第71話 浮舟の術


~前回までのあらすじ~

 王子との謁見を終えたわたしは、アマミヤの屋敷にて軟禁される。世話係のナツキ・アマミヤにアマミヤを潰さないでほしいと懇願され、わたしは交換条件として師匠に会わせるよう持ち掛けた。


 ***


「ツチミヤ様が現れたのは、ちょうど一年ほど前のことでした。あの日は月も出ない暗い夜で、呪術院の退魔結界がはじけ飛んだので、わたしも慌てて跳び起きたんです」


 真夜中だった。

 ナツキはシノのいる建物を見張る者たちを実に見事な手際で眠らせると、シノを部屋の外へと連れ出した。


「なんと言うか……、すごいわね」

「絶対に逃げないでくださいね。わたし、こんなことをしているのがバレたらどんな目に遭わされるか……」


「分かってるわよ。軽率なことはしないつもり」

 もちろん方便だ。ミドウを解放するチャンスがあるなら、ためらうことなくやるつもりだった。


 屋敷の周囲には玉砂利が敷かれ、静かに歩いているつもりでも足音が響いた。

 屋敷の内側には明かりが灯っているが周囲は暗く、ナツキの持つカンテラの明かりだけがやけに目立って見えていた。


「わたしたちが出歩いてること、見えてるわよね」

「そうでしょうね。ここはフミルの呪術の中枢です。見張りはたくさんいますし、式神も……」


「それ、大丈夫なの?」

「見張りの目は外部へ向いていますし、式神も同様です。それにわたしは長の孫娘です。あまりあからさまに怪しまれる行動をとらない限り、見逃してくれますよ」


 本当かなぁ、と思いながらも、シノはナツキに委ねるしかない。

 大体、もう落ちるところまでは落ちているのだ。シノ自身には、見つかっても失うものはない。

 ナツキのことはともかくとして。


「ツチミヤ様は迎え撃とうとした者たちを全て蹴散らし、一直線にこちらの当主の屋敷までやって来られました。そして並みいるアマミヤの高弟たち、宗家の者たちをも文字通り吹き飛ばして、さらにその奥、宝物庫へと向かったのです」


「へえ。やっぱり強いのね、師匠って」

 シノがうきうきと言うと、ナツキは苦笑して頷いた。


「そのように嬉しそうになさらないでください。わたしたちにとっては地でも揺れ動いたかのような災難だったのですから」

 そしてナツキは再び顔を引き締めた。


「宝物庫へ向かったツチミヤ様は、宝物庫へとかけられた何重もの退魔結界を捩じ切り、中へと押し入りました。

 しかし宝物庫にはアマミヤの歴史上重要な記録、呪具、呪物が様々に格納されており、中でも呪物については封印を要する強力な品も多数あります。また、誤ってそういった封印が解けてしまった場合に対する備えも用意してあります。

 ツチミヤ様は強引にある呪物の封印を解こうとして、そうした備えの一つに捕らわれたのです」


 ぎぃ、と木の軋む音と共に扉は開いた。

 石造りの冷たく暗い蔵の中を、ナツキの持つ灯りがぽつりと照らす。


 威圧的に天井高くまで伸びる棚と、埃っぽいにおい。

 その蔵の中は奇妙な悪寒を感じさせる呪力で満ちていた。


 その異様な雰囲気に圧倒される心地がして、シノはたじろいだ。

 しかしナツキはさして気にも留めぬように真っ暗な棚の隙間を歩いて行く。


 まさか騙されているのでは、という考えが頭をよぎる。

 てっきり地下牢かどこかに幽閉されているものだと思っていたのだ。

 だのにどうして宝物庫へ?


「こちらです」

 シノが躊躇う間にも、ナツキは急かすように振り返った。


 今更帰るなんて言い出せない。

 シノは、怯えてなんていませんよとばかり、あからさまに胸を張ってゆったりとナツキの後を追いかけた。


 そしてナツキが足を止めたのは、入り口から百二十歩ほど歩いた場所だった。

 ナツキの指し示したのは、棚の中ほどに無造作に置かれた一抱えほどもある獣の皮の包みだった。


「これが、ツチミヤ様の求めた呪物。呪本イツツバの原典です」


 その言葉を聞いて、シノは山の下で聞いたツチミヤの言葉を思い出した。


『イツツバを呪本へ封じ直し、それを破壊しろ。それができれば君の勝ちだ』


――これが、イツツバの呪本。これにイツツバを封じ直せば、わたしは解放される。もうこんな、くだらないことに付き合わされることはない。


「どうしてツチミヤ様は、今となっては抜け殻となったこのようなものを求められたのでしょうね」

 ナツキの平静な声が場違いに蔵の暗がりに響く。


――それはたぶん、きっと……。


 シノは熱いものがこみ上げそうになるのを堪えて、分からないわ、と首を振った。


「それより、師匠はどこにいるの。イツツバなんてものを紹介しにここまで連れてきたわけじゃないんでしょう?」


「いらっしゃいますよ」

「どこに」


「シノ様の、目の前です」


 そうは言っても、シノの目前にあるものと言えばイツツバの呪本のみ。


 だが、そもそも呪本はイツツバの神霊を封印するためのものだった。そしてツチミヤの話によれば、ミドウは式神。霊体である。

 つまり。


 シノは衝動的にイツツバに手を伸ばしかけ、ナツキに止められた。


「おやめください。これは現在も生きております。触れればどうなるか……」


 イツツバの逸話は知っている。適性の無い者は触れただけで魂を喪失させられる呪本。


 シノは手のひらを握りしめる。


 捕らわれている程度ならどうにか逃がせるような気がしていた。

 けれど、封印されているとなれば話は別だ。

 それも相手はイツツバの呪本。一国が欲しがるほどの霊力を封じるほどの、力ある封魔書だ。

 シノが一人頑張ったところでどうにかなるとも思えない。


「呪物の力を抑えるより、その力を発散させてしまった方が早い。そうした考えのもと、呪本イツツバには封印を解いた者を封印する術式を備えておいたのです。

 さあ、これで気はお済になられましたでしょうか。警備の者に見つからぬうちに、部屋に戻りましょう」




 それから三日が経ったある夜のことだった。


「それでは、ごゆっくりとお休みください」

 ナツキが扉を閉じて出て行き、一人になった部屋の中でシノは、静かに耳を澄ませていた。


 聞こえるのは虫の無く声、風の音、どこかで誰かがくしゃみをする音。

 そして隣室から聞こえてくる、ナツキが寝支度を整える音。


 ナツキが寝入ったと思われてからもしばらく、シノは用心深く動かなかった。

 はやる心を抑えて辛抱して、我慢の限界が来たと思ってからもう一度辛抱した後、ようやくシノは動き出した。


 シノは髪を結っていた紐を解き、ベッドの上に丸く円を描いた。サイドテーブルの上に燭台を乗せ、円の中心に窮屈に足を組んで座る。

 それらの作業はなるべく音を立てぬよう、素早く行われた。これからすることを誰かに気取られるのはまずい。


 シノが作ったのは夢渡りの術の為の簡易的な結界と補助のための術具だった。

 燭台の炎が揺れるのを眺めながら、シノはゆっくりと呪力を練り始めた。


「夢は土中に絡む根の如く繋がり、やがて交わる水脈の如く流れる。夢は道の如く続き、そこに現との境なし。ならばそれは霊会の浮舟とならん」


 シノは手の中に置いた折れ曲がった帯飾りから、ミドウとの繋がりを辿っていく。

 宝物庫の呪本とシノの中のイツツバが引き合うのを感じる。

 そしてその中へと、燭台の炎が揺れるのに任せ、ゆっくりと意識を紛れ込ませていく。


 次第に部屋の景色がにじんでいった。

 ぼんやりと霞み、そしてふっと消えた。




 シノは気づけば、星の見える夜の木陰の下、赤々と燃えるたき火の前に座っていた。

 そしてこの、背中に感じる温かさは……。


「師匠!」

 それが誰かも確認せずに、シノは振り向きざまに思い切り抱き着いた。


「うあっ、いきなり抱き着いてくるない。びっくりするじゃないか」

 その声色に、シノはじわっと胸の奥が熱くなる。

 山の下で聞いた素っ気ない声じゃない、聞き慣れた、いつもシノを守ってくれたあの人の声だ。


 ミドウ・ツチミヤがそこにいた。


 そして決壊した。いろいろと。


「じじょ~っ、もう、もうわだじむりでず~っ!」


「お、おやおや。おやおやおや。ど、どうしたんだい。いつも凛と気高い君が」

 ミドウはわたわたとしてシノの背中をさする。


「イヅルと、ケンカしちゃって。素っ気ないこと言って、冷たくて……」

 出会えたら相談しなきゃいけないことがたくさんあると思っていたのに、シノの口から真っ先に出てきたのはそのことだった。


「ああ~、そうかい、そうかい。それは辛かったねぇ」

「わたしは別に辛くないんです。だっでイヅルにひどいこといっぱい言ったの、わだしだがら」


「そうなんだねぇ。でも、君のことだからちゃんと謝ったんだろう?」

「……謝ってないです」


「そうかい、そうかい。まあ、そういうこともあるよねぇ」

 ミドウは穏やかな笑みを崩さない。シノの言うことに頷きながらからからと笑う。


「でも、イヅルも、ひどくて」

「うん」


「わたしのこと、景品みたいに言って。そんなつもりじゃないのは分かってるけど、一人で勝手に突っ走ろうとして。全然、わたしのことなんて見てくれてないんです。

 わたしのこと、好きなくせに。

 キスするくせに!」


 ぴたり、とミドウの身体が固くなった。

 それまで優しく微笑んでいた表情が急に強張る。


「ほ……、ほおぉ。なるほど、ひどいね?」

「そうなんですよ。だからわたしも、なんか、もやもやしちゃって」


「まあ……、いいんだけどさ。

 けど、そういう衝撃の発言をする前にはきちんと予告をしてくれないかな、それっぽい態度を見せるとかね。

 師匠、もう歳なんだ。ふとした拍子にころっといっちゃうかもしれないよ」


「……? そう、ですか。すみません?」


「いや、いいんだ。シノ君も、しばらく見ない間に大人になったってことだねぇ」


 ミドウはからっとした笑い声をあげてシノの背をぽんと叩いた。

 涙の跡で汚れた顔を、指でそっと拭う。


「さて。悪いけど、初めから話してくれないかな。あの町で僕と別れてから、これまでのことを。


 あ、あと。君から見たイヅルの人となりとか、どんな奴なのかも詳細にね。

 どうしてかって?

 場合によってはほら、やることができちゃうかもしれないからさ」

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