第80話 アル・ムールの戦い
~前回までのあらすじ~
ミドウさんはナツキをイツツバから召喚された鉄蛇カナツノカナナハごと封じ込めてしまった。しかしそれは時間稼ぎ程度の意味しかない。オルテンは王都を守るため、自ら囮になり霊地アル・ムールへと向かう。その場所でシノ様の中からイツツバの神霊を呪本へ再封印し、ナツキの弱体化を狙う作戦だ。
そしてしばしの休息を経て、ナツキの封印が破られた。
***
星明りに照らされた夜の闇の中を、二頭分の蹄鉄音が響いている。
先を走る一頭の馬の手綱を取るのはアズマだ。ボクはアズマの腕の中で身体を小さくして、身体を突き上げるような振動に耐えている。
そして二馬身ほど離れてイチセの乗るリタがそれを追った。
既にマオカンの町からは離れ、スリャーク、バスマールの二山の間の峠道も抜けた後だった。
田園の広がる東西方面と違い、マオカンの南方に広がるのは荒野だ。
そこには緩やかな凹凸の繰り返される丘陵地帯が広がり、そしてボクらの進む道は霊地・アル・ムールへと繋がっている。
そしてその道はボクが知る由もないことだが、百年前にイザナがアスミを連れて馬を駆けさせた道だった。
ボクらの背後には、鈍く鉄鱗を閃かす大蛇、カナツノカナナハとミドウさんが空中で術を交える音が聞こえている。
今のミドウさんの役目は、できるだけヘイトを稼ぎナツキを町から遠ざけることだった。
ミドウさんとオルテンという二つのエサでナツキを霊地アル・ムールへおびき出し、そしてそこで決戦だ。
ナツキとは正面から戦って勝ち目はないとミドウさんは言っていた。
イツツバには五体の天地に通じる神霊が封じられている。
妖樹シュラハ、火精レンヤ、土精ハンリ、鉄蛇カナツノカナナハ、水霊ナガミタマ。
どれもミドウさんとイザナが二人がかりで封印に成功した神霊だ。
そんなのと真正面からぶつかって勝つのは本体のツチミヤでも難しい。
だから姑息に弱点を突いて勝つほかない。
そのついでにシノ様がイツツバから解放されることになるなら、ボクとしては万々歳だ。
ミドウさんはさっきから回避に徹してナツキの力を少しでも削ごうとしている。
時々大きな術も使うが、牽制程度だ。
あまり大きな術を連発されるとボクが枯渇してしまうから助かる。
ボクは今は静かに霊力を取り込んで呪力を練り上げ、再びミドウさんが本気になる時に備えている。
シノ様が助かるに越したことはないけれど、その時はボクも、一緒に再会を喜びたいからね。
次第に空の色が淡く変わっていく。
東の空が白み始める。
「夜が明けるな」
「うん」
そして薄明りに照らされて、ボクらの前に広大な湖が現れた。
その湖は奇妙な霊力を帯びていた。
荒野の中にぽつりと流れ込む河も水の引いていく流れもなく、しんと制止する様は異様だ。
しかしもっと異様なのはその湖の中に点在するいくつかの島のうち、一つの島が炎に包まれている点だった。
初めはオルテンたちが篝火でも燃やしているのかと思ったが、それにしては大きい。
その炎は何かを燃やすことなく立ち上る、純粋な火だった。
その揺らめく光を受けて、また別の島はちらちらと閃いていた。
それは透き通る石でできた島だった。
ごつごつと固くとがり、突飛な方向に突きだしては、また分岐する。
点在する島々の中では最も背が高く水面から突き出している。
他の島は鬱蒼とした木々に覆われていたが、ただ一つ中央の一際広い島は、一つ大きな石が転がっている程度で後は何もなかった。
ボクはその島こそがこの霊地アル・ムールの中心なのだと悟った。
そこにイザナと、イザナの守ろうとした少女が今も眠っているのだ。
湖の前には、オルテンとそれを守る三十騎の騎馬が集まっていた。
ナツキもそれに気づいたのだろう、ミドウさんへの攻撃がにわかに激しくなり、ボクは吸い出される呪力量の増大を感じた。
鉄鱗が乱れ飛び、ミドウさんに撃墜されて周囲に重い音を響かせながら落ちていく。
カナツノカナナハの高度が次第に落ちていく。
ミドウさんはそれを止められない。
蛇を両断しようと手刀の動作をしたが、何かに防がれた。
ナツキの練度は間違いなく上がっている。ナツキには、ミドウさんの攻撃を防ぎながら別の術を発動する余裕さえあった。
「シュラハ、押しつぶせ!」
ナツキの呼びかけと共に、何もない空間から群れのように無数に木の枝が伸びた。
それは空中のミドウさんを襲うと見せかけて素通りし、オルテンへと向けて濁流のようになだれ落ちていく。
それを迎撃したのはカヒナの式神だった。
火鬼の鉾が、水鬼の分銅縄が、風鬼の剣が、土鬼の鎚と刀が、振り回され、殺到するものを食い止めようとする。
しかし出力が違う。
他の呪術師、武人たちもそれぞれに迎撃を開始するが、食い止められそうにない。
しかし生み出した少しの時間に、オルテンは護衛の十騎と共にその場を逃れた。
枝はそれを追っていく。
「冷たき暗がりに眠るもの。そは砕けてこそ鋭く、数多の敵を打ち倒すものなり。黒鉄の蛇よ。流れ、流れて時を刻み、怨敵を切り裂かん!」
イチセは周辺の霊力を我がものとして支配していく。
相変わらず素晴らしい速度、範囲だ。
ボクは霊力の供給を絶たれてへろへろだけど。
「黒砂呑雲。両断しろ!」
イチセが叫ぶと、さらさらと現れ出た砂鉄は巨大な渦となってシュラハの木腕を取り囲んだ。
そして枝々の束がばつりと断たれる。
切り離された先端は動きを止めて静かに崩れた。
「はっは、流石は僕の弟子!」
「娘です、お父さん!」
ミドウさんに褒められたのが嬉しかったらしい、イチセは弾んだ声で言い返した。
「わたしは殿下の護衛につきます。わたしが本気を出すと、味方の呪術師から術を奪ってしまいますから」
「分かった、無理すんなよ。お前は手負いだし、あんな野郎にゃなんの義理もねぇんだからな」
「分かってますよ。必ず生きて、お姉ちゃんに文句言ってあげましょう!」
イチセの背中が遠ざかっていくのを見送って、アズマはボクの肩をぽんと叩いた。
「あいつもタフだな。手負いでここまで駆けて休みなしだぜ。そろそろ俺はひと眠りしてぇよ」
「冗談でしょ。もうじき全部終わるのに」
ボクがにっと笑って見せると、アズマも同じように笑って見せた。
「お前も大概タフな奴だぜ」
そしてアズマは馬の腹を蹴った。
ボクらは一直線に、アル・ムールの中心へと向かっていく。
水辺にたどり着くとボクらは馬を降りた。
そこで待っていたのはゴドーさんとセリナさんだ。
「頼まれていたものは用意できている」
「ここまでえっちらおっちら運んだんですから、うまくやってくださいね」
二人が指し示した先には小さなボートがあった。
「うん、ありがとう……」
ボクは一度道を違えた二人と、もう一度こうして普通に話せていることに少し胸が熱くなった。
「あの、なんて言っていいか分かんないんだけど……」
「謝らんぞ」
ボクが何か言うのを待たず、ゴドーさんはぶっきらぼうに言った。
「俺もセリナも、考えあってのことだ。悪いとは思っているが、謝らん」
「もう、何言ってるの。さっさと謝っちゃえばいいじゃありませんか。こうなるともう計画通りにはいかなさそうだし、わたしはさっさと謝っちゃいますよ。
ごめんなさいね、イヅル。最後までわたしたちのことを信じていてくれたんですってね。でも正直、さっさと見限ってくれていた方が心苦しくなかったですよ」
セリナさんの軽い調子の謝罪に苦笑いして、次はありませんからね、とボクは頷いた。
「ところで、考えって何だったんです?」
「……この国は戦争ばかりの国で、わたしの弟たちも戦争で死んだんです。
殿下はイツツバの力をもって戦争を終わらせ、この国を平和へ導く理想をもっておいででした。わたしはその理想に共感したんです。
あれだけの力を見せつけられると今でも……、惜しいと思う自分がいますね」
「そいつはちげーよ」
そう口を開いたのはアズマだった。
「圧倒的な力でもって敵国を押さえつけ、平和をもたらす。そんな簡単な方法があるなら、そりゃ跳びつきたくのも分かるがな。
でも、平和ってのは誰のもんだ?
おっさんや、あんたや、俺やイヅルのもんだ。
誰かが不幸になってりゃ、そいつは平和なんて呼べねーよ」
「……青いな。それは理想だ」
「だがあんたも、セリナも、その理想ってやつに共感したんだ」
まだ暗い湖面に、ボクとアズマはボートで漕ぎ出した。
アズマは二つの櫂を操って、少しばかり迷走しながら湖の中心を目指す。
「ありがとね、アズマ」
「は、何がだよ」
「さっきの、ボクのためにああやって言ってくれたんでしょ」
「ちげーよ。勘違いしてんな」
思い切り嫌な顔をするアズマを、ボクはニヤニヤして眺めている。
アズマはわざとらしく、ちっ、と舌打ちした。
「……戦争奴隷してる頃にな、思ったんだ。
ああ、どいつもこいつも、自分が叩かれた分、誰かを叩きのめしてぇんだなって。俺に因縁ばっかつけてきやがった隊長殿もそうだった。
でも、そうじゃねぇ奴もいた。そいつは殴られたり蹴られたりしても、他の奴につらく当たったりしなかった」
「それって、景色が綺麗だって言った人?」
アズマは少し目を丸くして、よく覚えてやがるな、と顔をしかめる。
「そうだよ。俺の呪印を焼いてくれた奴だ。みんながああなら、誰も殺し合いなんてしねえのにな」
「あ、ちょっとアズマ。舟、めっちゃ曲がってる。右に曲がりすぎ!」
慣れない舟との格闘を経て、ボクらは中心の島にたどり着いた。
ボクは背丈ほどの石の前に座り、その冷たい肌に背をもたせかけた。
あぐらに組んだ足の上にイツツバを乗せ、ふっ、と小さく息を整える。
「さて、アズマ」
アズマは槍を片手に仁王立ちして、じっと上空で行われる戦いを睨んでいる。
その頼もしい背中を見ると、緊張していた気持ちも少しずつ緩んでいく。
「始めるよ」
ボクはシノ様からもらった銀色の帯飾りを目の前の土の上に突き立てた。
今や朝日は東の方から昇りかけている。
照らされて湖の景色は次第に露わになり、揺れる帯飾りの玉の緑は、鮮やかに浮かび上がっていた。
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