第18話:スタンピード2

 南門が魔獣の波に襲われていた。


 東門のアランや第一部隊はまだ気が付いていないのだろう、一部の魔獣が南に流れてしまっていることを。彼らは、勢いにまかせてさらに魔獣を押しのけている。


 すでに南門に押し寄せる魔獣の数は、二倍以上になっていた。


 もちろん、すべての魔獣が、南門へと襲い掛かっているわけではない。

 多くの魔獣は何かの意志に導かれるように、南回りで西へ西へと向かっている。それでも、南門に押し寄せる数ははるかに多くなっていた。


「どうしたい、顔が真っ青だよ」


 マーシャに指摘されて、俺は顔に出てしまったのかと反省する。

 周囲の数人が、俺の様子を伺っている。彼らを不安にさせてしまった。


「ノルド坊ちゃん、一体どうしたんだい?」

「南門の状況があんまりよくないみたい」


 通常なら、第三部隊から人を出すなり、狼煙を上げるなりしてアランに南門の窮地を知らせるだろう。


 だが、その様子はない。東門へと向かう反応はなく、南門の櫓の鐘付近にも人はいない。あと考えられるのは狼煙だが、それは索敵では分からない。


 気になるのは、後方に下がっている二人だ。

 なぜ戦線に復帰しない?


 反応は重なり合うようになっている。やはり治癒でどうにもならない怪我か何かを片方が負っていて、もう片方が介抱していると考えるのが妥当だろうか。


 治癒できない部位欠損にしても、最低限の血止めをして、もう一人はすぐに前線に戻れると思うのだが、なぜか離れようとしない。


 すでに南門に布陣している十三人は、防衛に徹しているように感じる。外壁の上から、固まるようにして南門付近に攻撃を集中させ、突破されるのを必死に防いでいるようだ。


 南門に殺到している魔獣の群れはさらに膨れ上がっている。

 最悪なことに、魔力の反応がやたら大きな魔獣もいくつか混じってきていた。


 東門にも北門にも、変化はない。今までと同じように、門へとなだれ込もうとする魔獣の相手を続けているようだ。

 第三部隊は狼煙をあげて知らせる暇もないということなのか。


「どうしよう」

「さあて、あたしらにゃどうしようもないさね。みんなの無事を祈ることぐらいしかできない」


 マーシャの答えに、俺は心の中で首を振る。

 戦えるものはまだここにいるのだ。


 何より、南門にはリリアがいる。キャシーも、他の赤狼傭兵団の仲間たちもいる。

 南門がもし抜かれれば、彼らの生死は危うくなる。


 それに加えて、この地下壕にも魔獣が迫ってくるかもしれないのだ。


 自然と体が動いていた。

 傍らにあった二振りの短剣を両手に携え、地下壕の出口へと足を向ける。


「ちょ、ちょっと、ノルド坊ちゃん、どこへ行こうっていうんだい!」

「外を見てくる」

 

 マーシャは血相を変えて俺の手首を掴んだ。


「馬鹿いうでないよ、出れるわけないじゃないか」

「行かないと」


――身体強化


 俺は彼女の手を無理やり引きはがした。

 あまりの力に驚いたのか、マーシャは顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。


「子供が何いってんだい。あたしゃ、アランやリリアにノルドをよろしくって頼まれてんだ、出すわけにはいかないよ」


 ああ、俺が外に出たと知ったら、アランやリリアは何と言うだろうか。きっと怒られるだろう。けれど、それは恐怖の表れなのだ。俺という存在を失うかもしれないという。


 いや、これから俺が起こすことを考えれば、それだけでは済まないだろう。

 けれど。


「クリスタ、他のみんなもこの子を止めておくれ」


 俺を貫くみんなの視線から感じられるのは、恐れと驚き。彼らは全員、外に出るという俺の行動を信じられないでいるのだ。


 だけど、俺はノルドであるだけではなく、グレゴリア皇国第一騎士団副団長ワーウィック・エキスピアスなのだ。

 皇国の名のもとに、すべての者に安寧を。

 まだ、第一騎士団の理念は俺の中で生きているのだから。


――炎弾


 空中に、十の炎の球が浮かんだ。それはいつでも発射できる、といった警告のつもりだった。


 撃つつもりはさらさらない。

 だが、意図は明確に伝わったようだ。

 

「ごめん、僕は止められないよ」


 ふと見ると、クリスタの腕の中でウェンディが涙目のまま、俺を唖然とした様子で見ていた。

 そうだな、それが普通の子供の反応だ。


 唖然とするみんなをその場において、俺は鉄の扉を開き、階段を登っていった。


「オォォォオオオ!」


 地上へとあがった瞬間、感じる地響きと、世界を埋め尽くすような魔獣の咆哮。

 万を超える魔獣が、ジリク砦を囲んでいるというのが体感して分かる。


 俺は一つ身震いをした。

 これは恐怖ではない。自らに課せられた使命に対する、武者震いのようなものだ。


 再び索敵をかける。すでに、南門が一部破られたようで、数体の魔獣が中に入り込んでいる反応がある。

 これでは東門に増援を呼びに行っている暇はない。


――加速


 地下壕から一直線に砦の中を駆け抜ける。

 まずは、後方に下がった二人の様子を確認しなければならない。治せるなら、最悪、口留めしてでも俺が治癒するつもりでいた。


 北門と東門のほうでは、絶え間なく爆音が響き、複数の光が闇夜の中で煌めいて、まるで昼のようになっていた。


 南門から少し離れた家屋の軒下に、二人の女性を見つける。

 一人は地面に横倒しになり、介抱する形でもう一人の女性がいた。


「お母さん!」


 倒れていたのは、リリアだった。顔面は蒼白で、びっしょりと汗をかいて苦しそうだった。


「ノ、ルド、何で、ここに……」

「そんなことより、お母さんは一体どうしたの?」


 怪我?

 いや、どこも血を流していない。

 外傷ではなく、内部に怪我を負っているのか?


 リリアを介抱していた女性が、俺の肩に手をやって言う。


「ノルドちゃん、誰か地下壕から人を呼んできてくれない? リリアを避難させたいの!」

「何で、回復魔法は?」

「怪我や病気をしているわけじゃないから、魔法は効かないの!」


 どういうことだ、魔法が効かないだと?

 そんなことはありえない……思考を巡らせながらリリアの様子を見ていて、彼女が両手をお腹に添えていることに気が付いた。


「まさか、お母さん、妊娠しているの?」


 一瞬の沈黙が場を支配した。それは肯定のサインに違いなかった。

 体調が悪そうにしていたのは、そういうことだったのだ。


 妊娠に関連するすべての症状は、魔法では解決できない。妊娠から起こる悪阻も、発熱も、倦怠感も、頭痛も、すべては正常な体の反応だからだ。


 だから、リリアは後方に引き下がるしかなかったし、流産を恐れてもう一人の女性はリリアを放置できなかった。


 なぜリリアは戦場に出たのだ。


 砦を守るために流産の危険には目を瞑るしかなかったとしても、そもそも体調が悪いなら、前線に出るべきではなかったはずだ。

 西門で物見に回るという手もあったはずなのに。


 いや、今更か。


 リリアが優秀な火魔法の使い手であるならば、前線に出さざるを得なかったともいえる。

 むしろ、まだ無事だったことを幸いと表現すべきだった。

 

「流産したわけじゃないんだよね?」

「えぇ、リリアはしばらく安静にしていれば大丈夫だと思うけど」

「じゃあ、お母さんをお願いします」


 リリアを介抱していた女性は、きょとんとした様子で、最初何を言われたのか分からないようだった。

 しばらくして俺の言った意味を理解できたのか、切羽詰まった表情で言う。


「ちょっと待って、私は南門の防衛に戻らないといけないの!」

「それは僕がやるから、心配しないで。ここで、お母さんを見ていてください」


 彼女がどれほどの手練れなのかは分からない。だが、リリアを介抱してくれたほうがいいのだ。

 男の俺は、子供の俺は、リリアを介抱するのは不向きだからだ。


「ごめん、ノルドちゃん、どういうこと?」

「動けるようになったら、お母さんを地下壕へ連れていってください」


 それだけ言い残して、俺はその場を急いで去った。

 索敵の反応から、さらに多くの魔獣が南門から砦内に侵入したことが分かっていたからだ。


 目の前で、一際大きな閃光が上がった。

 誰かが、炎槍か炎波か、高位の火魔法を南門付近で使ったのだ。


――加速


 全速力で南門に駆けつける。

 門の端にある小さな通用口から、わらわらとゴブリンが這い出してきていた。


 味方の第三部隊は、外壁の上に魔法士と思しき傭兵が三名、南門の内側を囲むように半円形の陣形を取って、地上で通用口から溢れてきている魔獣の相手をしているのが十名だった。その中に、キャシーの姿が見えた。


「ノルド、どうしてここに!?」


 キャシーの驚愕ともとれる叫び声を無視して、俺は魔法の展開に入る。

 出し惜しみはなしだが、敵の無力化を第一目標に据える。


――炎弾


 三発の炎の球を、ちょうど砦内に侵入してきたゴブリンに向かって放った。この距離なら、もはや的は外さない。

 顔面に直撃し、三体のゴブリンは炎に包まれて地面を転げ回った。


 その瞬間だった。

 南門が爆音とともに爆ぜたのだ。


 大きな魔力の反応が南門付近に近づきつつあることは分かっていた。

 だから、南門が抜かれたとしても特段、驚くことはなかった。


 むしろ、だからこそ、俺はここに来てよかった、とそう安堵した。

 間に合ったのだ。


 こん棒を振りかざしたオークが、まさに大きな穴の開いた門をくぐり抜けてきたところだった。

 俺は、キャシーや他の傭兵が南門の崩壊に一瞬気を取られている間に、身体強化と加速を使い、一気に距離を縮めた。


 地面すれすれに体を這わせ、まずはオークの左足首を斬り裂いた。

 屈むようにバランスを崩したオークの背後に回り、うなじに向かって全力の一撃を放つ。


――双撃


 ブラッディベアと比較するまでもない、もはやオークでは俺の相手にはならなかった。


 だが、俺は息つく間もなく、手首の内部に治癒の魔法をかける。

 前座は終わり、本番はこれからだったからだ。


 大穴の開いた南門から、嬌声を上げながらゴブリンの群れが雪崩こんでくる。

 そして同時に、本命が顔を見せた。


 南門を破壊したのはオークではない。オークなら、もっと時間がかっただろう。それを成したのは、もっと大きな、力のある魔獣だった。

 俺たちの前に姿を現したのは、一つ目の巨人、サイクロプスだった。

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