第77話 呪本の行使者


~前回までのあらすじ~

 アマミヤ家次期当主カヒナの式神に、善戦しながらも徐々に追い詰められていくボクたち。宝物庫へ何とかたどり着くも、もう逃げ場はない。そこにゴドーとセリナが現れ、カヒナと共に昏倒したイチセを人質に降伏を促す。

 そんな時、ボクの中にツチミヤの意識が流れ込んだ。


 ***


 意識が遠のき、ふつりと途切れるのが分かる。


 それはまるで眠りに就くかのような感覚だったが、しかし意識的な動作だ。

 極力意識を閉じることで繋がりを持った霊的存在を招き、身体を明け渡す。


 口寄せの術が成った。


『お疲れ様だね、もうひと踏ん張りだ』


 ツチミヤの声が聞こえ、ボクはそのまま霊力の奔流に揉まれることになった。

 その力の源はおそらく地下を流れるマオカンを取り囲む三山の霊力と同じもののはずだが、ツチミヤのそれはボクの呪力の精製とは段違いの規模でボクを呑みこんだ。


 ボクは溺れそうになり、しかし、すぐにボクへと返った。


 気が付くとツチミヤの気配は既になかった。

 予告されていた通り、ツチミヤの分体も消えている。


――本当に一瞬だったな。

 ボクは内心で呟いてゆっくりと振り返った。


 そこに堅牢にそびえていたはずの宝物庫の扉は既に無く、まるで巨大な獣の突進に遭ったかのように捩じ切れ、内部に吹き飛んでいた。

 ツチミヤはしっかりと仕事を果たして行ってくれたらしい。


 あまりのことに、アズマもカヒナらアマミヤの者たちも、目を見開いて呆然としていた。

 その中で事情を知っているボクだけが初めに動けた。


「アズマ、行くよ!」

「お……、おう」


 宝物庫の中に明かりはない。

 埃っぽい暗闇の中を、ボクは指先に灯した炎を頼りに進んでいく。


 目指すべきものがどこにあるのかは何となく分かった。

 シノ様の中から感じていたのと似た感じを、この宝物庫のどこかから感じている。


 ボクらから少し遅れてゴドーさんの声が追って来る。


「待て、ここは危険だ。下手に手を触れれば、何が起こるか知れんぞ!」


 それはボクのことを心配する言葉だった。

 ゴドーさんもセリナさんも、ボクやシノ様たちのことが憎くて裏切ったわけじゃないんだ。シノ様には単純だって呆れられるかもしれないけど、嬉しい。


 でも、ごめんなさい。

 ボクは、ボクのやりたいことをやる。


 それで何が起こったって、例えシノ様に嫌がられてたって知ったことじゃない。

 ボクは自分に正直に生きるって、決めたんだ。




 気配の中心にあったのは、一抱えほどもある獣皮に包まれた本だった。

 これが呪本イツツバ。

 目の前にすると、神々しくも禍々しくもある。


 その本に手を伸ばしかけた時、ゴドーさんとセリナさんに追いつかれた。

 アズマは狭い通路では取り回しの悪い棒を放り捨て、ボクの前に無手で構える。

 ゴドーさんはアズマの間合いの外で止まり、叫んだ。


「止めろ、手を触れるな!

 俺はお前が廃人になったなどと、シノに報告したくない。あの子は、お前を巻き込みたくないからとここまで進んでやって来たんだ。その気持ちを汲んでやれ」


「それは呪本イツツバ。触れた者の魂を剥奪する正しく呪いの魔本。尋常の者が手にできるものではありません。

 お願いですから、こちらに来てください。決して悪いようには致しませんから!」


 二人の言葉は必死で、ボクの為に言ってくれていた。

 アズマもそれを聞くとちらっとボクを振り返り、大丈夫なのか、と睨む。

 ボクは確信を込めて頷いた。


「ありがとうございます。ゴドーさん、セリナさん。

 ……でもね」


 ボクはイツツバを掴み、居丈高に宣言する。


「ボクはイヅル・ツチミヤ。

 シノ・ツチミヤの弟子にして、呪本イツツバを作りし大呪術師、イザナ・アマミヤと魂を同じくする者。

 尋常の者などでは、ない!」


 ボクは獣皮を結わえる紐を一気に引き解いた。




 ごぉ、と音を立てて風が吹き荒ぶ。

 それはボクの魂を根こそぎ奪い、取り込もうとするイツツバの呪本の耐え難い渇望だ。


 この本は飢えている。

 この広大無辺の霊界を埋めるべき霊力を奪われ、そして欲しているのだ。代わりにこの世界を穴埋めする力を。


 気づけばボクは、茫洋とした夢幻世界の中にいた。

 そこには天も地も境も何もなく、そして今にもそれらすべてが生まれだそうとしていた。


 ボクはそんな何もない世界に、まずは初めに空を作った。

 どんな色がいいかな。でも、あれだ。やっぱりシュベットの透き通った深い青がいい。


 次は地面。

 フミルの緑豊かな大地もいいけれど、シュベットの荒涼として寂しい山の景色がボクは好きだ。


「やあ、久しぶり。忙しそうにしているね」


 ボクの作り出した山岳地帯に、ふっと現れ出たのはミドウさんだった。

 ツチミヤとは会ったからあまり久しぶりという感じはしないけど、でもこっちのミドウさんとは、確かに二年ぶり、か。


「どうも、お久しぶりです。調子はどうですか?」

「いや~、あはは。正直あんまり芳しくないかな。

 君もちょっと、お疲れ気味だね」


 分かります?とちょっとおどけてみせると、ミドウさんはニッと笑った。


「事情はシノ君から聞いているよ。行こうか」

 はい、とボクは頷いた。


 そして一度描きかけた世界を途中に、ボクはぱたりと本を閉じる。




 ごっ、と音を立てて宝物庫の屋根が崩れた。

 ボクとアズマはミドウさんに挨拶もなしに抱えられて、気付けばカヒナの背後に下ろされていた。


 ミドウさんは地面にぐったりと横たわるイチセに気づくと、底冷えするような視線をカヒナに向けた。


「やあ。君かい、ボクの愛娘をイジメてくれたのは」

 問われたカヒナの表情に、これまでの余裕は見られない。


「ミドウ……、どうやって出てきた!」

 呻くように言ったカヒナの背後から、四体の式神がミドウさんへと打ちかかる。


 ミドウさんは右手を振っただけだった。

 それだけで式神はまとめて横一文字に切り裂かれ、術を破られたカヒナは叫び声と共に地面へ崩れ落ちた。


 あれだけ苦戦した相手のあっけない最後にボクとアズマは顔を見合わせ、真っ先に主を打ち倒されたアマミヤの者たちは慌てふためいている。


 しかしそんなのは些事とばかり、気にする様子もなくミドウさんはイチセを助け起こした。

 息があることを確認して、ほっと怒らせていた肩を落とす。


 ミドウさんが呪文を唱えてなにか囁くと、しばししてイチセは目を開いた。

 そして目の前にミドウがいるのに気づき、数度瞬きする。


「……ゆ、め?」

「おはよう、イチセ君」


 イチセはぎゅっとミドウさんの首根っこにしがみついた。

 ミドウさんはそれを抱きしめて、ぽんぽんとあやすように背中を叩いた。


「すまないね、助けが遅くなって」


 イチセはミドウさんから身体を離して立ち上がった。

 イチセを見るミドウさんの目は優しく慈愛に満ちて、ミドウさんを見るイチセの目は、少し潤んで、けれど信頼と愛情に満ちている。


 感動の再会だ。

 なんかボクまで泣きそうになっちゃう……。


 と思ったら、イチセの右拳がミドウさんの腹を貫いた。


 うおっふ。

 あ、ミドウさんがダメージを受けたらボクにもいくらか返ってくるやつだ、これ。


 ちなみに今もミドウさんはイツツバに封印されたままだ。

 ボクがイツツバを通してミドウさんを召喚し、使役していることになる。


「助けが遅くなった、じゃないんですよ、偉そうに。まずは心配させたことを謝ってください!」


 イチセは仁王立ちして地面を指さした。

 ミドウさんは大人しく正座してぽりぽりと頭を掻く。


「いやぁ……、思ったより元気そうで良かったよ。だが、あまり動かない方がいい。頭から血が出てるし、左腕は折れてるよね」

「平気です、もう治りました!」


「んな無茶な」

「もうっ、話をそらさない!」


 そんな二人の様子を眺めながら、ボクはなんだか既視感を覚えている。

 あ。あれだ。

 シノ様とミドウさんの再会の時のやつだ。シノ様も出会い頭に剣を抜いていたっけ。


 ツチミヤ門下ってのはみんなこういうものなのか。じゃあボクも、シノ様と会ったら一発ぶん殴るのが礼儀かな。

 いいアイデアかもね。そしたら、置いて行かれたボクの気持ちも少しは晴れるってものだ。


 ……いや、やらないけどね。

 シノ様は絶対、殴り返してくるもの。




 ボクは正直、ミドウさんの助けを得られることになって気が緩んでいたと思う。

 カヒナの式神を一撃で倒した圧倒的な力を見て、これで万事解決だ、もう大丈夫なんだと思ってしまっていた。


 でも、さっと空気の感じが変わったのに気づいてそれが間違いだったのだと気が付く。


「これは……!」

 イチセが叫び、振り返った。

 その視線の先におそらく、この巨大な呪力の流れの元があるのだろう。


 そしてその流れは、ボクらを中心に結実する。


 ミドウさんが跳びつくようにして力の集約点を両手で押し包むのと、その力が具現化するのとはほとんど同時だった。


 そこでボクの意識は、一時途切れる。

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