笑う。
おそらく、こいつにとっては取るに足らない相手なのだろう、何ら気にも留めていないようだった。
「魔獣がしゃべった……」
「どうなってやがる」
「信じられない……」
俺も最初は驚いたが、彼らも同様に衝撃を受けているようだった。
当然だ。人語を話す狼など出会ったこともないだろう。
だが、彼らはまだ警戒を解こうとはしなかった。恐怖がまだ勝っているのだ。
仕方がない。
炎弾を十発、中空に浮かべた。
「剣をしまって。でないと、攻撃するよ」
彼らはあっけにとられたように黙ってしまった。
どうするべきか悩んでいるのだろう。
だが、最悪はまだ終わらなかった。
「ノルドっ!!」
彼らの背後から、今度はキャシーたちが姿を現したのだ。
同じように、すぐさまキャシーは弓を番え、巨狼へとその矢の先を向けた。
「説得するから、手を出すなよ!」
暴発を恐れて、俺は巨狼に向かって叫んだ。
巨狼はこの状況に飽きたのか、座り込むと毛づくろいを始めた。
「ノルドっ、どうしてここに。ていうか、その魔獣は? 何で炎弾をこっちに向けているのよ!」
キャシーが半狂乱になりながら、矢継ぎ早に質問を口にする。
完全に正気を失っている。
「ノルドくん、その魔獣は何なの……」
ディージィーの問いかけに、俺はなるべく落ち着いた声で答える。
「恩人だよ。僕を助けてくれたんだ」
「恩人?」
彼らはまだ剣を下ろそうとしない。
後から来たキャシーたちも、完全に戦闘態勢のままだ。
まずい。
どうすればいい?
考えあぐねていると、背後で巨狼がむくりと体を起こした。
「おい、何を……」
俺が止める間もなく、巨狼は笑みを浮かべながらその深紅の牙を見せた。
「グルァァァアアアアーーーー!」
耳をつんざく咆哮がその巨躯から放たれ、衝撃がキャシーたちを襲う。
その威圧に耐えきれず、彼らは剣を、弓を地面にととしてその場にへたり込む。
彼らの膝が、体ががくがくと震えている。
もはや戦闘どころではない、意識すら飛ばされそうになっているようだった。
「これでいいじゃろう?」
巨狼がにたにたと笑う。
「手を出すなって言っただろうが!」
「手はだしておらんぞ?」
言葉遊びかよ。
だが、これで望まぬ戦闘は回避されたのは間違いなかった。
「さて、あたしは約束どおり小僧、お主を樹海の外に送り届けたぞ。もう帰ってもよかろう?」
「あぁ、まあ、そうだな」
目の前の惨状を放置されるのは俺としては困るが、かといっていつまでもこいつにこの場に留まってもらうのも困る。
落ち着けば、キャシーたちには俺の口から説明するしかないだろう。
「ほれ、もう一つ、お主の欲していたものも置いていく」
口から折れた牙が吐き出される。
こいつに会えたのは、そして助けを得られたことは幸運だったのだろう。
「じゃあな、小僧。また会うときもあろうて」
「ヴァンによろしく伝えてくれ」
俺がそう答えると、巨狼は大きく遠吠えを一つして、一気に跳躍して樹海の中へと消えていった。
空中に浮かせていた炎弾を消すと、俺は大きくため息を一つついた。
本当に疲れた。
キラーマンティスとの戦闘に加えて、川でおぼれ、樹海で遭難し、挙句の果てにフェンリルとの邂逅だ。
これが一日の出来事だというのだから信じられない。
気を取り直して、キャシーたちの様子を見る。
さて、目の前のこの状況をどうしたものか。
声すら出せないほどの衝撃を受けたらしく、まだ彼らは地面に尻もちをついたまま震えている。
俺は巨狼の足元にいたので何の影響もなかったのだが。
「あいつは樹海に帰ったから、もう心配はないよ」
彼らの元へと駆け寄り、地面に座り込んだキャシーに声をかける。
「な、何……なの、あれは……」
震える声でキャシーが言う。
まだ威圧が解けないのか。たった咆哮一つで傭兵がここまで恐慌状態に陥るとは。
やっぱりあの巨狼は化け物だな。
「フェンリルって呼ばれてるってさ」
「おとぎ話の動物じゃない……」
「まあ、そうだね」
「そうだね、ってノルド、あんた一体何があったの……」
仕方なく、俺は洞窟を出てから自分に起こった出来事をキャシーたちに話す。
キラーマンティスと戦っていて崖から落ちたこと、運よく川に落ちたから助かったけれどそのまま樹海の奥へと流されたこと、子狼を助けたこと、スケルトンと戦闘したこと、そして巨狼と出会ったこと、一つ一つ丁寧に説明をした。
彼らは一様に驚き、そして想像を超えた出来事だったのか黙り込んでしまった。
「よく生きていられたわね……」
「まあ、あのフェンリルとは会話できたしね」
「だからって……」
そう言われても、実際そうなのだから仕方がない。
まあ、運任せだったのは俺も認めざるをえないが、だから何だというのだ。
「そうだ、牙をもらったんだよ。これで剣を作ろうと思ってるんだ!」
俺がうきうきで深紅の牙を指さすと、キャシーは大きくため息を吐いた。
「はぁ、それは良かったね」
キャシーの態度が明らかに不貞腐れた感じで俺は気に入らなかった。
フェンリルの牙から双剣が作れるなんて、こんな喜ばしいことはないというのに。
「何が不満なのさ」
「不満ていうか、何ていうか、あんたと絡んでると私の寿命が短くなる気がして」
「まあ、そう言わず、また明日樹海に行こうよ」
馬鹿じゃないの? とキャシーが怒ったように口にする。
どうやら樹海嫌いになってしまったらしい。
「あ、そうそう、ライネルおじさんもディージィ―さんも助かって良かったね」
俺がそう声をかけると、二人とも目を合わせて疲れたようにため息を吐いていた。
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