第23話:リリアの願い
私はノルドを寝かしつけると、私室へと戻った。
アランは机の上で書類に目を通していた。彼はこういった書類の確認が得意ではない。
「ヴァリアントへの報告書はできあがったの?」
「あぁ、ジャ―ヴィスが書いてくれた。中身も確認し終わったから、明日届けさせる」
どうでもいいことかのように、ぶっきらぼうに彼は言った。
昼間の訓練場のことがあってから、彼はまるで心ここにあらずといった感じで、言葉も少なくなっていた。
「ねぇ、ノルドのことなんだけど……」
「何だ?」
「いつの間にあんなに強くなっていたのかしら」
そう、キャシーもジャ―ヴィスも天才だと褒めたたえていた。
それは、単なる称賛よりも、驚きのほうが勝っていたようだけれど。
「強く?」
「えぇ、凄いじゃない。まだ五歳なのよ」
「そうだ、五歳だな」
吐き捨てるようにアランは言った。
酷く機嫌が悪いらしかった。それがなぜなのか、私には全然分からなかった。
「何を考えているの?」
「全部だ」
「どういうこと?」
「あの強さがどこからきているのか、ってことだ」
強さの源。それは、私にも分からなかった。
私は炎弾を教えたけれど、炎壁なんて教えてもいない。
魔力の総量が増えるまでは教える気もなかったのだ。ノルドはいつの間に、いや、どうやって覚えたのだろう。
「確かに強かったけれど、それでも」
「リリアは剣士じゃないから、あれの異常さが分からないんだ。ジャ―ヴィスやキャシーにもすべては分からんだろう」
そう言われると何も言い返すことができなかった。
私やジャ―ヴィスには魔法の良しあししか分からない。
キャシーに至っては、弓のことならともかく、魔法のことも、剣での戦いのことも、アランや私ほど理解はできないだろう。
「お前が火魔法を教えていたのは知っている。初めてでいきなり三発の炎弾を放って、しかも的に命中させた、ってこともな。だが、俺と戦ったときは十発の炎弾を放っていた。しかも、お前が教えていない炎壁まで使ってみせた。使えること自体も驚くべきことだが、そもそも魔力の総量がそこまであるのが異常だろう」
「それは……そうだけど」
「しかもだ、炎弾の精度が尋常ではない。発動から発射までの早さも、その命中精度もだ。あれらすべては正確に俺を狙っていた。しかも、一度目は同時に射出されてすべて俺の体を狙っていたが、二度目は時間差で発射して迎撃しにくく、かつ、四肢を狙って分散されて放たれていたんだ。ただ魔法が使えるだけっていうだけじゃないんだ」
言われて、確かに、と私は首肯した。
その戦いに圧倒されて、あの場では細かく分析することなどできなかった。けれど、振り返ってみれば、ノルドは炎弾を緻密に操作し、アランを翻弄していたのは間違いない。
「ノルドには魔法の素質があるのよ。大陸を探せば、五歳でそれぐらいの魔法が使えるっていうのは、いないこともないわ」
「そういうことじゃないんだ」
「じゃあ、何なの」
「剣のこともそうだ。俺は片手剣しか教えていない。いつの間に二刀流を使いこなせるようになっていたんだ。
いや、それだけじゃない、そもそも、二刀流っていうのは暗殺や斥候など、隠密行動をとる職業が選ぶ剣術だ。長剣やバカでかい両手剣を携帯するわけにはいかないからな。それに、不意打ちを前提としている。戦場で戦うことに適しているわけじゃない。
そもそも、だ。二刀流なんてものは習得するのに才能だけではなく、かなりの修練を必要とする。だから、二刀流使いなんてものは珍しいんだよ。それをあれは完璧に使いこなしていた。順手と逆手持ちを切り替えて、俺の剣を的確にいなし、その小さな体に適した剣術をこなしていた」
今一度、ノルドとアランの戦いを反芻する。
確かに、ノルドは二刀流を完璧に使いこなしていた。
二刀流というのは珍しい。リリアも戦場で見たことなど稀だ。
この砦の中にだっていない。誰かの見様見真似でもないのだ。
「それも、剣の素質がある、じゃ済まないの?」
「違う、そうじゃないんだ。あれの異常性の根本は、そもそも魔法でも二刀流でもない」
「異常だなんて、そんな言葉を使わないで!」
「じゃあ、どう言えばいい? おかしいと言うのか? どっちでも同じだろう」
強く言い切るアランの言葉に、私は何も言い返すことができず、ただ黙っていることしかできなかった。
それでも、私たちの子供に、そんな言葉は使いたくなかった。
ただ、私の心が反抗をしていた。
「リリア、あれは戦いに慣れ切った人間の行動だ」
「ノルドはまだ五歳なのよ。慣れているわけないじゃない」
「なら、サイクロプスを単騎で殺したことをどう説明する? ゴブリンやオークを二百体も屠ったことは?」
「それは……」
私は二の句が継げなかった。
そういう事実があることは分かっている。だけど、私はその場面を見ていないのだ。
ノルドがどういう風に戦って、魔獣の群れを撃退したのかをこの目で見ていない。
アランとの闘いを見てもなお、私には信じられなかった。
「リリア、話を戻そう。攻撃に一切の躊躇がないんだ。ノルドは、どう攻撃を組み立てれば俺に届くか、それを瞬時に判断して仕掛けてきていた。
身長差、体格差を考慮して、足元を狙うというのはいい。だが、俺の反撃に対して即座に反応してみせた。形勢が不利だと分かると、すぐに炎壁を出して時間を稼いだ。単純に足元を狙うことを繰り返し、次の瞬間には自らを囮にして、背後から炎弾を放ってもみせた。
そう、そうだ、あれも異常なんだ。攻撃中に、一切のそぶりを見せず、不意打ちの魔法を放つことなど、並みの傭兵にはできないんだ。普通であれば、攻撃そのものに揺らぎがある、視線が俺の背後に飛んでもおかしくはない。そんな様子は一切なかった、完全な不意打ちだったんだ」
アランはまるで戦場の敵を分析するかのように説明している。
次に戦うときには、どうすればいいか、まるで再戦を予想するかのように。
「魔法に秀でているのはいい、二刀流が使えるのもいい、それらが単体でできるだけなのであれば、俺も単にノルドに素質がある、天才なんだと納得もできる。
しかし、こと戦闘に至っては別だ。あれは何十回も戦場を駆けてきたものの戦い方だ。確かに、俺は全力ではやっていない。だが、真剣だった。そう、真剣にやらざるを得なかった」
あれはリリアにもよく分かっていた。
アランは戦技や身体強化を使わなかった。使えば、ノルドは初撃で負けていたかもしれない。
アランはあくまでノルドの力を見極める戦い方をしていた。それ故に、正確にノルドの技量を理解したのだろう。
「最後の、そうだ、最後の一撃もそうだ。あれの威力は五歳の子供が出せるものじゃない。本気ではないとしても俺の剣を弾いたんだぞ。回避できないとみるや、躊躇なく迎撃に出してきたのは間違いなく戦技だ。いつ覚えた? いつからだ?」
両手で剣を振るうノルドのことを思い出す。
あれが木剣ではなく、真剣だったとしたら、人を殺すことのできる一撃だった。
それに、ノルドの力は戦闘だけではなかった。
「キャシーが言ってたわ。ノルドは索敵も使えるって」
「索敵なんぞ、どうでもいい。身体強化や加速が使えるなら、今さら驚きもしない」
吐き捨てるようにアランは言う。
そこには明確な苛立ちが含まれていた。
「リリア、ノルドは天才どころの話じゃない、あの子は異常だ」
「だから、って……」
異常だと表現するアランに、まだ私は同意できないでいた。
誰が自らの子供を異常だと言われて喜ぶだろうか。
そう、そんな強さを喜ぶことはできなかった。
「お前だって薄々感じているんじゃないのか?」
「何を?」
「ノルドは血統戦技を引き継いでいるんじゃないか、ってことだ」
ふいにアランが口にした言葉で、私は体を震わせた。
視界の端にちらついていたけれど、どうしても認めたくなかった事実に。
彼がその言葉を口にして、私は恐れていた不安が現実になっていることを理解した。
「そんな……」
「分かるだろう? 血統戦技を引き継いでいるなら、あれらの才能にも納得ができる」
「血統戦技なんて、話に聞いたことがあるだけで、どんなものなのか私たちは知らないじゃない」
「だから、だよ。魔法はともかく、二刀流を使いこなしているのはそれで説明がつく。きっと、二刀流に関連する血統戦技なんだ」
血統戦技。
大陸広しといえども、限られた人間のみが使える、その血に連なるものだけが使える戦技のことだ。
そして、それは。
「ノルドが、ノースライトの王族に血を連ねるものだって言いたいのね」
「お前も予想していたことじゃないのか」
「それは……」
ノルドを見つけたときから、薄々感じていたことだった。
けれど、私たち二人はそのことを口にはしなかった。そうでなければいい、そう願い続けてきたのだ。
「樹海で俺たちがノルドを拾ったとき、傍らで死んでいた女の持ち物の中に、ノースライトの紋章のついた短剣があっただろう。あれはやはりその女が王族に関連するものだったからだ。それですべて説明がつく。あれがノルドの本当の母親なのか、従者だったのか、それは俺らにも分からない。だが、どこぞの商人や関係のないものが、紋章の入った持ち物を持っていたとは考えにくいはずだ」
ノルドを見つけたときには、傍らの女はすでに息をしていなかった。
残っていたのはノースライト王家の紋章のついた短剣だけだ。
それは、今でも、アランの机の引き出しの中に保管されている。
ノルドの出生の秘密の鍵となるかもしれないものだったから。
「もしもノルドが血統戦技を引き継いでいるのなら、何としてでも隠さないといけない。そうしないと、ノースライトとウェスクの戦争にノルドは間違いなく巻き込まれる」
「そんな……」
「どういう形かは分からん。だが、ノルドがノースライトの王族のごたごたに巻き込まれて樹海へと落ち延びたのなら、そして生きていることがばれたなら、ノースライトから刺客が送られてくるってこともありうる。ウェスクにしてもそうだ。知られれば、ノースライトとの戦争に利用されかねん。交渉の道具にされるのか、人質にされるのかは分からんがな」
心臓がどくんと大きく跳ねた。
呼吸が乱れる。
目を背けてきた事実が、今まさに形を成そうとしていた。
「アラン、ノルドは私たちの子よ」
「分かってる!」
「変なことを考えたりしないでね」
自分で口にして、それが何を意味するのか私にも分からなかった。
だた、平穏な日常が壊されることが何よりも嫌だった。
「この件は一旦俺が預かる。ノースライトの血統戦技が何なのか、ウェスクの上層部なら何か情報を持っているかもしれない。俺はそっちから伝手をあたって調べてみる」
「けど、隠しきれないかもしれないわ。南門の戦闘は第三部隊のメンバーはみんな見ているし、どこから情報が洩れるか……」
「さすがに、ノースライトの血統戦技だとは想像しないだろう。紋章のことを知っているのは、俺とお前、あとはキャシーだけだ。キャシーには口留めをしておく」
確かに、あの時現場にいたのは私たち三人だけだ。キャシーが口を閉ざしてくれれば、秘密は保たれる。
けれどそれはいつまで持つのだろうか。
「後は、そうだな、ノルドが子供だから特異的に見えるんだ。これが成人を迎えているのであれば、その強さにも納得がいく。せめて十五歳まで、あと十年、秘匿することができれば、あるいは」
十年。それは隠し通すには長すぎるようにも思えた。
今のノルドはまだ五歳で、その年齢ですらあれほどの力を見せたのだ。
年を重ねれば、さらに力は増すだろう。
どんな戦技を発現させるかも分からない。
「ノルドには力を隠しておくように言うべきかしら」
「お前もさっき言っただろう、第三部隊のメンバーにはすでに見られている。もう砦の中に広まっているとみていいだろう。ノルドが魔獣など簡単に仕留められる力量があることは隠しようがない。だったら、逆に利用するしかない」
「利用って?」
「俺とお前が英才教育を施している天才だと、そう認識させるんだ。今まで以上に訓練をする。樹海に出してもいい。血統戦技を引き継いでいるから強いんじゃない、過度の訓練や修行をさせているから異常に強いということにするんだ」
「樹海に行かせるの?」
「サイクロプスを仕留められるのなら、外縁部どころか、ある程度なら奥に行っても大丈夫なはずだ」
「それはそうだけど……」
それでも不安が収まらない。
五歳の子供に樹海など早すぎるのだ。
私がついてくべきだろうか、いや、何かあったときのために回復魔法が使える者のほうがいい。
ジャ―ヴィスか、誰でもいい。
いや、そういうことじゃない。
私が今、確かめるべきことは他にある。
「もう一度、ちゃんと聞かせて」
「何を?」
「あの子は、ノルドは私たちの子供よね?」
アランは一度視線を下に落とし、息を一つつくと、私の目を真っすぐに見て言った。
「あぁ、もちろんだ」
私は両手をお腹にあてて、心の底から願った。
どうか、あなたのお兄ちゃんを守って、と。
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