第31話:キャシーの憂鬱
「キャシー、さっさと入りな」
そこに悪い意味が込められていないことが分かっていても、そのぶっきらぼうな言葉に私は辟易する。
マーシャは別に悪い人間ではないのだけれど、ちょっと付き合いにくい相手だった。
赤狼傭兵団の創設メンバーというだけではなく、アランやリリアとは古くからの付き合いで、特にアランのことを子供から知っていることもあって、砦のご意見番みたいな感じがしていた。
「ノルドのことよね?」
私の問いに、彼女は無言で首肯した。
「あれが人を殺したっていうのをもう少し詳しく教えておくれ」
「詳しく、って言われても……」
何をどう話せばいいのか分からない。
そもそも、キャシーにもよく分かっていないのだ。
目の前にある事実は、ノルドが対人でも十分にやり合えるということだけだ。
「樹海が溢れたとき、ノルドは地下壕から出ていった。あの後のことは他のメンバーから色々聞いてはいるけど、いまいち理解が追いつかなくてね。ゴブリンやオーク、はてはサイクロプスまで仕留めたっていうじゃないか」
「それはうちの部隊がみんな目にしているから、信じてもらうほかないんだけど」
「それで、今度は、ノースライトの傭兵崩れを殺したっていうのかい?」
「えぇ、そうね」
実際に、ノルドは五人殺した。
それも一切の躊躇なく、しかも指揮官と思われる男を不意打ちで殺して。
「あの子はまだ五歳なんだがね。そんな危険なことをさせたのかい」
「それは仕方がなかったってもう説明したじゃない」
そう、仕方がなかったのだ。
あの状況下では撤退して追撃を受けるよりも、反撃するほうが理にかなっていた。
そして、ノルドの提案した案が魅力的だったのは間違いない。
そう、そもそも、そこがおかしいのは分かっていた。
五歳の子供の立案した計画が、あまりにも自信に満ち溢れていたのだ。
確実に殺す、あの子はそう断言したのだ。
「それは、あんたがノルドがそれをできると確信していから、信用していたからっていうことでいいのかい?」
「ある程度は」
南門での戦いを見ていなければ、アランとの立ち合いを見ていなければ、その力量に疑いを持っていただろう。
けれど、すでに戦力として利用できる水準に達していることは理解していたのだ。
ただ、子供に戦わせるという理性だけが、私の判断を迷わせていたのだけれど。
「そこがあたしには信じられないんだがね。五歳の子供に戦わせて問題ない、というか、人殺しをさせようとする感覚が、ね」
「それは……ノルドがすでに経験があったからよ」
「今回が初めてじゃないっていうのかい?」
「そうみたいね」
実際に人を殺したところを見たわけではなかった。
だが、その淀みないあの子の話ぶりは、私にそれが事実であることを信じさせるのに十分だったのだ。
「みたい、って」
「ノルドは私たちの知らないところで、一人で樹海に何度も出ていたみたい。そこで樹海に紛れた人間を殺したことがあるようだったから」
マーシャが呆れたようにため息を吐いた。
私も彼女の感情をなぞるように、同じく一つため息を吐く。
「困ったねぇ」
「それは私が言いたいわよ」
本当にそうだ。
アランからは、ノルドを連れて樹海に出て欲しい、そう言われているが、これでは単なる子守りでは済まされない。
「どうなっているんだい、一体。アランやリリアは私らの知らないところでノルドに何を教えてるんだか」
「それは違うわ。アランやリリアもノルドの行動については知らないみたいよ」
そう、目下の問題はそこにある。
あの子は私たちの知らないところで、勝手に動き回っているのだ。
「リリアにはまだ話さないのよね?」
「子供が生まれるまでは、下手にややこしい話をさせたくない。体に障るからねぇ」
リリアはノルドを溺愛している。その子が、もう何人も人を殺して、あまつさえノースライトの傭兵崩れを殺しまくったなんて知ったら、卒倒しかねないのは事実だった。
「とりあえず、アランが戻ってきたら、ノルドのことについてはちゃんと話さないといけないさね」
「それはマーシャがやってよ」
「あんた、当事者だろう?」
「なんて説明するのよ、ノルドが人を殺したことがあったみたいだから、ノースライトの傭兵崩れの相手をさせましたって? 勘弁してよ、もう」
アランにひどく怒られるのは間違いない。
そうでなくても、すでにマーシャにこうやって責められているのだ。
「それで、ノルドの力量はどうなんだい?」
「天才どころじゃない。言いたくないけど、言葉にするなら、あの子は化け物よ」
そんな言葉を使いたくはなかった。
けれど、事実そうなのだ。すでに私の理解の範疇を越えている。
その答えを聞いて、マーシャは苦しそうな表情で眉間に皺を寄せた。
「それほどの強さなのかい」
「剣や魔法の技量もはるかに子供の水準を超えている、っていうか、もうどこの部隊に入れてもまともに戦えるだけの力はあるわ。けど、どちらかといえば、それよりも、戦闘に対する感覚、判断能力が卓越しているわ。それに胆力も」
胆力? とマーシャが不思議そうな反応を見せる。
「私たちは十二人のノースライトの傭兵崩れに囲まれていたのよ。そんな状況下で、あの子は恐怖の片りんすら見せず、何も臆することもなく、冷静に完璧に対処してみせたの」
そうだ、それが私がノルドの案に乗ろうと思った最大の根拠だ。
今ならそう判断できる。
あの子は、混乱することもなく、怯えを見せることもなく、淡々と取るべき作戦を説明していた。
それが最適解だと自信を持っていたのだ。その雰囲気に私は押された。
「もしかしたら、すでに一対多の戦闘の経験があるのかもしれない。もしくは、十二人相手にしても、負けないだけの自信があの子の中にすでにあった」
まさか、と彼女は肩を竦めてみせる。
マーシャの反応は別段驚くことではない。冷静に考えれば、私だってそう思う。
「自信があった? そんな自信を持つ人間は、この砦の中でも誰もいないだろう。あんたでもアランでも、さ」
「つまり、まだ、本気じゃないとか」
口にして、私はそれはありえないだろうと心の中で否定する。
だが、今までノルドには何度も驚かされてきた。だから、実際にそうであっても不思議ではない、そういう感情もまたあった。
「十二人の武装した大人に囲まれて、それでもなお、本気じゃなかったっていうのかい?」
「手抜きしていたとは思わないわ。そうじゃなくて、死を覚悟するような状況ではなかった、そうノルドが判断していたかも、ってだけ」
炎弾、炎壁、炎槍を使えて、かつ二刀流を使いこなす子供。
まだ見せていない奥の手があってもおかしくはない。
「アランとリリアは、またとんでもない子を拾ってきたもんだね」
「それ、ノルドに話さないでよ」
「そんなことは言われなくても分かってる、分かってるさね」
ノルドがアランとリリアが樹海で拾ってきたというのは、砦では周知の話だ。
そして、その場に私もいた。
だが、アランとリリアには口留めされていることもある。マーシャも砦の他の人間もその事実を知らない。
ノルドの出自はまだ不可解なところが残ったままなのだ。
「だけど、人殺しはあの子にとって良くない。殺しに魅入られる。なるべくさせるんじゃないよ」
「そんなことは百も承知よ。誰があんな小さな子供にさせたいなんて思うのよ」
それは私にとっても本心からの願いだった。
たとえ、人を殺すだけの技量があったとしても、それをあの子に求めるべきではない。
「あんたはなるべくノルドの傍についてやりな」
「勘弁してよ」
「リリアが戦場に出られない以上、第三部隊はしばらく砦に常駐することになるだろう。あんた以外に誰が面倒を見るっていうんだい」
そう言われて、私は二の句が継げなくなる。
そもそも、アランにも同じように頼まれているのだ。樹海への探索にも今後も連れていくことになるだろう。
そのことを考えると、私は気が重くなった。
ノルドは可愛いのだが、それだけの子供ならどれだけ気が楽か。
「ねぇ、マーシャ、ノルドは傭兵になりたいと思っているのかしら」
「何でそう思うんだい」
「何となく、よ」
一刻も早く傭兵になりたい、一人前になりたい、ノルドがそう考えているのであれば、彼の行動にも理解できる気はした。
ただ、それが少し早すぎるというのが最大の問題なのだけれど。
「まあ、周りが傭兵しかいないんだし、アランやリリアの後を継ぎたい、そう思っているかもしれないかもねぇ」
「だったら、いっそのこと、きちんと教育すべきなのかな、と思って。アランもそう考えているみたいだし」
私の言葉に、マーシャは黙ってしまった。
彼女は逡巡した後、少し苦笑した。
「にしても、それは気が早すぎるっていうもんじゃないのかい」
「でも、放っておいたら余計に危ない気がするわ」
そう、アランやリリア、砦に住む人間に気づかれないうちに樹海に出ていたのだ。
一人にしておくには危険すぎる。
「つまり、目の届く範囲でもっと経験を積ませろっていう意味かい?」
「人殺しを除いて、ね」
実際のところ、戦場にでも出ない限り、人を殺さなければいけない機会はそうは訪れないだろう。
樹海に紛れ込む人間がいないとはいえない、実際、ノースライトから落ち延びてくることはある。
だが、それは稀なことで、今回が特別だっただけだ。
「アランには樹海に連れていけって言われているし、狩りをさせる分には問題ないと思うの」
「なるほどねぇ」
マーシャは無理やり自分を納得させているような気がした。
そうでもしないと、今目の前にあるノルドの問題に対処できない、そう感じているのかもしれない。
「すでにこの前のスタンピードで魔獣は数えきれないほど仕留めているのよ。それだけならリリアの心身にも影響は少ないわ」
「そこが一番気になるところだね」
リリアはノルドが南門でゴブリンやオーク、サイクロプスと戦った場面を見てはない。
だから、まだ魔獣相手でも心配はするだろう。
それでも、彼女にも納得してもらう他なかった。
樹海とはいえ、外縁部ならすでにノルドの敵になるような魔獣はいないはずだから、私も不安はなかった。
「私がノルドの面倒をちゃんと見ているっていうなら、リリアも安心するでしょ」
「まあ、そうだとしても、ほどほどにしな」
「分かってる」
ノースライトの傭兵崩れが他に樹海に潜んでいないとも限らない。
しばらくは樹海の探索は、ノルド抜きでするつもりだった。
けれど、いつまでも樹海に出ないと、またノルドは勝手に出て行ってしまうかもしれなかった。
あまり期間を空けることもできない。
頭痛の種だな、と私は息を一つ吐いた。
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