第6話:野外訓練
ついに決行する日がやってきた。
ある日の夜、俺は気配遮断を行いながら、ジリク砦を出てギニア大樹海へと向かった。
幸いなことに、物見や他の人々に気づかれることはなかった。
俺の身長はいまだアランの腰にも満たない。これだけ小さな物体が砦内を動き回っていても、小動物かせいぜい子犬にしか感じ取れないのかもしれない。
リリアはよく樹海の話をしてくれた。
深層部には赤狼傭兵団全員でも手に負えないような恐ろしい魔獣が跋扈しているようだったが、外縁部であれば魔獣もほとんどおらず、イノシシやウサギ、鹿が捕れると言っていた。
目先は、体力向上を目指すことになる。
さすがに狭い部屋の中で走り回るのには限界がある。
そういう意味では、樹海の外縁部は自然の訓練施設に最適かもしれなかった。
できれば小動物を相手に一戦交えるのもよいかと思ってはいるが、残念ながら武器がない。
手ごろな棒切れでもあれば、ウサギぐらいなら仕留められるかもしれないが。
まあ、武器がなければ、炎弾でどうにかなるかもしれない。
初めての樹海は、思っていたものとはだいぶ違った。俺はもっと瘴気の満ちた魔界のようなものを想定していたのだが、外縁部ということもあるのだろう、単なる林にしか見えなかった。
――索敵
周囲に魔獣や人の反応はない。
――感覚強化
俺の手には負えないであろう、熊や大型の動物の気配も感じられなかった。
まあ、俺の感覚強化はそれほど鋭敏なものではないだろうから、あまりあてにはならないのだが。
――身体強化
すでに大人の男ぐらいのスピードで駆けることができる。樹海の中を縦横無尽に走り回り、跳躍をし、疲れれば休憩を取った。
次は、炎弾の練習だ。
部屋では試すことができなかったから、思いっきり目の前の木に向かって炎弾をぶっ放す。
残念ながら、目標は逸れて、気の根本に着弾した。
どうやら、繊細な技量が求められるようだ。
今まで部屋の中で炎弾を浮かせて、くるくると操作をして精度を高めていたつもりだったが、直線的に放ったことがなかったから、まあ、一回目としては仕方ないのかもしれない。
何度か試しているうちに、やっと当たるようになってきた。放てるだけ放って、二十回が限度だった。
結果、目標に当たったのは十二回。
まあ今は半分あたれば御の字といったところらしい。
できれば、五発中四発は当たってくれないと、実戦では使えないだろう。一対多なら弾幕でも使えるが、一対一だと、そもそも止まっている的に必中ぐらいでないと役に立たないどころか、逆に隙をつかれてしまう。
火魔法の練習が終わった後は、また残った魔力で身体強化をして、樹海の中を走りまわった。
ふと見ると、大木の根本に、白骨があった。
最近死んだものではない、おそらく数年は経っているだろう。ぼろぼろになったローブらしきものもある。男か女かは判別はできなかった。
その足元に、錆びた片刃の短剣を見つける。
三歳の俺でもどうにか持つことのできる、非常に小ぶりなものだ。
おそらく、この持ち主の白骨死体の護身用のものだったのかもしれない。鞘の部分に鳥をあしらった紋章が刻まれている。
護身用の短剣で片刃は珍しい。双剣使いとしてはありがたいのだが。
この持ち主は高貴な人だったのだろうか。短剣のほかに、武器や防具は周囲に見当たらなかった。少なくとも、冒険者や騎士などではなかったのだろう。
俺はこの人の死後の安寧を祈り、一つお願いをした。
この死者の短剣とローブを俺に引き継がせてほしい、と。
短剣は錆びて切れ味は期待できなかったが、突き刺すだけの強度はまだありそうだったからだ。おそらく、元が良い品物だったはずだ。
また、ローブの土を払い、顔と体を隠すフードとして利用することにした。これで、仮に誰かに目撃されても、俺だとすぐにはばれないだろう。
それから俺は、毎日、夜になるとギニア大樹海へと繰り出した。
身体強化、感覚強化、索敵、どれも日々能力は向上していった。
子供だから成長度合いが高いのかもしれない。
魔力の総量は少しずつ増えていくため、炎弾の回数はそれほど一気に増えはしなかったが、命中精度も高くなっていった。
また、死者の短剣も、多少研いだ成果もあって、十分な殺傷能力を持ったため、ウサギ狩りも始めた。さすがに切りつけて殺せるほどの切れ味はなかったが、刺突で十分だったからだ。
残念ながら、前世で得意としていた戦技、斬環や双撃を身に着けるにはまだ早いようで、腕力も脚力も全然足りないままだった。
先は長そうではあったが、まだ三歳ということを考えると、俺の気が早いだけなのかもしれない。
ある日、俺は、ついにウサギ狩りから、次のステップにうつることにした。
そう、イノシシを仕留めるのだ。
俺の視線の先には、俺の体の数倍はあろうかという大きさのイノシシが警戒もせず歩いていた。
成人であれば、ちょうど手ごろなサイズの相手なのかもしれないが、三歳の俺にはこいつでさえ、巨大な動物といえる。
まずは小手調べとして、炎弾を数発浴びせる。
俺の炎弾はまだ手のひらサイズぐらいしかないから、それで仕留めることなど不可能だ。せいぜいイノシシの体表の一部を焦がすぐらいしかできない。
不意打ちの炎弾で驚いて駆け出すイノシシを、身体強化を施した脚力で追いかける。
再びの炎弾。
それはイノシシの向かい数歩先に着弾し、やつの足を止める。
そこで背後から、左後ろ足を斬りつける。
もちろん、切れ味は限定的で、斬り落とすことなどできはしない。だが、これでやつの機動力を奪う。
吠えたイノシシが俺に視線を向ける。
追加の炎弾を顔面に喰らわせる。ちょうどよい目くらましにはなっただろう。
また、左後ろ足を斬りつける。
やつは完全に移動力を失い、這うように逃げようともがき始めた。
敵の戦意が失われたところで、死者の短剣を首筋に突き刺す。体力強化を施したこの体の腕力であれば、それは大人の男のそれと変わらない。十分な深さで短剣が突き刺さった。
だが、これでは致命傷にはならない。
すぐに引き抜き、今度は左目に突き刺し、深く刺さったところでぐるりと捻じった。
やつは再び咆哮し、体を大きく震わせ、地面に横たわった。
今度は全体重をかけて、右目に刺突を喰らわせる。さらに深く、奥へ奥へと突き刺して、大きく短剣を捻じりこんだ。
断末魔の悲鳴が樹海に響いた。
やつは完全に活動を停止した。
勝ったのだ。
やった。
三歳の体でも、どうにか仕留めることに成功したのだ。
程よい疲労感と、心地良い達成感に、俺は再び生を受けてから味わう最高の達成感を感じていた。
もちろん、初めて立ち上がることができたときも、身体強化に成功したときも、治癒ができたときも、炎弾を放ったときも、それなりの達成感を味わってはいたが、やはり一対一での勝負に勝った感覚は別物だった。
三歳の自分よりも遥かに格上の相手なのだ。
もちろん、前世の俺であれば、一太刀で切り伏せられる程度の、道端の石ころのような存在が相手だ。
それでも俺にとっては大きな一歩だった。
これは同時に、俺自身が、大人と同じ強さを手に入れたことの証明になる。
それも、普通の、街で暮らしている人間程度ではなく、素人に毛の生えた程度かもしれないが冒険者や狩人の入り口に立ったことを意味する。それは十分すぎるほどの達成感を俺に味合わせてくれた。
毎日毎日、身体強化や火魔法の訓練を繰り返してきた、その結果の表れだったのだ。
それから俺は、ウサギだけではなくイノシシやシカの狩りをメインにするようになった。
さすがに一日に何匹も遭遇することはないし、仮に見つけたとしても一日一匹が限度ではあった。魔力の総量もそうだが、体力と集中力が限界を迎えるからだ。
相手は自分の数倍もの大きさをもつ動物であり、仮に体当たりでも喰らえば、一発で意識を刈り取られる恐れがあった。被弾を一切せず、相手を仕留めるのはやはり難しかった。
アランやリリアは、すでにそれほどの力を手に入れた息子を見てどう思うだろうか、そう気になったこともあった。
明らかに普通ではないのだ。
三歳の子供が火魔法を繰り出し、自身の数倍の大きさのある動物を仕留めることが、ではない。
おかしいのは、それをしようとする精神だ。
ジリク砦には俺以外にも何人か子供がいる。他の傭兵の家族たちだ。
彼らは、すでに魔法の訓練をしたり、木剣を使って決闘ごっこをしているものもいる。
だが、それは、大人から強制されたものであったり、遊びの延長でしかない。
自らを鍛えるために、樹海に身を投じようとはしない。
さらに、おかしいのは、殺すことを何とも思わないことだ。
俺は前世で数えきれないほどの人を、魔獣を、アンデッドを屠ってきた。だから、殺しに関しての禁忌を覚えない。
自らを守るために、結果的に殺してしまった、そうではないのだ。
もしも子供が何の感情もなく殺しを行ったのならば、その子供の精神を周囲は間違いなく疑うだろう。
そして、殺すことに対して最適化された行動をとることは、最も恐ろしいことだ。
炎弾で目くらましをし、相手の機動力を奪い、確実に急所を狙う俺の行動は、それは畏怖の象徴などではない、そもそも誰にも信じてもらえないだろう。
それが三歳の子供の行動なのだとしたら、だ。
だから、俺は、そしてジリク砦に住むすべての傭兵やその家族たちに、自身の手の内を明かすつもりはまだない。
特に、アランやリリアには知られたくない。
自らの子供が、身体強化を使えることは問題ない。
炎弾を放つことができれば、天才だと褒められるかもしれない。
仮にウサギを狩ったとして、そこまではどうにか許容されるかもしれない。
だが、殺しの手段を見られるわけにはいかない。
アランとリリアは、間違いなく俺を一人の息子として愛してくれている。
その体に、ワーウィック・エキスピアスとしての自我が入り込んでいるとして、それを疑われることは、きっと彼らを悲しませる、そう思った。
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