第30話:帰り道

 俺たちは、駈足で樹海を抜けようとしていた。

 日が傾いてきたのか、樹海の中は少しずつ暗くなりつつあった。


 索敵に反応はない。だが、すでに一度襲われたこともあり、警戒を怠るわけにはいかなかった。

 一刻も早く砦に戻る必要があった。


「キャシーの言っていたことは本当だったな」

「何が?」

「ノルドの不意打ちは防げねぇってことだよ」

「そうね」


 走りながら、息も切らさず、ライネルがキャシーに話しかける。一方の俺は、すでに疲れ切っていた。

 一瞬の攻防であれば身体強化で差を埋められても、やはり基礎の体力の違いは如何ともしがたい。


 キャシーはおそらく感覚強化も併用して、最大限の注意を払っているだろう。

 返す言葉もどこか上の空だった。


「で、ノルド。お前、今まで一体何人殺してきたんだ?」

「え?」


 ふいに、ライネルに問われて俺は答えを口にすることができなかった。

 実際問題、人を殺したことがあるのは前世の話だ。


「何人殺したのかって訊いてるんだ。ありゃあ、一人や二人殺した感じじゃねぇだろ」

「覚えてないよ」

「何だよ、そりゃ。訳が分かんねぇな、相変わらず」


 そうやってはぐらかすことしかできなかったが、それ以上つっこまれても答えようがない。

 百人以上あります、って言ったところで、一体、そんな人数どこにいたんだ、って話にもなる。


 いや、適当に五人ぐらい、って答えるべきだったのか?

 そんなことをあたふた考えていると、キャシーが足を止めてライネルを睨んだ。

 

「ちょっと、ライネル、その話するのやめてくれない?」


 不機嫌そうにするキャシーを見て、ライネルは首を傾げる。


「何でだ?」

「アランやリリアにどう報告すればいいのよ」

「え、聞いたことをそのまま伝えればいいだろ? そもそもさっきノルドは五人すでに殺してるだろ」

「あー、あー、あー、聞きたくない、聞きたくない」


 キャシーは耳を塞ぎ、いやだいやだ、と首を横に振った。


「キャシー、お前、ノルドのあれ見て興味湧かないのかよ」

「湧くけど」

「じゃあ、訊けばいいだろ」

「知ったら、アランやリリアに報告しないといけないじゃない。だから、知りたくないの。あー、あー、知らない、私は何も知らない」


 キャシーが壊れてしまった。

 そういえば、と思い出す。スタンピードの南門のことも、アランとの一騎打ちも、今回も、すべて絡んでいるのはキャシーだけだ。

 

「まあ、ノルドのおかげで返り討ちにできたんだからいいだろ」

「どこの世界に、十二人の傭兵を前にして、指揮官の喉をいきなり掻き切る子供がいるのよ」

「ここにいるだろ」

「だから困ってんでしょー、あー、やだやだ、私は何も知らない、何も見てない、だからライネルがアランとリリアに話せばいいんだ」


 おいおい、俺かよ、とライネルが肩を竦める。

 キャシーはまだ両手で耳を塞いで、やだやだ、と呟いている。耳を塞いでいても、結局、声は聞こえているようだが。


「ノルドの不意打ちで相手を混乱させられたし、炎弾で相手は総崩れになったんだ、それが事実じゃねぇか」

「だから困るのよ」

「いいじゃねぇか、将来有望な子供ってことで」

「子供のできることじゃないでしょ」


 そこで、まぁまぁ、とディージィが仲裁に入る。

 俺はそんな三人の様子を見て、すいませんね、と心の中でただ謝っていた。


 実際のところ、あれが最善手だったのだ。

 結果的に、四人とも無傷で帰れているのだから、キャシーにも納得してほしいものだ。


 そんなこんなで、どうにか俺たちは樹海の外まで到達することができた。


 結局、あの傭兵たちはあれで全員だったらしい。

 死の間際の最後の男の言葉は正しかったようだ。


「ところで、ライネルおじさん、ノースライトから樹海に逃げてくる人は多いけど、逆は見ないね」


 俺はふいに思いついたことを口にする。


「そりゃ、ここはウェスクの東の端だしな、こんなところまで来て樹海を超えて、さらに税の厳しいノースライトに行こうなんてやつはいねぇよ。ウェスクからもし逃げるなら西か南だな」


 ほうほう、と俺はまた知らない情報を得て満足する。

 西といえば同盟国のルービス共和国のほうか。

 南は海洋都市があるとかいうアリステア連合国だったか。


 まあ、たしかに、わざわざ東の辺境まできて、さらに樹海を超えて北に向かうというのは悪手な気もした。


「そういえば、ノルド。お前、戦いの最中に俺とキャシーを呼び捨てにしてただろ」


 痛いところをつかれた。咄嗟のことで子供の振りができなかったのだ。

 俺の中では、キャシーやライネルは相棒みたいなものだから仕方がない。


「あ、ばれた。でも、ライネルおじさん、って言ってる暇なかったし」

「まあ、いいけどな」


 本当に気にしてなさそうにライネルは反応したが、それならわざわざ指摘などしなかっただろう。

 以後、気を付けます、と俺は一応ぺこりと頭を下げた。


「あぁ、やっと帰れた」


 砦の東門を越えて、キャシーが安堵のため息を漏らす。

 ライネルも、疲れた、と言ってその場に尻もちをつく。ディージィも疲労困憊なのか、その場にぺたりと座り込んだ。


 俺も身体強化をかけ続け、走り続けてきたおかげで、疲労は最大に達していた。

 何もないならともかく、追撃の可能性を考えて、警戒しながら逃げてきたのだから、余計な気力を使っていた。


「え、何、どうしたんだい。あんたら、血まみれじゃないかい」


 門を入ったところで、マーシャに声をかけられる。

 キャシーとディージィは何も問題ないが、俺とライネルは体中が血だらけになっているから仕方がない。


「ノルド坊ちゃん、あんた、怪我してるんじゃないかい?」

「いや、これは返り血」

「返り血って、あんた、一体樹海で何してきたんだ」

「キャシー姉ちゃんに聞いて」


 俺の言葉に、キャシーがびくんと体を跳ねさせる。そして、ジト目で俺を睨んできた。

 俺はただ肩を竦めて、関係ないといった感じで疲れた体を地面に横たえて空を仰いだ。


 空は少し赤みがかってきており、もうすぐ日が落ちそうだった。


 やはり、一人で戦うのより、複数で戦うのは心身ともに疲労が大きかった。

 ましてや、前世で共に訓練を積んできた仲間ではなく、まだ三日目の、日の浅い仲間たちとだからだ。

 連携がうまく取れるのかどうか、常に視野を広くとって動く必要があった。


 本当に疲れた。

 今後、キャシーやライネル、ディージィとではなく、即席の仲間で樹海を探索する場合は、気を付けなければならない。

 あまり危険は冒せないだろうと思った。


「そういえば、お父さんはいつ砦に帰ってくるんだっけ?」


 俺が何とはなしに訊ねると、ライネルが首を傾げる。

 キャシーはマーシャに捕まって、興奮した様子の彼女に根掘り葉掘り質問されていた。


「二週間後だったはず、だな」


 二週間後か。また、一騎討ちとか言われるのだろうか。

 いや、目先の問題はリリアにどう話すのか、そこに尽きる。

 五歳の息子が五人斬り殺してきました、なんて聞いたら卒倒してしまうかもしれない。


「ノルド坊ちゃん、あんた、人を殺したんだって?」


 キャシーから聞き出したのだろう、マーシャが顔を真っ赤にして近づいてくる。


「え、そうだけど」

「そのことはリリアに話すんじゃないよ」


 え、と俺は自然と呟いていた。

 リリアに殺しのことを話すな、とはどういうことだ。


「キャシ、ライネル、ディージィもみんないいね? リリアには内緒にしときな」


 三人ともが、こくこく、と首を縦に振る。

 それはそれで問題なんじゃないか、後でばれたらどうなるんだ、と俺は思った。

 

 しかし、どうやら、三人よりも、マーシャのほうが立場は上のようだ。


「あんたら三人とあたしが口を閉ざせば、それで済む話だ、いいね?」

「いや、でも……」


 俺が反論しようとすると、マーシャは怒ったように真剣な眼差しで俺の肩に手をやった。


「いいかい、リリアは、あんたのお母さんは今、大事な時期なんだ。変なこと聞かされて体に影響があったら困るんだよ」


 あぁ、そういうことか。

 確かに、リリアは子供を身ごもっている。もうすぐ弟か妹が生まれるのだ。


 そんな時に、息子が樹海で人を殺してきました、なんて話をするのは確かに彼女の体調のことを鑑みると良くはないかもしれない。

 マーシャの言い分も一理あると言えた。


「だから、私はやだって言ったのよ、もう」


 心底嫌そうにキャシーが反応する。


「まあ、起こっちまったもんは仕方ねぇじゃねぇか。しばらくは黙っておこうぜ」

「リリアのためだもんね」


 ライネルとディージィがマーシャの意見に同意して、不貞腐れたキャシーを宥める。

 問題児で本当にすいません。


「さ、そうと決まったなら、さっさと体洗ってきな。誰かに見られるんじゃないよ」

 

 マーシャに無理やり体を起こされ、俺は渋々とライネルと一緒に井戸へと向かうことにする。

 仕方がない。今日のことは心の中にしまっておくことにした。


 井戸で水を浴びていると、先に血を洗い流したライネルが意味深な笑みを浮かべていた。


「ノルド、今度、俺と勝負しねぇか?」


 最初、言っている意味が俺には分からなかった。

 なぜ俺と勝負しなきゃいけないんだ?

 とりあえず、何だか面倒くさそうだなとは思った。


「遠慮しときます」

「何でだよ、アランとは本気でやったんだろ。俺もいいじゃねぇか」

「いや、何となく」

「俺と斬り合おうぜ!」


 え、何、この脳筋。怖いんですけど。

 

「いや、何かおじさんは手加減してくれなさそうだし、痛い目みそうだし」

「手加減って、ノースライトの傭兵殺したやつに言われたかねぇよ」


 いや、あんたの戦技の剛撃をまともに受けたら、俺はあの傭兵のように意識を失うだけでは済まない。

 そこらへん、ライネルは分かってなさそうだ。


「本当に、無理」

「何だよ、じゃあ、訓練の手伝いみたいな感じで我慢してやるよ」


 変なのに目をつけらてしまって、俺は血を洗い流しながら、やれやれ、と心の中で思った。

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