第79話 一時休戦


 ~前回までのあらすじ~

 ナツキ・アマミヤシノ様の自我を喪失させ、イツツバの巫女として使っていた。

 彼女の目的はイツツバの力を用い、アマミヤ家の力を再興させること。

 ナツキは到着したオルテン王子にも凶刃を向けるが、ミドウさんがそれを阻止。

 自称最強の呪術師とイツツバの力を操るナツキの戦いが幕を開けそうな予感!


 ***


 ミドウさんは軽い動作で地を蹴り、カナツノカナナハと同じほどの高さまで跳び上がった。その時には既に、ミドウさんは五人に増えていた。

 彼らは蛇の周囲を囲み、ぱちりと柏手を打つ。


「火焔封魔陣」

「土牢暗夜」

「黒鎖羂索千刃」

「水は深く在りて眠る」

「木縛」


 五人のミドウさんが呟くと、ボクは急激に身体から力を吸い出されていくのを感じた。

 吐き出す呪力に対して、ボクがイツツバから供給を受けられる霊力が著しく少ないのだ。


 それはボク自身が限りなく薄められていくような空恐ろしい感覚だった。

 すごく……、寒い。


 ボクはふらついてひざから崩れ落ちた。

 咄嗟にアズマが支えてくれて地面に激突する羽目にはならなかったけど……、ダメだ、足に力が入らない。


 ボクはイツツバを取り落としそうになって、本が手のひらに吸い付いて離れないことに気づいた。

 それでボクは、ようやくこの呪本のことを恐ろしいと感じた。


 きっとこの本はボクが最後の一滴になるまで吸い出されても、むしろこれ幸いとボクを取り込みにかかるだろう。

 今はボクに従ってくれているけれど、ずっとそのままだとは思わない方がいい。


 この本は、山の底の無尽蔵の霊力を操るツチミヤに脅威とみなされた呪物。

 動かないだけで、一つの強大な妖魔なのだ。


「五式大封!」

 ミドウさんは気合を発し、もう一度バチリと両手を合わせた。


 自分が磨り潰されて消えてなくなるような感覚がふっと消え、それで術が終わったのだと分かった。


 弱々しく空を見上げると、もうそこに巨大な蛇は存在しなかった。

 代わりにあるのは木々の生い茂る一つの球形の物体だ。

 それはじっと沈黙し、ボクの目には蛇の浮かんでいたよりも不気味に映った。


『生きてるかい、イヅル君』

 ボクの頭の中にミドウさんからの思念が飛ぶ。ボクも口を開かず答えた。


『まあ……、何とか』


『うん、よく耐えたね。死なない程度に調整したつもりだったけど、君を殺しちゃったら後でシノ君に怒られるからなぁ』


 あっははは、と笑う声に、怒る気力もない。

 はは……、さいですか。


 どうやらこの人が大事なのはシノ様とイチセだけみたいだ。

 シノ様のためにボクのことも守ってくれるつもりのようだけど、いざとなれば見捨てられる気がする。


 まあ、いいさ。ボクもそれがシノ様のためになるのなら、見捨ててもらって構わない。

 それより、今は何かできることをしなくちゃ。


「アズマ」

「なんだ」


「ごめん、連れてって」

 ボクはミドウさんとオルテンたちが何か話を始めた方を指さした。




「貴様のような不逞の輩を信用しろと言うのか!」

 近づくと、オラフの怒号が聞こえてきた。


「いやぁ、だからね。信用もなにもこのままじゃ王都ごと潰されちゃうよって言ってるの。君にもそれは分かるでしょ。

 彼女はどうもオルテン殿下を亡き者にすればフミルをアマミヤの傀儡にできると思ってるようだからね。王都の被害を最小限に抑えるなら、精鋭と共に南の原野に逃げるべきだ。

 目指すは霊地アル・ムール。あの場所へ行き着けば、僕にも勝算はある」


「貴殿の力をもってすれば、完全封印も叶うのではないか。見たところ五式大封とやらは揺らぎもしていない」

 オルテンの言葉にミドウさんは首を振った。


「無理だね。僕はこれでもかなり力に制限を受けている。イツツバの神霊たちには勝てないし、あの封印は時間稼ぎ程度のものだ。じきにぶっ壊して暴れ出すよ」


「勝算とは何だ。それは、俺の花嫁を無事に助け出せるものなのか」


 ほー、俺の花嫁ときた。

 あの野郎、好き放題言いやがって。


「そうだね。幸いにして呪本イツツバはこちらの手にある。シノ君の中の神霊たちを呪本に封じ直すんだ。

 アル・ムールは先代の巫女アスミがイザナを失い、イツツバを暴走させた場所だ。今もそこにはイツツバの神霊の気配が色濃く残っている。一時的にでも解放されたあの場所に刻まれた記憶が、イツツバの神霊の封印を緩めるだろう。

 呪本イツツバとイツツバの神霊たちの繋がりは今も切れていない。イツツバの巫女は、呪本の外部装置のようなものだ。神霊たちとの契約関係は呪本イツツバの下位にあたる。

 アル・ムールという土地と呪本イツツバがそろえば、解呪はそう難しいことじゃない。

 問題は、イツツバを操るあの娘を相手にしながら、というところだけどね」


「時間の余裕はどれほどある?」


「夜明けまではもたせたいけど、無理だろうね。なかなか使える子のようだったし」


 オルテンは一時瞑目したが、その決断は早かった。


「分かった。オラフよ、今すぐにアマミヤより最精鋭を十組選抜しろ。半端者は要らぬ。自分の身を自分で守れる者だけだ。

 俺の兵は十騎ばかり連れていく。おそらく戦力にはならんだろうがな」


 オラフはまだ何か言いたげだったが、仰せのままに、と深々頭を下げた。




 そして夜明けを待たず、オルテンは総勢三十騎を率いてアマミヤの屋敷からアル・ムールを目指して出て行った。

 その中にはゴドーさんとセリナさん、回復したカヒナも含まれている。


 残ったのは未だ沈黙した封印の球体と、オラフを含めたアマミヤの居残り組、そしてボクたち。


 ミドウさんは、しばらく休むからまた召喚してくれ、と言ってイツツバの中に戻ってしまった。

 オラフはそれを苦虫を噛み潰すような表情で見送ると、ボクらを休ませるようにと指示を出してまたどこかへ行ってしまった。


 ナツキの暴走で大事になってしまって、ボクらが突入したことを追及をする気も今は失せたようだった。

 ボクらが誰かを殺していればそういう対応にはならなかったと思うけど、今のところアマミヤに人的被害はないしね。


 ……ないよね、イチセ?


「だから、門番さんたちには峰打ちだって言ったじゃないですか。ゴドーさんたちには、防戦一方で完封されましたし」

 イチセはぷくーと頬を膨らませている。


 イチセを完封とは、人数的に有利だったとは言えすごい。

 あと、砂鉄の峰ってなに?


 今はアマミヤの屋敷の石段に二人で並んで座って休んでいるところだった。

 救護所のベッドを使わせてもらうのは遠慮した。

 流石にそこまで信頼できない。


 イチセは左腕を吊り下げられ、頭には包帯を巻いた痛々しい姿だ。

 着物を脱げば、青あざになった個所も見えた。


「どんなに多勢に無勢でも、対人戦ならば切り抜けてみせる自信があったんだけどなぁ。

 術を使う暇もなくて。気づいたら囲まれて、それでぼっこぼこです。

 ひどいと思うよね。いたいけな少女を掴まえて大人四人で!」


「まあ……、ひどいけど。イチセ相手に手抜きする余裕がなかったんじゃない?」


 ボクが言うとイチセは少し気を取り直して、ま、そうだろうね、と胸を張った。

 でもすぐに肩を落として寂しそうに笑う。


「……本当を言うとね、怖くて身体がすくんじゃった。

 暗い中で、大人に囲まれて、暴力を振るわれるの。

 昔のことを思い出して……。


 お父さんに拾ってもらえるまで、ずっとそんな風だったの。

 わたしは物を盗まなきゃ生きていけなかったから、見つかって殺されそうになるのもしょっちゅうだったし、そうじゃなくても、わたしはいてもいなくてもいい存在だった。

 憂さ晴らしに殴られたり、蹴られたり。


 でもわたしはお父さんに呪術と剣を教わって、必死に修行して強くなった。

 今のわたしはあの頃のわたしと違う。

 だからそういうの、もう克服したと思ってたんだけどな……」


 ボクはイチセに何を言ってあげればいいのかも分からない。

 黙って背中に手を回すと、イチセはじとっとした目で見上げてきた。


「そうやってお姉ちゃんも落としたんですか」

「ちっ……、違うよ。折角慰めようとしてるのに!」

「冗談だよ。第一、まだ落とせてないもんね」


 うっ……、く。

 こいつ、言ってはならんことを……!


「大丈夫だよ」

「え?」


「大丈夫。お姉ちゃん、イヅルのこと好きだよ」

「あ……、うん。ありがと」


「別れ際、いろいろ言ってたけどね。気にすることないよ。

 だってお姉ちゃんがイヅルのことを大事に思ってるのなんて、すぐに分かることだもん。

 まあ、半分はホントの気持ちだろうけど」


「まあ~……、だよね」

 ボクが苦笑いするのを見て、イチセはボクの肩に頭を預けた。


「お姉ちゃんのこと、取り戻そうね」

「……うん」


「まあ、心配すんな」

 ちょっと湿っぽくなったボクとイチセに、アズマの声が頼もしく響く。


 アズマはどこからか槍を調達してきていた。

 背丈ほどの槍をぽんぽんと手の中で叩いて肩に担ぎ、ボクとイチセの頭を順番に撫でた。


「ここまで付き合ったんだ。俺が最後まで守ってやるからよ」


「アズマさんは、危ないので隠れてた方がいいんじゃないですか」


 イチセはいつもの調子で軽口を叩いた。

 アズマは、なんだとこのガキ、と言い返す。


 二人が楽しそうに言い合うのを聞きながら、ボクはぴりと一時の平穏が破られる気配を感じた。

 立ち上がり、イツツバに呼びかける。


「おや、もう時間かい」

「はい、封印が破れます」

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