第36話:奥の手
「ライネルの出血が止まらない」
顔面蒼白になりながら、キャシーはライネルの止血をしていた。
「せめてディージィが無事だったなら……」
キャシーの声はディージィには届いていないだろう。
彼女はまだ意識は保っていたが、ほとんど反応がない。
まともに意思疎通ができる状態ではなかった。
戦えるのはキャシーと俺だけ。
とはいえ、もはや外のキラーマンティスを討ち取ったとして、あまり意味はないだろう。
二人で無傷で狩れるとも限らない。
やるだけ博打というものだ。
そもそも勝ったからといって何の意味があるのだというのだ。
ライネルとディージィの二人を失うことになる。
「キャシーお姉ちゃん、止血が終わったなら砦に戻って」
「何言ってるの?」
「それしか方法はないよ」
ガァン、ガァンと再び岩を掘る音がし始めた。
またキラーマンティスが洞窟に侵入しようと試みているのだ。
「ライネルとディージィを置いていけっていうの?」
「残り一体なら、この洞窟に侵入するのには時間がかかるでしょ、戻ってくるまできっとここは持つよ」
キャシーが冷静なら、俺も置いていくことはできない、そうも言っただろう。
だが、彼女の頭の中ではすでにライネルとディージィのことでいっぱいになっているのだ。
「僕が炎弾をばら撒くから、その隙に急いで逃げて、援軍を」
「そんなことできるわけないでしょ!」
「だったら、どうするの?」
俺の冷徹な言葉に、彼女は泣きそうになりながら黙ってしまった。
何かを言おうとして口を開き、そして何も言えず口を再び閉ざしてしまう。
「時間がないよ」
俺は彼女の思考を縛る。
考える隙を許さない。
誰がどう考えたって、それが一番の方法なのだ。
もちろん、その先にある奥の手を俺しか知らないから、これから何が起こるのかはキャシーには想像できないのだが。
「キラーマンティスが洞窟に侵入するのが早いか、ライネルが血を流しすぎて死ぬのが先か、それともディージィ―が毒で最初に死ぬのか」
俺の言葉に、キャシーは俺を睨みつけた。
その目を俺はまっすぐに受け止める。
「最悪な子供だね、ノルドは」
「何が?」
「あんたみたいな子供にこの場を任せて、私に逃げろっていうんだから、さ」
ははっ、と俺は苦笑する。
別に悪い気はしない。前世のワーウィックもきっと同じ言葉を吐いただろう。
「逃げるんじゃないよ、キャシーお姉ちゃんは援軍を呼びに行くんだ」
「私にとってはどっちでも同じよ」
そう言いながら、彼女は立ち上がる。
「ノルド、二人をよろしくね」
俺は黙って頷いた。
「じゃあ、いくよ」
俺は洞窟の外に向かって炎弾をばら撒いた。
そのうち一発がキラーマンティスを掠め、一瞬だけ相手の位置を正確に把握する。
今度は十発の炎弾をすべてキラーマンティスに向かって放つ。
全弾命中。
凄まじい爆発が巻き起こる。
並みの魔獣ならこれで引いてくれるのかもしれないが、耐性があるキラーマンティスには目くらまし程度にしかならないだろう。
だけど。
「今のうちに、早く!」
途端、キャシーが全速力でキラーマンティスの横をすり抜ける。
キラーマンティスの顔が一瞬そちらへと向けられるが、間髪を入れず、俺は再び炎弾をやつの頭部に命中させた。
一瞬でキャシーの姿が視界から消える。
それを見届けると、俺は洞窟の中へと再び撤退した。
今はまだ、やつとやり合うわけにはいかない。
「ディージィ―お姉ちゃん、大丈夫?」
意識はあって目は開いていて何かを言おうとはしているが、荒い息を繰り返すだけで、反応が薄い。
俺は彼女に状態回復の魔法をかけた。
白銀の光が彼女の体を覆う。
そして、肩口の傷にも治癒の魔法をかけた。
ディージィ―は痛みや毒が引いたせいか、安心したように目を閉じ、意識を失った。
傷自体はそれほど酷いものではなく、血を大量に失ったわけではないから、ほどなくして目を覚ますだろう。
仕方がない。
後でばれたときにどうするかは二の次だ。死なせるわけにはいかなかった。
次はライネルだ。
こっちは完全に意識がなく、出血も酷い。
まずは治癒をかけ、その後に念のため状態回復の魔法も重ね掛けしておいた。
同じ個体から攻撃を受けたのだから、ライネルもきっと毒に侵されていただろう。
治癒をかけても失われた血は戻らない。
ライネルは一命を取り留めたはずだが、しばらくは目を覚ますことはないだろう。
俺が聖魔法で二人を回復させている間も、外ではキラーマンティスが絶え間なく入り口を削り取っていた。
その音が耳に響く。
さて、これで目先の問題は解決した。
後はこの洞窟がどれぐらい持ってくれるか、というところか。
迷彩に毒まで持った相手と、さすがの俺もやり合いたくはない。
ここに閉じこもってキャシーが戻ってきてくれることを祈るほかはなかった。
しばらくすると、ディージィ―が目を覚ました。
彼女の傷は浅かったから、毒だけの問題だったのだが、予想よりも早く回復したようだ。
「これは……どういう状況なの……」
まだ頭はぼーっとしているのか、彼女の声は途切れ途切れだ。
「キャシーお姉ちゃんが援軍を呼びに行っているんだよ。もう大丈夫」
「そう……」
それだけ言うと、安心したのか彼女は再び眠りに落ちた。
さて、キャシーが砦から仲間を連れて戻ってくるのに丸一日はかかる。
それまで俺ができることはほどんどない。二人の治癒はすでに済んで、経過観察をするぐらいしかない。
――ギャァアァアア
外では絶え間なくキラーマンティスの咆哮が聞こえる。
炎弾を何度もぶつけられて怒り心頭といったところか。
実際のことろ、耐性があるならほとんどダメージには至っていないだろう。
外に出て戦うというわけにもいかなかった。
昆虫型は装甲が厚い。通常の攻撃で足を刈り取って、頭部を双撃で仕留めるという戦略が簡単に通用するとは思えなかった。
そもそも、双撃がどこまで通用するのか、という問題がある。
一か八かの賭けになってしまう。
かといって火魔法は威力が限られている。
撤退用の目くらましには使えても、戦闘では効果的ではあるとはいえなかった。
炎槍なら多少の威力はあるかもしれないが、相手は迷彩持ちでその大ぶりな一発を命中させられる自信はなかった。
ふむ、これは困ったな。
やはりキャシーが戻ってくるのを待つしかないかもしれない。
時間の進みが遅い。
日の傾きを知ることができないから、外でどれぐらいの時間が経っているのかも分からない。
キラーマンティスが洞窟に侵入するのが先か、キャシーが戻ってくるのが先か。
せめてキラーマンティスが諦めてどこかへ行ってくれれば一番いいのだが。
打つ手がなく、洞窟の中をうろうろとしていると、ディージィ―が目を覚ましたようだった。
体を起こし、不安げに周囲を見渡す。
「ノルドくん、キャシーは?」
少し前に説明したのだが、どうやら意識は朦朧としていたのか、また同じ質問を繰り返す。
「砦に援軍を呼びに行ってるよ」
「そう……あ、ライネルは?」
「容体は安定しているみたい」
彼女は横たわったライネルの息を確認すると、一瞬ほっとした顔を見せた後、首を傾げた。
「これは……誰がライネルに聖魔法を? そういえば、そもそも私の受けた毒は……?」
「ディージーィお姉ちゃんが自分で自分を解毒したんだけど。その後、ライネルおじさんの治癒をして気を失ったんだよ」
「え、覚えてないんだけど……」
「無我夢中だったんじゃない?」
俺はそっけなく返事する。
俺が聖魔法をかけたとは言えないので、そう納得してもらうしかないのだ。
「そ、そうなの……?」
「そうだよ」
「本当に?」
「それ以外、誰ができるっていうの?」
そうよね、と彼女は自分を納得させるように呟いた。
だがその目は確信していないかのように、俺をじっと見つめている。
「まさか、ね?」
「何が?」
「ううん、何でもない」
危ない、危ない。
彼女は疑心暗鬼になっている。ありえないことだが、その万に一つの可能性を捨てきれないでいるのだ。
けれど、それ以上、ディージィ―が俺を詰問することはなかった。
質問しても俺が答えないと思ったのかもしれなかった。
再び洞窟の外で咆哮が聞こえた。
キラーマンティスはまだ諦めずに外側の壁を削り取っているようだった。
「キャシーは間に合うかしら」
「どうだろう、ちょっと厳しいかもね」
さすがに丸一日ここに閉じこもっているのは無理ではないか、そう感じ始めていた。
時間の経つのが遅すぎる。
炎弾をさらにばら撒いて、キラーマンティスを牽制することも一瞬考えたが、今は魔力の回復に専念することにした。
さっきの戦闘で少し魔力を使いすぎていたからだ。
手持無沙汰になり、俺は手に持っていた短剣をくるくると回転させて遊んでいた。
ディージィ―はライネルの様子を見ながら、落ち着かない様子だ。
「ノルドくん、冷静だね」
「まあ、まだ手はなくはないから」
その俺の言葉に、彼女は目を丸くする。
もし彼女とライネルだけなら、打てる手はなかっただろう。
ディージィ―のみではキラーマンティスの相手などはできないからだ。
「何か考えがあるの?」
「まあ、追い詰められればね。今はディージィ―お姉ちゃんはライネルおじさんの様子を見ておいて」
実際のところ、打てる手など限られている。
だが、最悪の場合は、俺も腹をくくらなければならなかった。
キラーマンティスの咆哮が一際大きくなった。
きっと、なかなか洞窟の中に侵入できないので苛ついているのかもしれなかった。
さて、ここからは時間との勝負になるな、と俺は独り言ちた。
キャシーが戻ってくるのが先か、キラーマンティスが洞窟に侵入してくるのが先か。
そして、もう一つ、俺の魔力が完全に回復するのが先か。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます