第20話:スタンピード4
想定外だった。
リリアの体調が悪いことは分かっていた。
妊娠をしているという話は聞いていたし、予想以上に悪阻が酷いことも。
それでも、彼女という戦力を外すわけにはいかなかった。体調が万全ではなくとも、後方支援という形であれば、魔法士であれば問題ないと思ったのだ。
それが、まさか、倒れることになるとは思ってもみなかった。
「リリアを連れて後方に連れて下がって!」
部隊のメンバーの一人にリリアのことを頼む。これで戦場の人員が二人も欠けたことになる。
流産を心配している余裕は私にはなかった。
「キャシー、魔獣の数がおかしい!」
分かっている、と私は吐き捨てるように言う。
本来であれば、南門にこんなに魔獣が集中するはずはなかった。敵は東門に集中し、流れた魔獣はそのまま南を抜けて西へと、辺境都市ヴァリアントへと向かうはずだったのだ。
それが、予想以上の数の魔獣が流れてきたことで、南門に敵が殺到してきていた。
外壁の上から、炎槍が複数放たれた。
激しい閃光とともに、数十体の魔獣が物言わぬ亡骸へと変わった。
「キャシー、これでかなり減らしたはずだ」
「いや、まだ……」
見れば、門の端にある小さな通用口が破壊され、わらわらとゴブリンが這い出してきていた。
「何でこっちにこんな数が」
「知るかよ」
「キャシー、どうする?」
「三日月の陣形を取って!」
南門の内側を囲むように半円形の陣形を取り、通用口から雪崩れ込んでくる魔獣を囲む。
「キャシー、東門はどうなっているんだ?」
問われて、即座に索敵をかけた。
東門の部隊が想定以上に前に出ている。歪な形で善戦しているのだ。その分、押された感じで、行き場を失った魔獣が南へと方向を変えているようだった。
舌打ちを一つする。きっとアランやグレイルが頑張りすぎているのだ。
まずい、そう警報が心の中で鳴った。
「狼煙を上げ……」
そう言った瞬間、私は信じられないものを目にした。
両手に短剣を持った子供がすぐそばにいたのだ。
「ノルド、どうしてここに!?」
クリスタたちと一緒に地下壕にいるはずではなかったのか。
唖然とする私を無視するかのように、ノルドはいきなり三発の炎の球を砦内に侵入してきたゴブリンに向かって放った。
直撃。
三体のゴブリンが炎に包まれて地面を転げ回った。
ノルド、と声をさらにかけようとしたその瞬間、南門が爆ぜた。
最悪だ。
大型の魔獣が紛れ込んでいたのだ。オークやゴブリンであれば南門を破壊することなどできないはずだった。
混乱の極みにあった私の前を、ノルドが駆け抜けていった。
破壊された南門の穴から入り込んできたオークの足首を斬り裂くと、そのまま、うなじに斬撃を放って屠った。
何、一体、目の前で何が起こっているの?
だが、眼前の状況は私に考える暇を与えてくれなかった。
「サイクロプスがいるぞ!」
誰かが悲痛な叫びをあげた。
一つ目の大型の魔獣、サイクロプス。普通に戦えば、キャシーたち第三部隊の敵にはならないはずだった。だが、状況が悪すぎる。
空いた大穴から、ゴブリンやオークがさらに雪崩れ込んでくる。
そこに複数の炎弾が放たれる。
ゴブリンが火達磨になり、狂ったように地面を転がる。
さらにまた、炎弾が放たれ、雪崩れ込んできていたゴブリンたちが直撃を受けた。
あり得ない。
まるで熟練した魔法士のようだった。
確かに、炎弾をいくつも放ったことも驚くべきことだったが、それより、一連の行動が淀みなく、躊躇すらなかったことが私を驚愕させた。
「ノルドッ、何でこんなとこにいるの!?」
だが、私の口から出たのは、ただ、彼がこの場に居合わせていることを訊ねただけだった。
状況の把握すらできていない私は、混乱するだけだった。
「援護して」
信じられない言葉を吐くと、彼は目の前のいた二体のゴブリンを斬りつけ、突然、炎壁を使った。
巨大な炎の壁が現れ、私たちを分断する。
「キャシー、何でノルドがこんなとこにいるんだよっ!」
「知らないわよ!」
叫んでいる間にも、回り込むようにしてオークの群れがこちらへと迫ってきていた。
私は矢を番い、次々とオークを仕留めていく。
そして、炎の壁が消えて目の前に広がっていたのは、数十体のゴブリンやオークが地面に転がっているさまだった。
「何がどうなっているのよ」
私の本心の呟きは、魔獣の咆哮で誰にも聞こえなかっただろう。
ノルドが炎弾を使えるということは知っていた。アランから剣術の指導を受けている様子も何度かこの目で見ていた。
だが、まだ五歳の子供なのだ。
それが目の前で数十体のゴブリンやオークを相手に、一人立ち回っている。
炎壁が使えるほどの魔力があるのか。
なぜ二刀流が扱えるのだ。
何もかもが、目の前の状況が、何一つ信じられない。
「キャシー姉ちゃん、東門から人を呼んで」
「何言ってるの! そんなことより、早く、ノルドは後ろに下がりなさい!!」
アランとリリアの子供だからではない、ただ、五歳の子供を戦わせている歪な状況に耐えられず、私は叫んだ。
だが、彼は、べぇ、と舌を出して、私に微笑んだ。
そのまま、私を無視してまた最前線へと駆けて行った。
「キャシー、狼煙をあげたぞ」
「なら、増援が来るまで持ちこたえるわよ!」
次に目にしたときには、すでにノルドはサイクロプスと正面からやりあっていた。
目くらましとばかりに炎弾を放ち、的確にサイクロプスの足首を狙って斬撃を放っていた。
三百六十度、体を回転させながら、複数の斬撃をサイクロプスに与えている。
そのまま、ふわりと跳躍して、サイクロプスのうなじに致命傷となるであろう一撃を放っていた。
アラン、リリア、あなたたちはどういう教育をノルドにしたのよ。
「グルァァァアアアア」
サイクロプスの死に間際の咆哮が周囲に響く。
まるで一仕事終えたかのような気軽さで、ノルドはサイクロプスの死骸の前に立ちすぐんでいた。
「何なのよ、一体……」
私は弓をオークやゴブリンに放ちながら、倒れたサイクロプスを横目で眺める。
彼は魔獣の血で濡れた体を気にすることもなく、私の背後に向かってきていたゴブリンの相手をしていた。
これではまるで、気の合った相棒のようだ。
「それで、東門からの増援はまだなの?」
言いながら、彼は飛び掛かってきた二体のゴブリンを、また体を回転させながら切り返していた。
こうやって戦いながら、周囲の状況を確認する余裕すらあるのだ。
もう、驚きもしない。
「狼煙を上げたわ。五分もすれば来てくれるはずよ。それで、あんたは、ノルド、なのよね?」
「そうだけど、それが何?」
「そうよね、ノルドよね……」
質問する私が馬鹿らしくなる。
そう会話している最中にも、ゴブリンやオークが、サイクロプスの開けた穴を通り抜けて砦の中へと侵入してくる。
それをまたノルドの放った炎弾が押し戻した。
「ノルドッ、お願いだからもう下がって!」
私は叫びながらノルドの肩を掴もうとした。
視界の外にあったはずなのに、彼はあっさりと逃げると、また、べぇと舌を出してゴブリンとオークの群れの中に突っ込んでいった。
いまだ、私は目の前の光景に驚きを隠せなかった。
五歳の子供が、ノルドが、何十体もの魔獣の群れに怯みもせず斬りこんでいる。
百歩譲って、ノルドが天才で、魔法士としての才能にも、剣士としての才能にも優れていたとしよう。それでも、眼前に広がる魔獣の群れに恐怖も不安も見せないというのはおかしなことだった。
いや、それ以前の問題だった。
魔獣を躊躇なく殺せることが異常なのだ。
ノルドは、いまだ疲労すら見せず、魔獣の中で短剣を振るっていた。
まるで一陣の風が通り過ぎるように、素早い動きで魔獣の中を駆け抜けると、その後には四肢を斬り裂かれた魔獣が転がる。
視界の端で魔獣が溢れそうになると、的確にそこに炎弾を撃ち込んで抑え込んでいた。
「おい、あれ、アランとリリアの子供であってるよな?」
「そうみたい」
部隊のメンバーに問われ、私は曖昧な返事しかできなかった。
ノルドであることに間違いはない。だが、私の理性が、目の前の光景を見てそれを否定する。
いや、この状況を目にしなければ、誰が信じるだろうか。
「すげぇな、あんな子供、見たことねぇよ」
「無駄口叩いてないで、右からまたきているわよ!」
そう言いながら、弓を番え、矢を放つ。
気が付けば、私たちはどうにか魔獣の群れを踏みとどまらせることには成功していた。
「キャシー、これはどういう状況だ?」
ふいに声をかけられ振り向くと、ジャ―ヴィスと彼の部隊の三名の魔法士が駆けつけてきていた。
「知らないわよ! いきなりノルドが現れて、それで……」
「ノルド? 何でノルドがこんなとこにいるんだ、って、あれは、何でノルドが戦って……」
「ノルドのことはいいから、魔獣を砦の外に押し戻して!」
言いながら、私は何を言っているんだと自問自答していた。
これではまるで、ノルドの戦いを信頼しているかのようではないか、と。
だが、実際、彼がいなければ、南門から魔獣がさらに雪崩れ込んでいたかもしれなかった。
ジャ―ヴィスが無数の風刃を魔獣の群れに向かって放つ。
他の魔法士たちも、次々と自慢の魔法でゴブリンやオークを仕留め始めていた。
その無数の魔法の雨の中で、流れるように、まるで踊るようにノルドはまだ戦っていた。
「やった、数が減ってきてるぞ。群れが西へ移動し始めている!」
外壁の上で魔法を放っていたメンバーが叫んだ。
確かに、穴から這い出てきていた魔獣の数が減ってきていた。やったのだ、私たちは押し返したのだ。
ふと見れば、ノルドは死に損なったゴブリンやオークにとどめをさしていた。
その様子はまるで、無機質な作業のようで、何の感傷もなく、当たり前のように彼は命を刈り取っていた。
アラン、リリア、私はあなたたちに訊きたい。
何をどうすれば、こんな子供が育つのか。
それは強すぎる子供に対する不安のようでもあり、人知を超えたものに対する畏怖のような感情でもあった。
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