第78話 ナツキ・アマミヤ


~前回までのあらすじ~

 カヒナの式神たちの包囲を突破して宝物庫へ足を踏み入れたボクは、呪本イツツバを手にする。イツツバに封じられていたミドウさんの力はすさまじく、瞬く間にカヒナを倒し、イチセも取り返した。

 これで一安心と思ったら、強大な呪力の流れ。今度は何!


 ***


 全身を貫いた衝撃で、ボクははっと息を吹き返した。

 気づくとボクは砂利の敷かれた地面に仰向けに倒れていた。

 全身がずきずきと痛む。手足がしびれて、呼吸が詰まる。


「イヅル!」

「お父さん!」


 ボクは駆け寄ったアズマに助け起こされた。


「何が起こったの……?」

 ボクは弱々しく尋ねた。

 アズマは首を振った。


「分からねぇ。なんか悪寒がしたのは分かったが、急に爆発が起きてじいさんが弾けて、お前が倒れた」


 弾ける……?

 妙な表現に視線を向けると、イチセは倒れたミドウさんに縋り付いていた。ミドウさんの身体は、腰から上が消し飛んでいた。


 それを見て、ボクは何が起こったのかを悟った。

 ミドウさんが攻撃の威力を抑えるために身を挺してボクらを庇ったんだ。その損傷の反動が、ボクに跳ね返って来た。

 ミドウさんはボクを通してイツツバから力の供給を受けて動いている。ボクが気を失ったことで供給が途切れ、再生ができなかったのだろう。


 イチセは今にも気を失いそうなくらいの顔色で、ミドウさんの動かない身体をじっと見て、何かうわごとのように呟いている。

 無理もない。あんなに懐いているんだし、第一さっき、ようやく再会を喜んだところだったのだ。


 でも、まだ大丈夫だ。

 ボクとミドウさんの繋がりはまだ切れていない。


 ボクは乱れて捉えきれなくなった呪力の流れをどうにかもう一度掌握し、イツツバとミドウさんの霊力の流れる道を開いた。

 するとイチセの目の前の残った身体はさっと灰のように崩れて消え、ミドウさんはその場で再構成されていく。


 イチセは唖然としてその様子を見ていた。


「へ、平気なんですか!」

「そんなに落ち込まないでくれよ。照れちゃうじゃないか」


 ミドウさんがぽんとイチセの頭を撫でると、イチセはぷくっと頬を膨らませた。


「も、もうっ、わたしがどれだけ……っ。いいですっ。お父さんのことなんて心配しても無駄でした!」


 あらまあ、可愛らしい。

 ……って、ほほえま~、とかしてる場合じゃないぞ!


「ミドウさん、今のは……」

「うん、イツツバだね。シノ君だ」


 そして周囲を囲む人垣が割れ、奥から誰か現れる。

 ボクははっと息を呑んだ。


 どうしてか顔を伏せ、肩を落として足許も覚束なく歩いているが、でも確かにその人は……。


「シノ様!」


「久しぶりですね、ミドウ・ツチミヤ」

 そう口を開いたのは、シノ様の手を引く一人の女だった。


 長い髪を背中で括り、垂れ下がった目は気弱で儚げな印象を与える。

 しかしその目の奥は異様に強く輝いて、ミドウさんの顔をじっと射すくめた。


「封印から逃れた……、という訳ではないみたいですね。呪本を扱える者がわたし以外にもいたというわけですか」


 女はボクの持つイツツバを一瞥し、忌々しげに顔をしかめる。

 ミドウさんはいつものへらへらした調子で答えた。


「この前はしてやられたね。今の世にイツツバの封印術が残っているとは思わなかった。油断ってやつだね。強くなると油断ばかりしていけない。そういう意味では、あまり力ばかり求めすぎるのも考えものだよ」


「もう一年前のことになりますね。あの時は力なく、屈辱にも我が愛するアマミヤの家をあなたに踏みにじられるのを止めることができませんでした。できたことと言えば奇襲で封印してやることばかり。

 しかし今のわたしは封印なんて生ぬるいことをするつもりはありません。二度とアマミヤ家の災いとなることのないよう、綺麗に磨り潰して差し上げます。その力は既に、手に入れていますからね」


 女はぐいとシノ様の手を引いた。シノ様はよたよたと手を引かれるままによろめき、女の前に出る。

 やっぱり、普通の様子じゃない。なにかされてる……?


「おい。あいつ、どうしたんだ?」

「……分からない。けど、助けないと」

 ボクは支えてくれるアズマの手に縋り、立ち上がった。


 シノ様とは、連れ出してほしいのか、それとも本気でアマミヤの許でイツツバの巫女として生きるのか、話し合うつもりだった。


 ゴドーさんもセリナさんも酷いことはしていないと言っていた。

 だからちょっとは安心していたのに、あの様子じゃ、話し合いなんて無意味だ。


 何よりボクが、シノ様をあんなにする場所に置いていくことを許せそうにない!


 屋敷門の方から蹄鉄の音が数多く広場になだれ込んできたのはちょうどその時だった。

 年老いた声の一喝が響き渡る。


「ナツキ、これはどうなっておる!」


 おそらく外部の守りの指揮を執っていたのだろう。アマミヤ家当主オラフは、二十騎ほどの武装した者たちと共にナツキの許へ走り寄った。

 馬を降りてナツキを睨みつけ、シノの腑抜けた様子にぎょっとした顔をする。

 ナツキはそれを微笑みで迎えた。


「これはおじい様。見ての通りです。ミドウ・ツチミヤが復活しました。お兄さまは打ち倒され、宝物庫はあの通り。呪本イツツバも奪われ、これをむざむざと見逃せば、アマミヤ家の名声は失墜を免れないでしょう」


「そうではない。なぜイツツバの巫女を勝手に連れ出し、あまつさえ使用したのかと聞いておる。

 それに……。貴様、オルガの毒を使ったな!」


 オラフはわなわなと肩を震わせているが、ナツキは悪びれる様子もなかった。


「はい。先ほども申し上げました通り、これはアマミヤ家の存亡に関わる一大事。打開する術は、イツツバの巫女の他に残っていないと判断しました」


「その判断を下すのはお前ではない、わしだ!

 それに巫女は未だ契りを結ばぬとは言えオルテン様の婚約者。それを自我を失わせて無理やり使役するなど、お前はアマミヤの家を潰す気なのか!」


「おじい様こそ、オルテン様、オルテン様とバカの一つ覚えのように。

 アマミヤ家当主とは、王家の使い走りの称号なのでしょうか?」


 ナツキは微笑みのまま言い放った。

 オラフは言葉に詰まり、何者かに操られてでもいるのではないかと疑うようにじっとナツキを見た。


「……ナツキ。お前は何が言いたいのだ」


「わたし、おじい様よりももっといいイツツバの巫女の使い方を思いついたのです。


 先ほど使ってみて分かりました。

 この力は素晴らしい。

 殿下が婚姻を結ぶなど突飛なことを思いつかれたのは、アマミヤが力をつけすぎることを嫌ったがためでしょう。


 この国の下にいては、アマミヤはこの国の身の丈ほどの力しか持てません。

 権力者に媚びへつらうばかりのおじい様のやり方では、アマミヤの衰退は免れず、こうして不埒者を始末することもできず遠巻きに眺めている他なくなってしまうのです。


 イツツバの力をもってすれば、アマミヤは再び始祖ハスミ・アマミヤのもたらした栄光と繁栄を手に入れることになりましょう。

 王家など、文句を言うならば滅ぼして見せればよろしいではありませんか。


 元々イツツバは裏切り者のイザナに奪われたアマミヤの力。それを我がものとして振るうことに何をためらうことがあるのでしょう。


 アマミヤ家の未来のためです。

 ご決断ください。おじい様」


 ナツキは柔らかな微笑みを崩さないままによどみなく言った。

 オラフは呆気にとられた表情でぱくぱくと口を開け閉めしている。開いた口が塞がらないと言った様子だ。


「ナツキ、本気で……いや。もう、いい。それ以上喋るな。お前は自分のものでない力に酔っておるのだ。

 聞かなかったことにしてやるから、しばらく部屋で頭を冷やせ」


 そしてオラフは、周囲の者にナツキの拘束とシノ様の治療を指示した。


 ボクは事の成り行きを固唾を呑んで見守っていたけれど、なんとか穏当に終わりそうで小さく息を吐く。


 しかしシノ様と引き離されようとして、ナツキはぽつりと呟いた。


「……残念です、おじい様」


 次の瞬間、一帯に炎の海が広がっていた。

 発火元も燃え広がる様も見えなかった。

 炎は広場の中を埋め尽くし、その場は瞬く間に阿鼻叫喚の嵐となる。


 馬は怯えて跳ね、騎乗した者を跳ね飛ばす。

 熱い、と慌て逃げ出す者、落ち着け、と火の中で制止の声をかける者が入り乱れる。


「んっ、だこりゃあ!」

 アズマはボクを抱えて炎から逃れようとした。


 ボクはその火の正体を何となく察していたので、さっとアズマの体内にボクの呪力を送り込む。

 するとアズマは、狐につままれたような顔をしてボクの顔を覗き込んだ。


「……熱く、ねぇな?」

「幻術だ。イツツバが一葉、火精レンヤの能力。う~ん、使いこなしてるねぇ。厄介、厄介」


 言いながら、ミドウはぱちんと一拍手を叩いた。

 すると周囲を埋め尽くしていた炎は消え去り、残されたのは元通りの広場とアズマと同じようにきょとんとしているアマミヤの者たち。


 ただ、馬たちは興奮が冷めやらぬ様子で暴走している。

 かなり危険だ。


 そして広場が騒然としている間にも、中空に巨大な呪力の渦が巻いていた。

 ボクはそれに気づいてはっと顔を上げた。周囲を見回せば、イチセも、アマミヤの呪術師たちも、同様に戦慄の表情で空を見上げているのが見えただろう。


「う~ん、出てきたよねぇ。カナツノカナナハ」


 ぼやいたミドウの視線の先には、今や巨大な蛇体があった。

 それはイザナの用いた氷龍よりも大きく、厳めしく、そして威圧的だった。

 とぐろを巻いた姿で空中へ浮かび上がり、星明りを浴びて鈍く輝く鱗は黒鉄である。

 そしてその頭上にはナツキと……、シノ様!


 そこへ松明を掲げ持った一隊が屋敷門から広間へ入った。

 その煌めく鎧は明らかにアマミヤの武人の出で立ちではない。


「フミル王国第三王子にして、東方軍務司オルテン・フミル様である!」

 先頭の旗持ちの騎兵が呼ばわると、オラフが転がるようにしてその前に走り出た。


「どうなっている。花嫁を狙う賊と聞き、急ぎ出向いたのだが」

 オルテンに問われたオラフの顔は真っ青だ。

 当然だろう、話の持って行きようによってはアマミヤ家存亡の危機になる。


 しかし慎重に言葉を選ぼうとしたオラフが口を開くより、ナツキがオルテンへ向かい蛇をけしかける方が早かった。


「殿下、あなたにはここで死んでいただきます」


「なんだと!」

 一隊の兵士たちがざわりとするのと同時、蛇は無造作に尾を一振りした。

 それだけで、人の背丈ほどもありそうな黒刃が無数にフミル国軍の一隊に向かい飛来する。


 ナツキは勝利を確信して笑った。


 この刃を止められる者は、今のアマミヤ家にいない。

 残っている中で唯一、兄のカヒナだけが可能性があったが、そのカヒナも今はミドウにやられて昏倒している。


 皇位継承の最有力者であるオルテンが死ねば、間違いなく国は混乱する。

 またオルテンはフミル国にとって最も人望の厚い軍事指導者だ。軍事力も弱体化し、加えてこのイツツバの力。フミル王国はアマミヤの傀儡となるだろう。


 しかし、刃はオルテンに届くより前に中空で打ち払われた。

 次いで、バツン、と音を立てて蛇の巨体が袈裟切りに断ち切られる。


「まあ、待ちなさいって」

 緊迫した状況に似合わない軽い口調の言葉がふわりと浮かび上がるように響いた。

 ナツキは歯噛みして、その言葉の主を睨みつける。


「邪魔をするんですね。ミドウ・ツチミヤ」


「そりゃあそうだろう。だって僕はアマミヤの災厄なんだから」

 ミドウさんはボクらの傍から掻き消えて、今はオルテンを守るように立っていた。


 打ち払われた黒刃が音を立てて周囲を破壊する轟音が響いた。

 オルテンも、オラフも、何も言葉を発することもできずにいた。

 カナツノカナナハの蛇体はすぐに再生し、今も上空にてボクらのことを睥睨している。


「それにさ~、良くないよ。君から売ってきたケンカじゃないか。それなのに王子様がやってきたらそっちに夢中なんて。そんなんだと、いつか愛想を尽かされちゃうぞっ」


 ばちこーん、とミドウさん渾身のウインク。

 ナツキはちっと舌打ちした。

 ……まあ、そうだよね。


「気色が悪いので止めていただけますか?」

「おかしいなぁ。シノ君もイチセ君も、かっこいいって言ってくれるのに」


 あの二人は、ほら。ちょっとたまに頭のネジとんでることあるからね。


「あなたにその王子を庇う義理などないと思っていましたよ。今更取り入って、ツチミヤ家再興でも狙うつもりですか?」

 ナツキの言葉にミドウさんは笑い出した。


「あっははは、君は面白いことを言うね。

 君の言う通り、今更だ。家なんてものが大事だったら、三百年前に失ったりしなかったよ」


「それならば、オルテン王子を庇う理由は?」


「……シノ君はね、自分がこれから多くの人を殺す手助けをすることになるかもしれないと悩んでいたよ。

 僕としては、別にそれもいいんじゃないかと思うんだけどね。どうせ顔も知らない他人のことだ。それでうまくやって行けるなら、どうでもいいことさ。


 でもね、それはあくまでシノ君自身が決断することなんだよ。

 あの子自身の意志をないがしろに、君があの子を殺戮に加担させようというのなら、ボクはこの身に賭けて止めてみせよう」

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