第7話:父の指導

 ある日、アランに連れられて、ジリク砦の訓練場へと向かった。


 そこは前世の第一騎士団で使っていたのに比べれば、はるかにみすぼらしい造りをしていたが、ある程度の体裁は整っているようで、手合わせ用の広めの区画と、魔法や弓の試し打ちをするであろう標的が用意された区画に分かれていた。


 以前、アランと第一部隊の部隊長グレイルという男が手合わせをしていた場所へと連れていかれ、小さな木剣を渡される。


「ノルド、今日からお前の訓練をするぞ」


 ちょっと早すぎないですかね、お父さん?

 とは言えず、言われた通り、木剣に両手をあてる。


「こう?」


 慣れていないかのような手つきで木剣を構える。


 わけではない。

 実際問題、子供用とはいえ、木剣が重すぎて、バランスがうまく取れなくて、慣れていないかのような恰好になってしまう。


 やはり三歳は早すぎる。


 いや、すでにギニア大樹海で狩りをしまくっている、とはもちろん言えないし、死者の短剣のほうが馴染んでいるとも言えない。


「それで素振りをするんだ」

「片手で?」


 俺の利き手は右である。

 死者の短剣が一つしかないのが残念で仕方がない。


 あれからもう一本ぐらい見つからないかと樹海の中を捜索してみてはいるのだが、残念ながら短剣どころか、何も見つかっていない。


「いや、両手で持つんだ」


 アランは両手剣使いである。

 だから、俺にも両手剣を教えるつもりなのだろう。


 前世でも両手剣使いは当然いた。数としては当然少数派であったが、少ないというほどでもなく、両手剣の威力を好んで使う騎士や傭兵はそれなりの数で存在していた。


 むしろ、双剣使い、つまり二刀流のほうが騎士や傭兵では圧倒的に少数派どころか、ほとんどいなかった。

 その携帯性を好む斥候や暗殺者などが好むものであり、加えて、高い技量が必要という理由もあったが。


 かといって、アランに、両手剣は嫌です、とも言えず、渋々訓練に付き合うことにする。ま、どこかで役に立つことはあるだろうし、そもそも筋力向上には向いた訓練スタイルではあると自分を納得させた。


 慣れない状況で、何度も木剣を振るう。

 思いっきり振れば、その重さから、体ごと前に持っていかれそうになった。


 身体強化を使わない、自力での訓練になり、三歳の体力・筋力だとすぐに限界がきた。

 十回も振れば、途端に手の力がなくなる。


「休憩するな、あと十回だ」


 いつもの優しい父親の笑みはなく、真面目な面持ちでアランは言う。

 リリアは俺に傭兵にならなくてもいいと言っていたが、アランはそうではないのかもしれない。


「僕も傭兵になるの?」


 そう聞いてみた。

 実際のところ、自分の道は決まっている。あの仇敵、ハーミットを再び屠ることが俺の最終目的なのだ。

 その過程で、冒険者だろうが騎士だろうが傭兵だろうが、それは、その目的のために一番いい手段を取ることになるだろう。


「傭兵になるとかならないとか関係ない、自分の力で生き抜いていかないといけないからな、覚えて損はない」


 ふと、アランは悲しそうな眼差しになる。

 彼には彼で何か思うところがあるのかもしれない。


 ともかく、剣が使えることにこしたことはない、その意見には賛同する。


「分かった」


 さらに数回剣を振るが、やはりもう十回は無理だった。手が痺れ、木剣が手のひらから零れ落ちる。


「まだだ、拾いなさい」


 そう言われても、できないものはできないんだが、と俺は少し彼を上目遣いで睨みつけた。


「もう、無理、ちょっと休憩したい」

「剣が振れないなら、この訓練場の中を十周、走るんだ」


 おお、過酷な訓練だな、と俺は独りごちた。

 それはそれで仕方がないな、と、まあ、昼の訓練だと思えばそれはそれでいいか、と納得しかけたのだが。


「ノルド、可哀そう」


 赤毛の女の子が近寄ってきてそう呟いた。

 彼女の名はウェンディという。俺の乳母をやってくれていたクリスタの娘だ。


「あたし、ノルドのお姉さんだから、慰めてあげる」


 そういって俺の頭をよしよしと撫でる。

 お姉さんと言ってはいるが、リリアやクリスタによれば、俺とウェンディは同い年のはずなのだが、いつもこうやってお姉さん風を吹かせてくる。


「同い年だ」

「ウェンディのほうが生まれたのは早いもん!」


 彼女の誕生日は俺より一か月早く、どうやら、彼女の中ではその差は大きいらしい。


「ウェンディは魔法の練習がんばって」


 訓練場の端で、第二部隊長のジャ―ヴィスが手招きをしていた。彼がウェンディの父親だ。おそらく、父親の手によって、同じ魔法士として育てられていくのだろう。


「あたしはもう風魔法使えるもん」


 自慢するように頬を膨らませるウェンディ。

 もし本当なら大したものだ。彼女も同じ三歳なのだから、


「ウェンディ、もう風魔法覚えたのか?」

 

 酷く驚いた様子でアランが彼女に声をかける。その様子は、お世辞でもなんでもなく、初めて聞いて驚いた感じだった。


「アランおじちゃん、見たい?」


 ふふん、という感じでウェンディが胸を張る。アランは食い気味で彼女に近づいた。


「あぁ、見せて欲しい」


 アランのお願いに、ウェンディは満面の笑みで答えた。


「じゃあ――風環っ!」


 ウェンディは右の手のひらを上に向け、その詠唱とともに……何も起こらなかった。


「え? できてないじゃん」


 つい俺は感じたことをそのまま声に出してしまった。


「できているもん、ノルドには分からないだけだよ」


 無言でアランが俺の手を取り、ウェンディの右手の上に重ねようとする。すると、不思議なことに俺の手には微かに押し返される感覚があった。


「おぉ、手のひらの上に風の塊がある!」


 そう言って、なるほど、と俺はさらに頷いた。


 それは本当に小さな風の塊にすぎなかった。三歳の力でも無理に手をくっつけて押しつぶせてしまえるほどには弱い風だ。だが、確かに、それは手のひらの上に生成されていた。


 一応、風の魔法の発動に成功している、これはこれで天才といえるのかもしれなかった。

 魔力の総量は分からないが、まだ三歳だ。将来は期待できるだろう。


 アランや俺の驚きを前にして、ウェンディは鼻高々だ。


「さあ、じゃあ二人とも訓練に戻るぞ。ウェンディもお父さんが呼んでいるよ」


 アランがそう指示すると、ウェンディは慌てた様子で父親であるジャ―ヴィスの元へと駆けて行った。


 ジャ―ヴィスが聖魔法、つまり回復魔法の治癒や状態回復を使っているのは見たことがあったが、彼は風魔法も使えるのか。でないと自らの、しかも三歳の娘に教えようとはしないだろう。部隊長を任されるだけあって多才なものだ、と俺は感心した。


 そのとき、銀髪のエルフがふいに視界に入った。


 第三部隊長のキャシーが訓練場にやってきたのだ。一直線にアランのほうへとやってくる。どうやら訓練のために来たのではなく、アランに用があるようだ。


「ちょっといい?」

 

 妙な雰囲気でキャシーが声をかけてくる。

 

「今、大事な大事な息子との、貴重な貴重なお稽古の時間なんだが、まさか、それを止めてまでのことか?」

「はいはい、それはそれは失礼しました。すぐに終わらせるから、ちょっとだけ報告させて」


 呆れたようにキャシーが言う。急いできたのか、乱れた髪を直すと、一息つき、アランの様子を伺っていた。

 アランはふぅと息を一つ吐くと、俺に目配せした。


「ノルド、ちょっと待ってなさい。で、キャシー、用件は?」


 アランは少し不機嫌なようだ。いや、どちらかといえば、キャシーの様子を訝しがっているのかもしれない。


「ちょっと樹海の見回りをしてきたんだけど、やっぱりまた動物が殺されてる」

「熊や魔獣のせいじゃなく、か?」

「人間の手によるものよ、間違いない」


 すいません、それ、俺です。

 とは言えない。


「人間か……」

「ごめん、言い直すわ。人間やゴブリン、オークを含む、人の形をした何か、が武器を使って動物を殺してるってのが正確かも」

「そう言われると急に物騒になってきたな」


 ゴブリンやオークも含む、って何だ、初めて聞いたぞ。

 樹海の外縁部には、そんな物騒なやつはいないはずじゃなかったのか?


 後で、アランかリリアに根掘り葉掘り聞かないといけないな。


「そんな大げさな言い方でなくても、人型の魔獣? とか?」


 人型の魔獣って、ゴブリンやオークと何が違うんだ? と俺が心の中で思っていると、アランも同じように感じていたのか、どっちみち予想がつかないな、と首をひねっていた。


「本気で調査をしたほうがいいと思うか?」


 アランが腕を組んでキャシーに訊ねる。


「どうだろうね、動物が死んでいる以外の実害がないしね。肉を持っていってる形跡がないから、樹海に誰かが住み着いて食事のために狩りをしているわけでもない。樹海に紛れ込んだ盗賊や冒険者が新しい剣の試し切りをしたってのなら分からなくもないけど、それにしては見つかる数が多すぎるし、長期間すぎる。砦の誰かが隠れてって可能性はあるけど、それだと何で隠れて樹海でウサギやらイノシシを狩っているのか目的が検討もつかないし、ほんと訳が分からない」


 申し訳ないです、混乱させて本当に申し訳ないです。

 修行の一環なんです、とは言えないこの状況。


 俺は心の中でひたすら謝ることしかできない。


「じゃあ、様子見だな」

「気持ち悪いけど、それでいいと思う」

「とりあえず、情報だけ全員に共有しておいてくれ」

「分かったわ」


 それだけ言い残して、キャシーは訓練場を去っていった。


「さて、ノルド。訓練を続けようか」

「え、そろそろ、お昼寝の時間が……」

「十分休憩は取れただろ。もう少し頑張ろう、な?」

 

 ぐわし、と小さな肩を掴まれて、俺はもはや逃げられなくなった。

 結局、さらに休憩を何度か入れながら、三十回ほど素振りをさせられ、訓練場の周囲を五周走らされた。


「まさか、これから毎日……」

「その通り! さすがノルドだな、頭がいい、よく分かっている」


 これは大変なことになった、と俺は独りごちた。

 あまり昼間に疲れすぎると、夜の訓練ができなくなってしまう。


 精神は大人でも体は子供なのだ、起きられなくなるだろう。

 これはリリアに懇願して、アランに鍛錬はほどほどにしてもらえるように強く言ってもらうしかない。


「明日は、俺と打ち合ってみるか?」

 

 がはは、と豪快に笑う父親を見て、楽しそうなのはいいことだな、とため息をついた。


 そういえば、と思い出す。

 前世の養父である騎士団長ルーベルトは、俺が成人になり、一緒に酒が飲めるようになったことをひどく喜んでいたなと。


 胸の奥のほうが少しだけ痛んだ。

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