第2話:転生

 声が聞こえる。

 女。

 女。


 誰かを呼んでいる。

 それは誰だ。


 体が持ち上げられる感覚がした。


 ゆっくりと瞼を開く。

 ぼんやりと、何かが見えた。

 薄く靄のような視界の中、女二人が俺を覗き込んでいる。


「良かった、目覚めたわ」


 二十代、いや三十代だろうか、金髪のショートの女が笑顔を携えて言った。


「まだ眠たいのかもしれません」


 もう一人、赤毛のロングの女が言った。

 ゆらゆらと体が揺らされる。ひどく心地良い。


「あぶあぶ」


 まとまらない思考の中で、何かを言おうとして、何かを口に出した。

 だが、それは言葉にならなかった。


 立ち上がろうと、体を起こそうとするが、麻痺をしたように自由がきかない。

 赤毛の女の肩に右手をやろうとして、自らの指が視界に入った。


 まるで子供のような小さな、ひどく細い指先。

 剣を握っていた、血豆で強張ったあの岩のような手とは比べ物にならないほど、小さく、柔らかそうな手。

 

「あうあー」


 助けてくれ、俺はそう叫んだつもりだった。だが、やはり言葉を紡ぐことはできなかった。声は出るが、まともに言語をしゃべることができないらしかった。


「どうしよう、お腹がすいてるのかな」

「そうかも知れませんね」


 女が二人で不安げに言う。

 両腕も両足もまともに動かせない。

 体を捻じることも、起き上がることも、首を回すこともできない。


 そして俺の顔に赤毛の女の胸が押し付けられた。

 ここにきて、俺は、自らが置かれた状況を徐々に把握しつつあった。

 口にあてられたそれを吸い、母乳を口にする。


「私も母乳、出たらいいんだけどな」

「仕方ないですよ、そのための私ですから」


 それが現実だと完全に理解したとき、絶望よりも、驚愕のほうが大きかった。


 グレゴリア皇国第一騎士団副団長ワーウィック・エキスピアスは、エルダーリッチであるハーミットと戦い、相打ちにより死亡した。だが、あのとき、確かにハーミットは「再び蘇る」そう言って転魂とかいう秘術を使ったのだ。


 俺はそれに巻き込まれたのかもしれない。


 転魂という秘術が、生まれ変わるという術であることは容易に想像できた。

 ワーウィックは、どこかで新たな生を、受けたのだ。


 つまり、今、俺は赤ん坊になっている。


 喜びよりも、絶望よりも、ただ、ただ、驚くばかりだった。ハーミットが秘術と言ったのも頷ける。バールステッド大陸広しといえども、転生したという話は聞いたことはなかった。


「あむあむ」


 事態がだいたい掴めてくると、自らの状況が滑稽に思えて笑えてきた。


 体感ではついさっきまでエルダーリッチのハーミットと血みどろの戦闘を繰り広げていたのだ。それが目を覚ますと、赤ん坊になって母乳を啜っているのだから。

 

 一通りお腹が膨れると、赤毛の女は、金髪の女に俺を譲った。


「ママでちゅよー」


 どうやら、赤毛の女は単なる乳母らしい。俺の母親は金髪ショートの女のほうらしかった。

 乳母がいるということは、それなりに裕福ではあるのかもしれない。


 二人とも、顔はよく分からない。生まれたばかりなのか、視力が低すぎて、何もかもがぼんやりと見えるのだ。

 一応、今が昼で、木造の部屋にいるということは分かるぐらいだ。


 母乳をお腹いっぱい飲んだせいか、睡魔が襲ってきた。

 これが夢であるように、そう願って眠りに落ちたが、再び目覚めたら、まだ木造の部屋のままだった。


 どこかに寝かされているのか、ただ、木の天井だけが見える。


 両手を天井に向かって掲げる。

 それはひどく小さな、弱弱しい手をしていた。


 分かってはいた。

 諦めてもいた。

 やはり俺は、転生して赤ん坊に生まれ変わったらしかった。


 ハーミットはどうなったのだろうか、あのまま消滅したのだろうか。そして、どこかで復活に備えているのか。


 前世の俺の父、いや、ルーベルト団長は無事だろうか。


 ジークハルトは死なずに済んだのだろうか。


 第一騎士団は、グレゴリア皇国王都テレアデスに到達する前に、アンデッドの軍勢を退けることができたのだろうか。


 何も、何も分からない。

 ここがバールステッド大陸のどこかだとしても、今の俺は、何もすることができない。


 ただ、ぞろぞろとやってくる男や女たちの顔を毎日眺めて、母乳を貪り、眠るだけだ。


「ノルド、お父さんだぞ。ほーれほれほれ」


 そう言って顔をくしゃくしゃにして俺を笑わそうとするのは、アランという大男だ。

 どうやら、こいつが俺の父親らしかった。額に大きな傷があり、獣にやられた跡だと自ら誇っていた。大剣使いのようで、身の丈ほどもある大ぶりの剣を携えていることがある。


 そうそう、俺の名前はノルドというらしかった。


「ノルドはいつ見ても可愛いわね」


 目覚めたときにいた金髪ショートの女がリリアという。

 魔法士らしく、時々手のひらに火の玉をかざしてゆらゆらと揺らし、俺を楽しませてくれる。どうやら母乳が出ないらしく、授乳は別の赤毛のクリスタという女に頼んでいるらしかった。


 他にも、多くの人間がここには住んでいた。

 リリアが俺を抱いて、見せつけるように歩き回ってくれたことで、この場所の状況をよく知ることができた。


 出会った男や女のそのほとんどは、屈強な剣士や弓使い、魔法士など、戦闘を生業とするものたちだった。そう、傭兵団だったのだ。その名を赤狼傭兵団というらしかった。


 そして、その彼らの会話の中で分かったことは、ここは単なる街や商家、貴族の家などではなく、ジリク砦という場所だということだった。なぜ一傭兵団に砦が与えられているのかは分からなかった。


 赤狼傭兵団にもジリク砦にも、俺は心当たりはなかった。

 少なくとも、グレゴリア皇国の周辺にはそのような砦は存在しなかった。バールステッド大陸は広く、多くの国が存在していた。


 皇国の周辺国家であれば聞いたことがないということはないはずだった。辺境国家となると、さすがに細かい砦や小さな傭兵団のことは耳に入らなかったかもしれない。


 もともと訓練や戦闘ばかりに明け暮れていて、政治的なことは団長にまかせっきりだったから、周辺諸国のこともあまり知らなかった。

 ともかく、俺は皇国からは遠く離れた場所にいるらしい、それだけは分かった。


 リリアは何回も砦の中を案内してくれた。

 彼女は、どうやら俺を他の人間に見せつけようとしているらしかったが、おかげで、砦の内部の様子を詳しく知ることができた。


 どうやら、この砦には二百人ちかい人が住んでいるようだったが、ぼやけた視界で顔を判別するのは難しく、俺は途中で覚えるのを止めた。


 転生してから二週間ほど経つと、寝返りができるようになった。


 リリアとクリスタはそれを見て「生後半年ぐらいかしら?」などとなぜか疑問を口にしていた。

 俺の意識が目覚めてから二週間しか経っていないのに、生後半年というのも奇妙なことだとは思った。


 胎児の頃から転生していたわけではなく、生まれた瞬間に転生したわけでもなく、かなり時間が経ってから俺の意識がこの体に乗り移ったということになる。


 さらに不思議なこともあった。

 なぜ言葉が理解できるのか、ということだ。明らかにバールステッド大陸の言葉ではないにも関わらず、半分程度ではあるが、彼らの言っていることを把握することができたのだ。


 生後半年とはいえ、元の体の持ち主は言葉を覚え始めていて、それを引き継ぎ、さらに俺の大人としての知識と混ざり合って、この地域の言語をそれなりに扱えるようになったのかもしれない。


 その頃から、俺は新しい人生について、どう生きるかを一日中考えるようになった。

 どうせ体は自由に動かないのだ。考えることぐらいしかできない。


 死に際の、ハーミットの言葉を反芻する。


「たとえ一時的に朽ちようとも、三十年、いや、二十年もあれば再び我は蘇る」


 やつは確かにそう言った。

 おそらく、転魂とかいう秘術に俺自身ワーウィックも巻き込まれたのだろう。


 当然、術者のハーミットも新しい生を受けたに違いない。再び力を取り戻すのに、二十年ぐらいの歳月を必要とするのだろう。


 つまり、二十年経てば、再びアンデッドの軍勢の脅威に皇国は晒されるのだ。

 それは許容できない。


 やつが復活するのであれば、自分もまた、あの再び戦場に立って、今度こそハーミットの息の根を止めなければならない。

 天井を眺めながら、ずっとそう考えていた。


 幸いにも、俺には二十年ある。

 短いようで長い。

 ワーウィック・エキスピアスと同様の力を取り戻すのには十分な時間だ。


 前世では絶技の聖翼を習得するのに十年かかった。

 だが、このノルドの肉体は聖翼を覚えていなくても、その中で息づく俺の魂が必ず覚えている。


 双撃も斬環も、ありとあらゆる戦技も絶技も、この魂に刻まれている。おそらく、もっと容易に習得できるはずだ。

 

 いや、力を取り戻すだけでは駄目だ。

 あの聖翼の威力ではハーミットの障壁を破るので精一杯だった。


 もっと、もっとだ。より高見を目指さなければならない。障壁を破り、核を一撃で屠れるだけの戦技を、絶技を、この二十年で習得すべきなのだ。


 前世では魔法の才能には恵まれなかった。

 対アンデッド用に聖魔法の祝福――自らに女神リーズの加護を与え、聖属性の攻撃を可能にする――や簡易的な治癒、状態回復魔法を使うことはできたが、火や水魔法は得意ではなかった。


 だが、どうやらリリアは魔法士のようだから、このノルドの肉体には魔法士の適性があるかもしれない。


 蘇るであろうハーミットとの再戦に備えなければならない。次は必ず、やつを完全に葬り去る。


 まずは魔力を扱えるようにならなければならない。

 幸いにも時間は十分にある。大気中の魔素を取り込み、体に馴染ませる。


 身体強化や加速なども魔力が一定程度ないと発動させることはできない。

 とはいっても、戦闘ができるようになるまで成長しないと使い道はないだろう。


 できれば、まずは聖魔法の治癒や状態回復から覚えていきたい。幼少期に多少の怪我をしたとしても、自ら治すことができるように。


 当面の目標は決まった。

 一年、いや半年で、つまり一歳までになるまでに、この二つの魔法を取得することを目指すこととした。

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