第16話:急変
ゴブリンとの初めての戦闘から数日経ったある日の午後、俺はリリアと訓練場で火魔法の練習をしていた。
まだ炎壁は披露していない。
単純に、まだリリアに習っていないからだ。
彼女にしてみれば、まだその段階ではないと考えているのだろうし、そもそも、そこまで魔力の総量が俺にあるとは思っていないのだ。
的に向かって、炎弾の精度を上げる訓練をしていると、血相を変えて、キャシーが駆けこんできた。
「リリア、急いできて。みんなに話があるの」
「みんな?」
息を切らすキャシーの様子に、リリアも状況を訝しがっている。
「ええ、ジャ―ヴィスにも急いでグレイルを呼んできてくれるように伝えてある」
「部隊長全員? 分かったわ」
何があったというのだろう。キャシーの様子からしてただ事ではない。非常に気になる。
「ノルド、あなたはここで一人で練習を続けていなさい」
「え、僕も行く」
「駄目よ」
「絶対やだ。ついていく」
強固な意思を示す俺に、リリアは説得するのが面倒になったのか、呆れたように答える。
「分かったわ。でも遊びじゃないのよ。黙ってついてきなさい」
よし。
傭兵稼業で招集がかかったときには、何がどう話されていたのか、会議に参加することはできなかった。
今度もどっかの国で戦争が始まったとか、そういう話なのだろうが、一度聞いてみたかったのだ。
「お母さん、ありがとう」
「遊びじゃないんだけど」
そう言った途端、リリアが少しふらついた。そのまま、膝をついた。
「だ、大丈夫?」
俺が駆け寄ってリリアの背中を撫でる
「大丈夫、たいしたことないわ」
眩暈? 貧血? 体長が悪いのだろうか。よくよく見てみると、顔色がすぐれない気はする。
気にはなったが、質問する暇もなく、キャシーに連れられて俺とリリアは訓練場を出た。
会議室に入ると、すでにアランもみんなも部屋にいた。
第一部隊長グレイル、第二部隊長ジャ―ヴィス、第三部隊長キャシー、そして、俺の中ではいまだ謎の人物、参謀扱いらしいデイサズという爺さんもいた。
「おい、何でノルドを連れてきたんだ」
「ついて来るって頑固だったのよ。誰に似たのかしら」
不機嫌というより不思議そうな反応をするアランに、リリアが両手を広げてお手上げだったという感じを出す。
「まあ、いい。それより、キャシー、報告してくれ」
アランの問いかけに、悲痛な表情でキャシーが答える。
「樹海が溢れるわ。それも、今晩か明日朝には」
溢れる?
何だ、一体何の話をしているんだ?
「何年ぶりだ」
「七年? いや、正確には前回は六年半前ね?」
答えるキャシーの表情は曇ったままだ。六年半前ということは、俺が生まれる前のことだ。
つまり、俺が生まれてからは起こっていないということになる。
「確かなのか?」
「樹海に入ってすぐに百体以上のゴブリンと遭遇したわ。それで十分じゃないかしら」
百体以上のゴブリン?
たしか、俺が最近樹海に入ったときに、複数のゴブリンと遭遇はしていた。初めて樹海に入ってから、ゴブリンとは遭遇したことがなかったし、しかも数が多いなとは薄々思ってはいたのだが。
「キャシー、お前のところの誰かを早馬で出してくれ。すぐに出せば、明日の朝にはヴァリアントに知らせられるだろう」
「分かった」
辺境都市に使いを出す?
何のために?
「ねぇ、溢れる、って何?」
自然と零れた俺の疑問に、会話が止まる。
「ノルド、黙ってるって約束だったでしょう?」
リリアが強い口調で俺を叱責する。
だが、アランは俺を止めるでもなく、諦めたように口を開いた。
「ノルド、溢れるっていうのは、樹海から魔獣が出てくるってことだ」
「じゃあ、やっつければいいじゃん。砦のみんなならゴブリン百体ぐらい倒せるでしょ」
ジリク砦にいる赤狼傭兵団には、すくなくとも各部隊合わせて合計六十名の傭兵がいる。百程度のゴブリンなど相手にならないはずなのだ。
「百や二百ならな。それが万となると全部やるのは不可能だ」
万だと?
それではまるで……。
「スタンピード」
「あぁ、ノルド、お前も聞いたことがあるのか? 誰にだ? まあ、それはいい。そうだ、スタンピードが起こるんだ」
前世でも何度か対処したことはある。第一騎士団総出で対処しなければならなかった。それほどの事態だ。地を埋め尽くす魔獣の群れに、多くの住民を避難させ、昼夜を通して終わりのない戦いを続けなければならなかった。
「じゃあ、みんなで逃げないと……」
「父さんや母さんはできない」
「何で?」
「それが俺たちの仕事だからだ。ジリク砦にノルドやお父さんたちみんなが住めるのは、こういう事態のときに対処するためなんだ」
ああ、そうだった。そういえば、そんな話をリリアに聞いたことを思いだした。
赤狼傭兵団がなぜジリク砦に居を構えていられるのか。
単なる一傭兵団とはいえ、武力を持った集団であることには変わらない。そのような集団に、砦を持たせることは普通なら許されないだろう。金で解決しているわけではなく、居を構えることを許容されている主な理由、それがスタンピード対策なのだ。
ギニア大樹海に接するジリク砦は、スタンピードが起これば最も早く知ることができる位置にある。
何かあれば、それをすぐにヴァリアントに知らせる役目を負っているというわけだ。
つまり、辺境都市ヴァリアントの私兵をわざわざ駐屯させる手間が省ける。さらに、防壁としても活用する。要は、どうにかジリク砦で時間を稼いで、ヴァリアントが準備を整えるまで時間を稼げ、なるべく魔獣の数を減らせ、と、そういうことなのだ。
「キャシー、非戦闘員をヴァリアントに避難させるのは間に合うと思うか?」
「無理ね。時間がもうない。歩きだと着く前に追いつかれるわ」
「じゃあ、急いで地下に籠るしかないな」
まじか。
要は、魔獣が砦内に侵入してくることも最悪、想定されるということか。
キャシーがアランに向かって言う。
「防衛体制は?」
「俺とグレイルの第一は東門、ジャ―ヴィスの第二は北門、南がキャシー、お前の第三で対処する。ただし、第二、第三から魔法士を何名か第一に合流させてくれ」
「西門はいいのね?」
「一人、物見を配置しておくだけでいい。何かあれば第二と第三から増援を出せ。いつも通りなら、東門に魔獣は集中するだろう。他の魔獣はそのまま砦を抜けてそのままヴァリアントを目指して西を目指すだろう。西門から逆に戻って入ってくることはないはずだ」
沈黙が会議室を支配した。
誰も彼もが真剣な顔をしている。万を超える魔獣の軍勢を相手にするのだ、無傷では済まないということだろう。
「聞いてたわね、ノルド、あなたはみんなと一緒に地下壕に行きなさい」
リリアの強い口調に、俺は反論をすることができなかった。
お母さん、僕も戦えるよ、そう言うことも可能だった。だが、それはできなかった。許してもらえるとは到底思えなかったからだ。
無能な味方は、有能な敵より厄介だ。弱い仲間は、味方を殺す。
それが分かっているから、俺は何も言うことができない。
ゴブリンの百体程度なら、今の俺なら何とでもなる。
ブラッディベアが混じっていたとしても余裕で対処できる。
だが、それは俺の力を知っている場合の話だ。アランもリリアも、他のみんなも俺の本当の力を知らない。彼らが知っているのは、せいぜい、炎弾を何発か打てる五歳の子供、ということだけなのだ。
俺が戦闘に参加できないのは仕方がない。だが、不安は消えない。
「ねぇ、みんなは大丈夫だよね? お父さんとお母さんも?」
再び沈黙が生まれる。それが、真実を告げていた。
「大丈夫だ。お父さんもお母さんも、他のみんなも、スタンピードに対処するのは初めてじゃない」
七年前は、一体何人の犠牲者が出たの?
生まれた疑問を口にすることは憚られた。きっと、数少なくない被害が出たはずだ。
アランもリリアも生きて今を迎えているから、多少の被害が出たとしても、きっと大丈夫なのだろう。
だが、それでも。
「でも、僕、火魔法が使えるよ?」
それを聞いて、リリアが悲しそうに微笑む。
「そうね、ノルドももう戦えるのよね」
だが、アランは笑顔も見せず、厳しい口調で答えた。
「ノルド、お前は、地下壕で、他の人を守りなさい」
「どういうこと?」
「お前はまだ子供だ。だが聡明だ。剣術の訓練もお父さんとしてきただろう。お母さんと火魔法の練習もして、多少は炎弾が使えるはずだ。万が一、魔獣が侵入してきたら、戦えない他のみんなを守るんだ」
それが、俺を地下壕に行かせるための言葉のあやだということはすぐに分かった。
アランにしてみれば、そう言うしかないのだ。
「ノルド、お父さんやお母さん、そしてここにいるみんながいれば、魔獣なんてなんてことはない」
だったら、何でそんな真剣な顔をしているのか。
だが、俺はただ、彼らの力を、彼らの経験を、彼らの答えを信じるしかないのだ。
「分かった。だったら、僕にも武器をちょうだい」
最悪のケースを想定しなければならない。
魔獣が砦の中に侵入してくる可能性があるというなら、俺には剣が必要だ。
残念ながら、樹海の中に入って、隠してある死者と商人の短剣を取りにいくことは不可能なのだから。
だが、リリアの反応は否定的だった。
「駄目よ、まだ早いわ」
「なんで? もし地下壕にも魔獣がきたら、僕がみんなを守るんでしょ? 武器がいるよ」
「でも、それは……」
取り乱すリリアの肩にアランが手をおいた。
「分かった。じゃあ、ノルド。あとで武器庫につれていってやる。そこで剣を取れ」
「アラン! 何言っているのか分かってるの? ノルドはまだ五歳なのよ」
「あくまで護身用だ。リリア、そうでもしないとこの子は納得しない」
リリアが納得できないと言った様子で、アランを睨みつける。
だが、アランはリリアの視線を真向に受けて、首を横に振った。
「分かってるな、ノルド。あくまで護身用だ。何かあったときのため、そういう約束だ」
「うん、分かった」
これでいい。
アランの話を信じるならば、地下壕に魔獣が侵入してくる可能性は低いのかもしれない。
それでも、剣さえあれば、何かあった時にどうとでもなる。炎弾だけで対処するというのはどうしても避けたかった。
「アラン、リリア、もう時間がないわ」
キャシーが切迫した様子で告げる。
「分かってる。ノルド、もう話はいいだろう。お父さんやみんなはこれから忙しくなる。武器をとって早く地下壕へ行く用意をしなさい」
日が落ちるまであと数時間。
万の軍勢が到達する時間は刻一刻と迫っていた。
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