第12話:死闘2

「グルㇽㇽァアア!」


 一際大きな咆哮とともに、ブラッディベアがこちらに突進してくる。

 刹那、俺も戦闘の狼煙を再びあげる。


――炎弾


 三発同時に炎の球を放つ。

 ブラッディベアの顔に、前足に、それぞれ一発ずつ命中する。あとの一発は大きく軌道がずれた。

 

「グルㇽㇽァ!」

 

 顔面に炎の球を喰らっても、構わずブラッディベアが突進してくる。怒りで痛みなど感じていないのかもしれない。


――炎壁


 回避はできなかった。

 俺の背後には、恐怖で動けなくなった女がいたからだ。


 炎の壁を回り込むように移動し、足を止めたブラッディベアの右側から再度、炎弾を放つ。横から炎の球を喰らったブラッディベアは、体の向きを変え、憤怒の表情で俺を睨む。


 そうだ、敵は俺だ。俺だけを見ろ。

 視線でそう訴える。


 魔力が最大のときに炎弾は数十発打てるとはいえ、炎壁を二回も使ってしまったから、残りは十数発といったところか。


 これ以上の無駄打ちはできない。

 牽制にしかならないが、やつの行動を僅かでも止める、貴重な攻撃手段なのだ。


 ブラッディベアは、俺を品定めするように、ゆっくりと右に移動し始めた。

 怒りにまかせた突進はしてこないようだ。おそらく、また炎弾を放たれることを警戒しているのだろう。


 だが、引いてもくれそうにない。

 真っ赤な瞳は依然、俺を正面に捉えたままだ。


 やつは方足を引きずっていて、機動力は大幅に落ちている。

 さっきの突進も、たいした速度ではなかった。

 突進を避けて、反撃をすることは可能かもしれない。


 俺は決めかねていた。

 こちらから攻撃を仕掛けるべきか、それとも相手の攻撃に合わせて反撃をするべきか。


 がさり、と背後で音がした。

 女が茂みのほうへと移動したのだ。


 それが戦闘再開の狼煙となった。

 音につられて、ブラッディベアが咆哮を上げた。また、一直線に俺に向かって駆けてくる。


――身体強化

――加速


 同時に俺は跳躍し、突進してきたブラッディベアの横へと回る。着地と同時に、戦技を放った。


――双撃


 無傷だった前足に、全身全霊の攻撃を繰り出す。

 ミシリ、と骨が軋む。手首だけではなく、今度は手や指の骨までも反動で折れてしまったらしかった。

 痛みで両手の短剣を俺は地面に落としてしまう。

 

「グァアア」

 

 ブラッディベアの体が跳ね、左の前足から流れた血が周囲に飛び散る。

 その隙に、俺は後方へと移動して距離を取った。


――治癒


 まずは利き手の右を治す。

 手首だけではなく、手も指も治さなければならず、さっきよりもはるかに時間がかかる。

 

 ブラッディベアの咆哮が周囲へと響く。

 これでやつの左の前足、後ろ足に傷を与えた。機動力も、攻撃力も大幅に奪った形になる。


 右手の治癒が終わり、左手の治癒を始める。

 これが人間相手だったら、この魔法の意味を理解して、回復の間など与えず攻撃に移ってくるだろう。


 だが、相手は魔獣だ。

 俺が何をしているのかなど理解していない。むしろ、俺からのさらなる攻撃を警戒して、警戒して動けなくなっている。


 これで、この場から去ってくれればそれが一番ありがたいのだが、そうはうまくはいかないらしかった。

 人間なら、感情より理性を優先して、撤退してくれたかもしれない。


 しかし、魔獣であるが故に、相手は引こうとはしなかった。

 

 左手の治癒はどうにか間に合った。だが、短剣を回収する暇はなかった。

 さらなる咆哮が、戦いが続いてることを如実に示していた。


 ブラッディベアの視線には、まだ怯えも撤退の様子も感じられなかった。


 まずは短剣を拾わなければならない。


――炎弾


 もはや怒りに狂っているとしか思えなかった。

 複数の炎の球を体に受けながら、それでも、おぼつきながらブラッディベアは俺に向かって突進を繰り返す。


 短剣を回収する余裕もなく、俺は回避に専念する。

 避けた俺に、傷ついた左前足の爪が襲い掛かってきた。


――加速


 間一髪で鋭い一撃を避け、地面を転がりながら距離を取る。

 やつは地面に落ちた短剣に視線をやった。


 魔獣とはいえ、俺が武器を失っていることは本能で理解しているらしい。

 短剣を俺に拾わせまいと、その周囲をうろうろと歩き回り始める。


 魔力の底が近いことを感じていた。

 放てる炎弾は残り多くても十発といったところか。

 炎壁はもはや放てそうにはない。


「グルㇽㇽァアア!」


 涎を周囲に撒き散らし、少しずつブラッディベアが距離を縮めてくる。

 短剣はやつの背後にある。


 左足に傷を負ったやつの突進は――さすがに遅すぎる。

 それゆえに生まれた隙。


――加速


 やつの上方へと跳躍する。


――炎弾


 頭上から二つの炎の球を放つ。それは、ブラッディベアの両目に直撃した。

 狂ったように暴れまわり、唾を周囲に撒き散らす。


 その間に、俺は短剣を二つとも回収した。


 両方の視界を失い、ここにきて戦意を喪失したのか、ブラッディベアはゆっくりと後ずさりを始めた。

 残念ながら、その判断は遅すぎだ。


 もう逃がさない。


 一瞬でブラッディベアの正面に到達する。


 視界を失った状態でも、気配か匂いで俺が近づいたことが分かったのだろう、やつは右の爪を前方に振り下ろした。

 俺はそれを簡単に回避すると、両手の短剣を逆手に持ち替える。


――双撃


 完全に無防備になった顔面に戦技をぶち込む。

 短剣がやつの両目に刺さった。


「グルァアアアア!」


 そのまま、短剣をぐるりと半回転させて捻じりこむ。

 瞬間、引き抜いてすぐにその場から離脱する。やつの最後のあがきの反撃が空を切った。


「グゥ」


 ブラッディベアの体がどさりと地面に横たわる。

 小さな咆哮を最後に、やつはそれ以上動かなくなった。


 終わった、終わったのだ。


 ブラッディベアが息絶えたのかどうかは分からなかった。

 確かに致命傷を与えた感触はあったが、無防備に近づいて、まだ息があるかどうか確認するつもりはない。


 放っておいてもいずれ死ぬだろう。

 少なくとも、俺や女を追撃することはもう不可能なのだから、それで十分だ。


「ふぅ」


 俺は大きく一つ息を吐いた。


 運が悪ければ、死ぬところだった。

 ギニア大樹海の恐ろしさをこれでもかというほど思い知らされた。少し舐めていた。

 

 外縁部でもこれなのだ。

 これ以上奥へと進まないように、気を付けなくてはならない。


 そうでなくとも、深部からもっと強力な魔獣が外縁部まで足を運ばないとも限らない。これからは、一層の注意を払う必要がある。


 今回勝てたのが運だったとは思わない。


 今までの訓練がなければ、魔力の総量がもっと少なければ、炎弾や炎壁が放てなければ、双撃が使えなければ、治癒を習得していなければ、俺は女を見捨てて逃げるしかなかった。


 そういう意味では、毎日の修行の成果が出たといえる。


 そして、あの死者と、商人には俺を言わなければならない。

 剣が二つ揃っていなければ、この結果は得られなかっただろう。

 

 どちらも、刃こぼれすることもなく、この両手に存在している。

 造りが悪ければ、複数の双撃に耐えられなかったかもしれない。


 ノルドがブラッディベアを倒したと知ったら、アランやリリア、砦のみんなはどう思うだろうか。

 まず間違いなく、信用されないだろう。だが、目の前にはブラッディベアがいる。


 事実を突きつけられたとき、表情に現れるのは、畏怖か嫌悪か。それとも、喜んで受け入れてくれるだろうか。


 ないな。

 ありえない。


 四歳のガキがブラッディベアを単騎撃破することなど、どう考えてもあり得ないのだ。

 事実から目を背けるだろう。そして、残るのは何とも言えない不安だ。

 もし、本当だったらどうしよう、表情は曇るに違いない。


 やはり、まだ、俺の力は隠しておかなければならない。

 いつかは分からない、いずれ、その時がくるまでは。


 ふいに女のことを思い出し、索敵をかけると、女がまださっきの場所にいるのが分かった。

 とっくの昔に逃げおおせているものと思っていたのだが、どうやら、腰でも抜かしているらしい。


 俺が再び姿を見せると、女は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ひぃ、と小さく声を上げた。


「ギャア、ギャア」


 ローブで顔を隠した状態で、いつもどおり自称ゴブリン語で話しかける。

 女は、鳴き声をあげるだけで、動こうとしない。


 仕方ないな。

 炎弾を近くに一発打ち込んでやると、彼女は飛び跳ねたように立ち上がった。そして、一目散に俺から離れていこうとする。


 違う、そっちじゃない。

 せっかく命を懸けて助けたんだ。樹海で迷って死なれても困る。


 俺は彼女の前方に回り込むと、またギャアギャアと叫びまくった。

 女は半狂乱になりながら、踵を返して走り出した。


 よし、その方向なら問題ない。真っすぐ進めば樹海から出られるだろう。

 俺は鬼ごっこのような感じで、彼女が道を間違えないよう、一定の距離を保ちながら追いかけ続けた。


 樹海の外が見え始めた頃、俺は彼女を追うのをやめた。

 これで問題ない。


 ヴァリアントまで到達するまで手助けするつもりはなかった。

 さすがにそれは時間的に足りない。朝が来るまでには砦に戻らないといけないからだ。


 まあ、ここまでお膳立てしたのだから、女神リーズも許してくださるだろう。女神がこの近くにもいれば、だが。


 せめて、名前でも知れれば、いずれ何か役に立ったかもしれないが、残念ながらゴブリン語ではそれは無理だった。

 黒髪、眼鏡をかけた二十代の女だった。まあ、顔は覚えたからよしとするか。


 まだ夜が明けるまでには時間がある。


 しかし、すでに俺の体も心も疲れ切っていた。

 魔力の総量も心もとない。何より、ブラッディベアを倒したという事実が、俺にもう今日の訓練は十分だという感情をもたらしていた。

 

 明日はちょっと訓練を休むかな、そんなことを考えながら、俺は砦へと足を向けた。

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