第4話:身体強化

 さらに一か月が経った。そして俺はついに、立ち上がることができるようになった。


 つかまり立ちではない。つたい歩きでもない。

 すでに、よちよち歩きができるようになったのだ。

 どうにか部屋の端から端までは歩いて到達することができるようになったのだ。


 人生は素晴らしい。


 まだ歩きはおぼつかない。バランスを崩すこともよくある。

 だが、怪我を恐れる必要はないのだ。


 夜な夜な、両親が眠った後、俺は歩く練習をした。


 前のめりに倒れて鼻を床に打ちつけ、血まみれになることもあったが、何の問題もない、俺は治癒が使えるのだ。もちろん、翌朝、血の跡を見てリリアが卒倒するのだが。


 昼はよく眠り、夜はよく遊ぶ。いや、訓練か。


 アランやリリアの見ている前では、普通の子供らしく、よろよろとバランスを取るのに苦労しながら歩くことしかできない。

 だが、昼寝を十分にとるようにして、二人が眠った後に、一人深夜に歩く訓練をすることにした。


――身体強化


 戦技の一つで、魔力を纏うことで飛躍的な身体の向上が見込める。前世では俺は拳闘士ではなかったから、それなりの効果しか得られなかったが、子供の今となっては、かなり重要な技術になる。


 まだ使い慣れていないため効果も限定的だが、歩くどころか、走り回ることができるようになった。

 感覚的には、二歳~三歳の運動能力になったといえるかもしれない。


 頭が重く、走る際のバランスのとり方が大人とは違うのが難点で、最初のうちは何度も倒れて頭から床に突っ込んだ。


 ノルドの体の魔力の総量はまだ心もとなく、最初のうちは継続時間も十数分しかもたなかったが、毎晩訓練をしているうちに一時間ぐらい持つようになった。


 身体強化を使い続けることで効率的に使えるようになったのか、それとも魔力の総量が確実に増えてきているのか、その両方かもしれないが。


 晴れたある日、俺は外で遊んでいた。


 目の前では、アランと第一部隊の部隊長グレイルという男が、剣術の訓練なのか、手合わせをしていた。

 アランは両手剣、グレイルは左手にラウンドシールド、右手に長剣というスタイルだった。

 

 アランの剣術を見るのはこれが初めてだった。

 一言で言えば、粗暴と繊細の使い分けがひどく上手な男だった。


 攻撃は野蛮で、力任せの流れがよく見られる。

 例えば、グレイルがラウンドシールドでアランの攻撃を防げば、それを力押しして相手の体勢を崩そうとする。もう少し搦め手を組み合わせることもできるのかもしれないが、一点突破という感じが強かった。

 

 一方で、防御となると、今度は非常に繊細になる。グレイルの攻撃に対して、紙一重で躱し、回避と同時にすぐに反撃できる位置取りを取ろうとする傾向にあった。躱しきれないときは、剣で優しく軌道を逸らすなど、攻撃の際とはかけ離れた丁寧な行動を見せる。

 

 不思議な戦い方をする男、もとい父親だった。第一騎士団でもこのような戦い方をするものはいなかった。


 相対するグレイルという男は、黒髪長髪で、後ろで髪をひとまとめにしていた。見るからに顔は優男だったが、動きにぶれがなく、体は十分に鍛えられていることが動作から判別できた。


 グレイルは王道といった攻守のスタイルで、盾で敵の攻撃をいなし、バランスを崩し、片手剣で攻撃するという感じだ。


 第一騎士団の中でも一般的なスタイルだった。よく言えば、非の打ち所がない、悪く言えば、特徴がない。こういう戦闘スタイルを好むものは、根が慎重で真面目な傾向がある。そして、アランのような非王道な相手とは相性が悪い。


 木剣を使った打ち合いが何度か行われたが、アランが負けることは一度もなかった。まあ、団長という肩書を持つ以上、部隊長に負けていては面目が立たないのかもしれないが。


 そして俺はそれを横目で見ながら、土の上を歩き回っている。


 横でリリアが何だか喜んだり叫んだりしているが、聞こえていない振りをして、ただひたすら歩き回る。訓

 練というよりは、単に歩いて頑張っている振りをしているだけである。


 歩き回りながら、俺は別の戦技を試していた。


――感覚強化


 一般的には斥候担当が使う技術である。その名の通り、周囲の音や気配に敏感になる。冒険者や盗賊には必須の技術ではあるが、騎士団では斥候担当以外では不要とされたものだった。


 実際、俺は感覚強化は得意ではなかった。

 冒険者と合同で盗賊狩りをした際に、暇つぶしついでにある冒険者に教えてもらったのだが、使う機会はついにこなかった。だが、今となっては使えるものは何でも使う。


 アランとグレイルが背後で打ち合っている。その一挙手一投足に気を配る。

 木から舞い落ちる葉の一つ一つを感じようと試みた。

 向かいの家屋の中に意識を集中させる。誰かがドアノブに手をかけて、ほら、洗濯物をも持って出てきた。

 

 一時間ほど感覚強化を使いながら歩き回っていると、疲れを感じてきた。


 こういうときはさっさと昼寝をするに限る。俺の修行は夜がメインなのだから。というわけで、リリアの元へと戻って、膝の上で眠る。


 目覚めたときは、すでに晩御飯の準備が済んでいた。味気のない離乳食がまだ続いている。いつになったら、焼いた肉にかぶりつける日がくるのだろうか。


「なふがあぶあい」


 残念ながら、俺の言葉はまだこの程度だ。

 「肉が食べたい」と言ったのに、リリアに「夜は危ない?」と誤訳された。


 晩御飯を食べ終わると、自室へと戻される。ベッドに横たわり、リリアの声を聴きながら再び眠りに落ちる。

 精神は大人でも、肉体はまだ一歳数か月なのだ。意思とは裏腹に、簡単に寝てしまう。


 だが、肉体は子供でも、俺には強靭な精神が宿っている。たった一日すら無駄にはできない。

 再びハーミットを滅するその日まで、鍛え続けないとならないのだから。

 試したいことは山ほどあるのだ。

 

 夜も更けた頃、俺はむくりと起き上がった。


 皆が寝静まったといっても大きな音は立ててはいけないし、簡単に部屋から出ることもできない。


 砦は魔獣の巣窟と言われるらしいギニア大樹海に近いということもあって、夜中でも物見が立っている。今の俺ではあっという間に見つかってしまうだろう。


 聖魔法の治癒や状態回復を習得し、身体強化や感覚強化を得た今、次に習得すべきなのは索敵と気配遮断だ。

 両親や他の傭兵の目から逃れ、自由に動き回れるようになるためには、この二つの戦技の習得が必須だった。


 これも冒険者から教えてもらった戦技だった。

 斥候担当や盗賊が得意とする技だから、当然俺は感覚強化と同じく得意ではなかったが、原理は理解していて実際に拙いレベルであれば前世でも使うことができた。


 索敵は、単純に、微弱な魔力の波動を周囲に飛ばすだけである。

 同じように魔力を持つものは何らかの反応を見せる。ほとんどの人間は多少なりとも魔力を有しているから、当たれば反応がある。魔力を有する魔獣も同様である。


 一方で、魔力を全く有さない人間というのも稀にいる。そういう相手は検知できない。また、魔力を有さない動物なども同じである。もちろん、建物や建造物も検知できない。


 練習するのは一度切り、そう決めていた。


 何度も魔力の波動を流すと、誰がやっているんだということになって犯人捜しが始まってしまうだろう。相手が感じとれるということは、こちらの場所も分かってしまう。


 さすがにたった一回なら、一歳数か月の赤ん坊がやっているとは思われず、何かの間違いだとお目こぼしされるはずだ。何十回もやってしまうと、疑われるかもしれなかった。


 上級の斥候なら、超微弱な魔力波と感覚強化を組み合わせて、相手に気づかれず敵の位置や人数を把握することができたらしいが、今の俺にはそれは神の所業に違いない。

 そこまでのレベルは求めていない。


 集中して、魔力の量を調整する。多ければ長距離まで検知できるが、その分、相手に感じられやすくなる。

 下手をすれば眠っている相手が目覚めてしまうかもしれない。

 逆に魔力の量が少なければ、検知されない代わりに、範囲が狭くなる。


 目標は砦全体。範囲を正確にイメージして、魔力の量を限りなく絞る。


――索敵


 俺を中心に、魔力の波が周囲へと放たれる。


 隣の部屋でアランとリリアがいる。

 中央棟に百近い人間がおり、北および東の家屋にそれぞれ三十から四十。

 そして、北、東、西の櫓にそれぞれ一名。

 南の厩舎とその傍の家屋に十名ほどか。


 櫓にいる物見が不可思議な動きを見せた。

 どうやら、魔力波を感知したのかもしれない。

 やはり、索敵の練習は一回にとどめておくしかないようだ。


 だが、これでこれから動きやすくなったのは事実だった。


 例えばアランのようなパワータイプの剣士は魔力の微弱な感知には長けていないことが多い。彼の目を逃れて動くのは容易だろう。一方でリリアのような魔法士の目をごまかすのは難しい。そこは感覚強化と使い分けといったところか。


 あと一つ、必須の技術。


――気配遮断


 こればかりはどの程度遮断できているのか、客観的には分からない。

 

 一発勝負で外に出てみて、櫓の物見に見つかるかどうか、いや、そこまでしなくても、昼間に気配遮断をして部屋から抜け出し、誰かに見つかるかどうか試してみるので十分だろう。


 ここが冒険者のたまり場であれば、気配遮断を使っているのがばれるかもしれないが、傭兵団だ。


 ほとんどは戦闘要員であって、斥候ではない。そういえば、キャシーは斥候っぽかったな、と思い出す。各部隊には最低一、二名の斥候役はいるだろうから、まずはリリアに誰が索敵が得意かを聞いておくのがいいかもしれない。


 まだ二歳にも満たず、戦いやその訓練ができるわけではない。

 だが少しずつ、自らのできる範囲が増えていく。


 それは俺にとって喜び以外の何物でもなかった。

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