緋色の傭兵は眠らない~双剣使いの転生譚~

和希羅ナオ

生誕編

第1話:意味ある死

 地を埋め尽くす、万を遥かに超える死者の軍団が侵攻を続けていた。

 世界を塗りつぶすようなアンデッドたちの咆哮。


 俺は振り下ろされた攻撃を右の剣でいなし、左の剣で敵の首を刎ねる。


「副団長、右翼から敵が迫ってる!」


 呼ばれ、俺は言われた方向へと振り向く。数百体のスケルトンがわらわらと這い出していた。


「ここは頼む」


 そう叫び、眼前の群れを部下に任せ、新たに現れた右翼の敵に向かって駆け出す。


――加速


 走り出し、一瞬で敵の眼前へと迫った。


――斬環


 体を三百六十度球体上に回転させ、双剣による球状の斬撃を周囲四体のスケルトンに喰らわせる。

 さらに群がってきた個体に斬撃を飛ばし、頭を吹き飛ばした。

 

「お前らごときに時間をかけるつもりはねぇよ」

 

――祝福

 

 自らの体に女神リーズの聖なる加護を纏わせる。それを両手に流し、双剣に聖なる魔力を纏わせた。

 精神を集中し、前方の数百体のスケルトンへと視線を向ける。

 バールステッド大陸で俺が唯一使える、最大最強火力の対アンデッドの絶技。


――聖翼


 俺は光り輝く二つの刃――双剣ツインエッジ――を敵に向かって振り下ろした。

 それはその名の通り、天使の両翼が地面に叩きつけられたかのような、凄まじい衝撃を生み出す。

 轟音とともに、凄まじい光の奔流が地面を抉りながらスケルトンに向かっていく。


「消え失せろ」

 

 数百体のスケルトンはその衝撃に巻き込まれ、バラバラに吹き飛びながら、消滅していく。

 運良く範囲外にいたスケルトンたちも無傷ではなく、戦闘力を著しく失っていた。

 これで右翼の前線部隊は壊滅。


 一方で、俺も体力をごっそり削り取られていた。聖翼は一撃必殺の大技ゆえに、一日にそう何度も放てる技ではない。

 体力が万全でも三、四回が限度だ。すでに二発放った。死を覚悟しても、あと二回が限度だろう。

 

「ワーウィックに続け!」


 いつの間にか前線まであがってきていた騎士団長ルーベルトが叫ぶ。

 俺は団長と一瞬目を合わせると、敵主力のいる中央へと視線をやった。

 左翼は第一騎士団の奮戦により善戦している。右翼はすでに敵部隊は半壊、あとは膠着状態の中央を突き破るだけだ。


「ワーウィック! この地で何としても終わらせるぞ!」


 ここを抜かれると王都テレアデスまでわずかしかない。

 グレゴリア皇国の三分の一はすでにアンデッドの軍団により不毛の地となった。

 この戦いが皇国の未来を決める分水嶺となるのだ。

 

 五年前に初めてアンデッドが現れたとき、皇国は最低限の軍しか送らなかった。たかがグール、たかがスケルトンだと侮ったのだ。それが大きな失敗であることに気が付いたときには、すでに多くの都市がアンデッドにより落とされていた。死んだ領民や兵士だちをアンデッドとして取り込んで、敵はすでに万を超える軍勢へと膨れ上がっていたのだ。


 敵の首魁がエルダーリッチであることを知ったのも、だいぶ後になってからのことだった。そのような人外の化け物であることを知っていたなら、最初から皇国の主要な戦力を送り込んでいただろう。

 

 だが、終わったことを悔やんでも仕方がない。

 今、一兵卒である俺がすることは、目の前の敵を屠ることだけだ。

 幸運にも皇国の最大戦力である第一騎士団は健在であり、皇国の要である騎士団長ルーベルトが指揮を執っている。


 ふいに眼前の空間が歪んだ。

 黒い瘴気が収束し、内部から這いずるようにそれは顕現した。

 

「貴様か、我が子らを屠っているのは」


 巨大な宝杖を右手に持ち、黒衣を纏った骸骨。不死の軍団を率いるエルダーリッチ、忌むべきその名はハーミット。

 すべての厄災の元凶であり、皇国の最大の敵。

 それは、騎士団長でも他の騎士でもなく、明確に俺に向かってそう言った。


「あまりにも脆すぎてね、暇つぶしにもならねぇよ」


 くだらぬ冗談を言ってはみたが、あまり余裕はなかった。

 撒き散らされた瘴気にあてられて、酷い寒気で吐き気を催していたからだ。

 

「名を聞こう」


 骸骨故に表情は読めない。だが、右翼の前線部隊のスケルトンが壊滅して、少しは苛ついているのかもしれない。

 おかげで首魁を引っ張り出すことができた。


「第一騎士団副団長ワーウィック・エキスピアス、巷では、双剣のワーウィックなんて呼ばれているがな。一応、これでも騎士団の中じゃあ、一番強いと自負している」

「では、お前を殺せば、貴様ら蛆虫どもも終わりということか。それはまことに僥倖、僥倖」


 黒衣の骸骨が楽し気に笑う。ぽっかりと空いた眼窩からは瘴気が漏れ出していた。


「骸骨野郎、お前にそれができるのか?」

「このハーミットの相手になるとは思えんが。人間には理解が及ばぬのかもな」

「悪いが、親父に言われたんだ、ワーウィック、お前に必要なものは無知と自信だってな」


 下手に知識を得て動けなくなるよりも、ただ、お前はがむしゃらに前に進め、それが親父である騎士団長からの教えだった。


「では試してみるがいい――暗黒球」


 宝杖が黒く輝きだす。

 嫌な予感がした俺は、すぐに回避行動をとる。


――加速


 瞬間、宝杖から数十の黒い球体が放たれた。

 ハーミットから一定の距離を保ったまま、状態を低くして球体を回避しつつ、反撃の一手を探る。


――飛斬


 ハーミットの左手に斬撃を飛ばす。いくら祝福により聖なる魔力が宿った斬撃だとしても、効果はたかが知れている。それでも、多少の傷は与えられるはずだった。


「暗黒障壁」

 

 突如として現れた黒い障壁により、ハーミットを襲った斬撃は弾かれてしまう。

 威力が足りない。


「ワーウィック、距離を取れ!」


 団長の叫びに合わせて、ハーミットの眼前から離脱する。

 同時に、数十の光がハーミットに向かった降り注いだ。後方の部隊から、聖槍が一気に放たれたのだ。

 それらは一つの狂いもなく、全弾が命中した。


「やったか?」


 俺の呟きは、すぐに絶望となって搔き消えた。


「その程度では我には届かん」


 その黒い球体の障壁は、ハーミットを守るように展開し、すべての攻撃を防いでいた。

 無効化しているというわけではないのだろう、単に、ハーミットの障壁が、俺の飛斬を防いだのと同じように、聖槍の攻撃力を上回る防御力を持っているということだ。

 

「もう一度だ!」


 団長が再び指示を出す。

 再び、無数の聖槍がハーミットに向かって放たれる。


「ならば、こちらも――暗黒槍」


 同時に、ハーミットの眼前に無数の黒い魔力の槍が生成され、カウンターとも言えるタイミングで放出された。

 それは、相殺目的で放たれたものではなかった。

 ハーミットには障壁がある。聖槍にぶつけてつぶす必要はない。暗黒槍の目的は……。

 

「ぎゃあああ」

「ぐあぁ」

「痛ぇ」


 後方にいた魔法士たちの叫びが戦場に木霊する。即死ではないにしろ、ほとんどの魔法士が被弾しており、魔力を練るどころか戦闘継続が不可能になっていた。

 ふいに、ハーミットが視線を左へとやる。


「もう少し減らしておくか――暗黒波」


 津波のような闇魔法の衝撃が左翼への騎士へと襲い掛かる。


「回避しろっ!」

 

 団長の叫びも空しく、まさにグールと戦闘状態にあった戦場に魔力の波が到達する。

 不意打ちとも言える攻撃に、グールの集団と戦闘していた多くの部隊が直撃を喰らい、総崩れとなった。


「味方ごと、だと?」

「グールなど、いくらでも替えはきく。また産み出せば済むことよ」


 まずい、右翼はこちらが押しているとはいえ、左翼と中央の分が非常に悪い。まさか、エルダーリッチ一人の登場で戦局がこうも簡単にひっくり返されるとは思わなかった。

 俺は一旦団長の元に駆け寄り、指示を仰ぐ。


「団長、敵の障壁は強力だ、飛斬も効果なし、遠距離攻撃じゃ埒が明かない」

「分かってる! ジークハルト、マークと一緒に仕掛けろ。二人を囮にして、ワーウィック、お前が必ず仕留めるんだ。聖翼はあと何回使える?」

「どうにか二回」

「二回とも必ずぶち込め。核を破壊するんだ。さもないといくらでも復活するぞ」

「分かった」


 ジークハルト、マークという二人の優秀な騎士が残っていてくれて助かった。他の騎士だと囮にもならなかったかもしれない。


「ジークハルト、お前は左からだ。マーク、右から攻めろ」


 俺は二人に命令して、再び祝福を自らにかける。


「ワーウィック、死ぬなよ」

「それは第一騎士団団長としての命令ですか? それとも親として?」

「両方だ」

「まあ、頑張りますよ」


 この戦いに撤退は許されない。王都の駐屯兵団と近衛だけではハーミットは止められないだろう。騎士団長ルーベルトにしてみればたとえ死んでも、ここでアンデッドの軍団を追い返す必要があるのだ。


 騎士団長ルーベルト、親父には恩がある。孤児だった俺を十歳のときに拾って、養父として俺を育ててくれた。剣を、教養を教えてくれた。今では、第一騎士団の副団長に成り上がることすらできた。その恩に報いる義務が俺にはある。たとえ、この命がここで潰えたとしても。


「ジークハルト、マーク、行くぞ!」


 三人で一気にハーミットへと駆け出す。

 襲い来る暗黒球を時には躱しながら、時には切り裂いて、真っすぐ敵へと向かう。


「左右同時に仕掛けろ!」


 ジークハルトがハーミットの左側から袈裟懸けに剣を振り下ろす。

 マークはハーミットの持つ右手の宝杖に向かって剣戟を振り上げた。

 だが、祝福を受けた斬撃に関わらず、彼らの攻撃はハーミットの強固な障壁に阻まれてしまう。


「愚かな。我には女神リーズの祝福はそれほど効果を示さぬ」


 ハーミットが両腕を交差し、大きく左右に振りぬいた。強烈な暗黒の魔力の波動が二人を襲う。まるで子供をあしらうかのように、二人は大きく吹き飛ばされた。

 しかし、おかげで、俺が攻撃するだけの十分な余白を作ってくれた。


「十分だ――斬環」


 体を三百六十度回転させながら、ハーミットに複数の斬撃をお見舞いする。


「効かぬ」


 障壁を破ることはできない。

 あぁ、そんなことは分かっている。俺は回転した斬撃を繰り返しながら、そのままボールが坂を転げあがるように、障壁に沿ってハーミットの頭上へと飛び上がった。


――聖翼


 光り輝く二つの刃を振り下ろした。巨大な光の翼が、障壁とぶつかって大きな音を立てる。

 黒と白の衝突で、光が弾けた。


「だから、そのような攻撃、このハーミットの障壁を――何」

 

 その瞬間、ハーミットの展開していた暗黒障壁が音を立てて崩れる。


「悪いな、これでも大陸一の騎士の自負はあってな」

 

 残るのはあと一回。

 すでに俺の体力・魔力の限界は見えている。

 だが、問題はない。


「喰らえ――聖翼」


 間髪入れず、女神リーズの祝福を受けた光の翼を、再びハーミットの両肩へと振り下ろす。斬撃は肩口から胸までを一直線に切り裂いた。


「ギャアァァァァァ」


 手ごたえあり。

 だが、日に四度の聖翼を放った俺の体は限界に達し、四肢は軋み、心臓は破裂しそうな激痛を奏でていた。


「やったか?」


 だが、俺はそれが届かなかったことを認識する。

 ハーミットの胸から深紅の核が少し露出していた。だが、仕留めるには至っていない。黒い瘴気が少しずつハーミットの体を再構築していく。


「おのれ、このハーミットに痛みを」


 巨大な暗黒槍が宝杖から放たれる。

 両腕、両足が激痛を伴う。動かない。体を捩ることもできない。避けられない。まともに喰らってしまう。


「副団長!」

 

 マークが自らの体を暗黒槍の前へと投げ出す。


「マーク、やめろっ!」


 俺の願いも空しく、巨大な槍は彼の胸を貫いた。飛び散った鮮血が俺の頬を濡らす。


「副団長、後は頼みます……」


 彼の瞳が色を失う。

 まだだ、ハーミットは体の再構築に回すべき魔力を、攻撃へと転じさせた。核は露出した状態で、剣が届く範囲にある。

 腹をくくらねばならない。

 あと一撃、核に攻撃を加える必要がある。たとえ、どのような代償を払ったとしても。


「おのれぇぇえ」

 

 ジークハルトが再びハーミットの左側から斬撃を喰らわせる。すでに一度目の聖翼により障壁は破壊されており、ハーミットは宝杖でその攻撃を防いだ。返す刀で、右手で再び魔力の波動を彼に喰らわせる。ジークハルトは再びボールのように転がされ、吹き飛ばされていく。


 自らを犠牲にした勇敢なる部下に称賛を。

 不屈の闘志を燃やし続け、立ち上がり、再び攻撃を加えた同士に感謝を。

 この空白の一瞬に、すべてを賭けなければ。

 

――加速


 全身が悲鳴を上げる。限界はすでに超えている。

 騎士団長ルーベルト、いや、この親父に拾われたときから、すでにこの運命は決まっていたのかもしれない。


――双撃


 聖なる二撃ではない、普通の双剣の斬撃で、再び核にめがけて攻撃する。

 それは再び、ハーミットの胸を十分すぎるほどに切り裂いた。


「そんな祝福を帯びてもいない攻撃、このハーミットに効果など!」


 俺は持っていた剣を逆手に持ち替えた。斬りつけるのではなく、突き刺すために。


 だが、その僅かな瞬間はハーミットにとって十分に対応できるだけの時間となった。生み出された暗黒槍が俺の両肩に突き刺さる。

 瘴気が体を蝕み、激痛が全身を襲う。


 ただ、時間が短すぎる。マークを仕留めたときのような、巨大なものではなく、俺を即死させるほどの大きさではなかった。


「――祝福、そして、喰らえ――聖翼」


 逆手に持った両手の剣を、露出した核に向かって突き刺す。

 白く輝く二つの刃がハーミットの胸へと襲い掛かる。

 女神リーズよ、俺の命をすべてくれてやる、だから、この両手に最高の祝福を。

 

「おのれぇ、人間風情が!」


 さらなる無数の暗黒槍が俺を襲う。右目に、背中に、足に、右腕に、次々と刺さっていく。

 痛みはすでに感じなかった。

 ただ、目の前にある核を破壊すること、それしか頭にはなかった。

 

「皇国の名のもとに、すべての者に安寧を!」

 

 血反吐を吐きながら、俺は叫び続ける。でなければ、今にも意識を失いそうだった。

 両腕にさらに力を籠め、核へと聖翼を注ぎ込む。


「まさか……この我が……このような」


 ハーミットが呟く。

 その瞬間、深紅の核が音を立てて粉々に砕け散った。瘴気が消え失せ、ハーミットがその場に膝をつく。

 一方の俺も、力尽き、両手の剣を地面に突き刺し、どうにか立っていられる状態だった。


「やったか……」

「ここまでなのか、これでは我の計画はまだ……」


 ハーミットの宝杖が地面へと放り出される。体からは白煙が立ち上り始めた。

 核をやられ、体が崩壊を始めているのだ。

 

「そこで朽ちてろ」


 だが、なぜかハーミットは高らかに笑い始めた。


「このままで済むと思うな、人間。我に死はない。たとえ一時的に朽ちようとも、三十年、いや、二十年もあれば再び我は蘇る」

「な、んだと……」

「貴様ら人間には想像もつかぬ秘術を見せてやる」


 再びハーミットの体から黒い瘴気が立ち上る。白煙と瘴気が混じり合い、それは渦を巻くようにハーミットの周囲に充満した。

 そして、ハーミットの眼が鈍く光り始める。


「何を、おい、待て……」

「――転魂」


 途端、ハーミットを中心に黒い魔法陣が幾重にも現れ、俺とハーミットを取り囲んだ。

 全身を悪寒が襲う。駄目だ、何かは分からないが、やらせてはいけないという直感だけが思考を支配した。


 だが、もはや聖翼どころか、双撃をハーミットに与える力も残っていない。

 徐々に、魔法陣の光が増していく。

 どうにか動く左腕を振るい、一番近くにあった魔法陣のうちの一つへと突き刺した。

 パリッ、という小さな音がして、魔法陣の一部が欠けた。


「おのれ、貴様ぁぁああ」


 次の瞬間、天空から凄まじい紫の光の柱が下りてきた。もはや体を動かすこともできず、ハーミットと一緒に光の中に巻き込まれる。

 光を浴びて、ハーミットの体が粒子へと変わっていく。


「ワーウィック・エクスピアス、その名、しかと覚えたぞ。いつか蘇ったときには、必ず……」

「くそが」

 

 意識が薄れていく。血を失いすぎた。

 見ると、俺の両手、両足もハーミットと同じように、紫の光にあてられて消滅を始めていた。


「ワーウィック!」


 名を呼ばれ、振り返る。

 光の外から、騎士団長ルーベルトが決死の形相で俺に手を伸ばしていた。

 せめて最後に「父さん」と呼べばよかったかもな、それが最後に俺が思ったことだった。

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