第40話:お礼

 目の前には家屋を超える大きさの巨大な狼が鎮座していた。

 その巨狼が俺に確認したいことがあるという。


「で、確認したいことっていうのは何だ?」

「この子の瘴気が消えておる。お前、何かしたのか?」


 そういえば、さっき水を飲んだ後に子狼に祝福をかけたことを思い出す。

 その後、嬉しそうに飛び跳ねていたが。


「あぁ、祝福をかけただけだが」

「祝福だと? 祝福ではわれらの瘴気は消えん」


 意味が分からない。

 程度の差はあれ、祝福をかければ瘴気は浄化される。


 それ故に、対アンデッドの切り札となる聖魔法であるのだが。


「そう言われてもな、実際にそうしただけなんだが……」

「じゃあ、あたしにもかけてみてくれ」


 そう頼まれ、巨狼に祝福をかける。

 銀色の光に包まれ、巨狼の纏っていた瘴気が薄らぐ。


 さすがに瘴気が濃すぎて、一回の祝福では浄化しきれていなかったが。


「おぉ、まさか、こんなことが……」


 巨狼は嬉しそうに遠吠えをする。

 一方の俺は、訳が分からず、ただ茫然とするしかなかった。


「悪い、何がどうなっているんだ? 祝福をかければ瘴気が消えるのは当たり前だろう?」


 まだ瘴気が残っているとはいえ、かなり浄化できたはずだ。

 そしてそれは当然の結果なのだが。


「この世界の祝福ではあたしの瘴気は浄化できぬはず。今まで何人もの人間に試させたが駄目だった」


 浄化できない?

 違いがあるとすれば、練度かもしれないが、たとえ練度が低くても多少は浄化できるはずだ。

 それでも無理なのだったとしたら。


「あー、もしかしたら神が違うのかもな」


 俺の答えに対し、巨狼は不思議そうに顔を傾げた。


「小僧、それはどういうことだ?」

「ここの聖魔法は唯一神トリスタンとかいう神の加護を得ているんだろ? 俺のは違う」


 瘴気にも種類があるのか。

 それは俺も知らぬことだった。


「別の神だというのか?」

「俺の加護は女神リーズから受けているんだ」

「知らぬ神だ」


 女神リーズも聞いたことがないのか。

 やはり皇国やバールステッド大陸からは遥か遠いところに来てしまったらしい。


 最悪なのはまったく別の世界に飛ばされたり、時代が違うことだが、確認しようがない。


「まあ、細かいことはどうでもよい。それより、もっと祝福をかけておくれ」


 そう頼まれ、俺は何度も祝福を巨狼にかけ続けた。

 瘴気が完全に消えると、巨狼は嬉しそうに何度も吠える。


 そのたびに衝撃波を受けたと思えるほど体が震える。

 正直、やめてほしい。


「そんなに嬉しいのか? 別に瘴気を纏っていても死ぬわけじゃないんだろ?」


「泥をかぶっているようなものだからな。祝福を受けると、水で洗い流した感じだといえば小僧にも分かるか?」


 へー、と俺は納得する。

 まあ巨狼の機嫌が良くなったのであればやったかいがあるというものだ。


「小僧にはまたもう一つ借りができたな。樹海の外へ送り届けるだけじゃ礼としては足りんな。何か他に望みはないのか?」


「そう言われてもなぁ……」


 欲しいものなど特にない。

 というより、巨狼に頼んでよさそうなものが思いつかない。


 首を捻りながら考えていると、ふと、両手が空いていることを思い出す。


「剣とか持ってたりしないよな?」


「持ってはおらぬが、遺跡の中には転がっておるかもしれん」


「遺跡? 樹海の奥にそんなところがあるのか?」


「あぁ、もっと奥にあるぞ。大昔に人間どもが住んでいた。今は魔獣の巣窟になっておるが、あたしの体は大きすぎて入れん。自分で探しに入るなら連れて行ってやるが」


「いや、今は武器を持っていないから俺一人では無理だ」


 興味はあるが、さすがに今はどうしようもないな。

 そもそも樹海のさらに奥にあるのなら、魔獣ももっと恐ろしいものが溢れているのだろう。


 今のノルドでは単身での遺跡の探索は無理だろう。

 砦の仲間と一緒なら、可能かもしれないが。


「ともかく、小僧は武器が欲しいのだな?」


「御覧のとおり手持ちの剣をなくしてしまってるからな」


「武器ではないが、素材になりそうなものなら与えられるぞ。少し待ってるがいい」


 途端、巨狼が大きく飛び跳ねて、一瞬で俺の視界から消えて、樹海の奥へと戻っていった。

 残された子狼が不思議そうに、巨狼の行く先を見つめている。


 取り残された俺は、仕方なく子狼をもふもふと撫でて時間を潰す。

 魔獣がこないかどうか時折探索をかけて、警戒は怠らなかったが。


 しばらくすると、また空から巨狼が降ってきた。

 今度はある程度距離を取ってくれたおかげで、衝撃波で吹っ飛ばされることはなかった。


「待たせたな」


 そう言うと、巨狼はぺっと何かを吐き出した。

 それは俺の体よりも遥かに大きな深紅の牙だった。


「これは?」


「あたしの牙さ。昔、竜どもと樹海の縄張りを争ったときに折れたやつだ。人間の使う武器の素材にはなるだろうて。竜の鱗すら貫けるはずだ。まあ、小僧にそれほどの腕力があるとは思えんが」


 巨狼の話に俺は驚きを隠せなかった。

 言っていることが嘘とは思えなかったから、きっと真実なのだろう。


「樹海の奥には竜までいるのか……」


「縄張り争いをしたといったろう。あいつらは樹海から追い出してやったわ。今はどこにいるのか知らんが、北か南へ移動したはずじゃ」


 俺は目の前に吐き出された深紅の牙を眺めた。

 相当な硬度がありそうだ。剣の素材としては最高かもしれなかった。


「それで、祝福のお礼にこれを俺にくれるのか?」


「何千何万の魔獣や人間の血で染まっておる。魔力との親和性も高いはずだ。好きに使えばいい」


「では、ありがたくもらっておくよ」


 砦に戻ったら、この巨狼の牙から双剣を作ってもらおう。

 今のノルドのサイズにあったものと、将来、大人になったとき用のサイズと、二対は十分作れるはずだ。

 それでも余るかもしれないが。


「そういえば、小僧の名前を聞いておらんかったな」


「ノルドだ。あんたに名前はあるのか?」


「ないな。だが、人間どもはあたしのことをフェンリルだと呼んでおったな」


 フェンリル。

 神々に災いをもたらすと予言された、狼の姿をした伝説上の怪物。


 こんなところで出くわすとは、これも何かの運命なのか。


「一つ質問していいか?」


「何だ?」


「この世界に、いや、この大陸に、エルダーリッチはいるのか?」


 巨狼は俺の問いが不思議だったのか、くいと首を傾げた。


「あの骸骨どもはそこらじゅうにおるわ。死とは切り離せぬからな。人間どもが殺し合えば、そこに死と瘴気が溜まり、自然と生まれ出る。小細工が好きなものども故に、見つけるのも一苦労な上に、核を壊せなければ喰らってもいくらでも蘇る。なぜそんなことを訊く?」


「ちょっと因縁があってな」


「祝福が使えるからといって相対せぬことだな。今の小僧では勝てぬ」


 言われなくても分かっていたことだが、巨狼には正確に俺の力が把握できるようだ。

 今はまだ、その高みには到達できていないが、いずれは。


「分かってる。忠告は感謝する」


「そうか。転生者のノルドとやら、ともかく、重ね重ね礼を言っておく」


 俺はむしろこっちが言いたいぐらいだった。

 樹海を出る算段がついた上に、双剣の素材となる牙までもらえたのだから。


「さて、それでは小僧、お主を樹海の外へと送ってやろう……ん?」


 ふと見ると、子狼が俺の足に体をこすりつけていた。

 そして足首を甘噛みしてくる。


「何だ?」

「どうやら、お主のことを気に入って、別れたくないみたいじゃな」


 子狼とは短い時間とはいえ、一緒に旅をしたようなものだからな。

 スケルトンとも共闘したしなぁ。

 

「まあ、俺も別れたくはないんだが、そうもいかないんだ、分かってくれよ」


 そう言いながら、俺も名残惜しくなって子狼の頭を撫でる。

 だが、子狼は納得しない様子で、俺の元から離れようとはしなかった。


「せっかくだから、名でも与えてやってくれぬか? そうすれば小僧との絆ができる。本人も納得するじゃろう」


 巨狼に頼まれ、俺はしばし熟考する。

 できれば良い名前をつけてやりたかった。


「じゃあ、お前はヴァンだ。俺の前世の言葉で、希望という意味だな」


 名前を付けてやって頭を撫でると、子狼、ヴァンは大きく一つ遠吠えをした。

 

「アォーーン」


 嬉しそうに俺の周りをヴァンは飛び跳ねる。

 どうやら気に入ってくれたようだ。


「また樹海には戻ってくるさ。二度と会えないわけでもない。また会おう」


 何度も何度もヴァンの顔を撫でる。

 俺の言ったことが理解できたのか、やっと俺から離れてくれた。


「では、樹海の外へと連れて行ってやる。あたしに乗るがいい」


「え、無理だろ? でかすぎる」


 巨狼の大きさは家屋の高さを越えている。

 どうやって乗れというのだ。


「歩いて帰るつもりか? 小僧の足に合わせてたら何日かかるのか分からん。あたしが走ってやれば日が暮れるまでには送ってやれる。さあ、尻尾から這い上がれ」


 そう指示され、巨狼の後ろに回り込み、垂らされた尻尾をよじ登る。

 銀色の体毛はもはや鋭い凶器であり、刺さらないように気を付けながら這い上がる。


 背中にどうにか到達すると、振り落とされないように体毛を両手で掴んだ。

 あまりの高さに身震いする。


「登ったぞ」


「じゃあ、行くぞ」


「ちょっと待て、飛び跳ねるのはやめてくれよ、こんな高さから落ちたら死んでしまう」


「煩いやつじゃな。頑張ってしがみついておけ」


 下を見ると、ヴァンが寂しそうに俺を見上げていた。

 そんな目で見つめられると、俺も悲しくなる。


 だが、樹海にいる限り、いつかまた会えるときもくるだろう。いや、会いにくるつもりだった。


「また会おうな、ヴァン!」


 ヴァンがまた大きく一つ吠えた。

 それを合図にするかのように、巨狼が一目散に駆けだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る