第72話 師弟の対話


~前回までのあらすじ~

 ミドウの捕らわれているという宝物庫を訪れたシノは、ミドウが呪本イツツバの中に封じられたことを知る。ミドウとの再会を諦めたように見せ、数日後、シノは夢渡の術を用いてミドウと再会を果たすのだった。


 ***


 ぱちぱちとたき火のそだが音を立てて弾けていた。

 その音を聞きながらミドウの腕の中に座っていると、シノは昔のことを思い出した。


 まだ幼い頃、シノはミドウに連れられて各地をさ迷い歩いていた。


 その旅が何を目的としていたものなのかシノは知らない。

 シノのためだったのかもしれないし、何の目的もなかったのかもしれない。


 そうした日々の中、こうしてたき火を前に夜を過ごすことがよくあった。


 シノは少し大きくなってくると、人里で同じくらいの年頃の子がすっかり自立して働いたり走りまわったりしているのを見て、いつまでもミドウに抱かれて眠るのが恥ずかしいことのように思えてきた。


 そこである日、もう子どもじゃないから、とか生意気なことを言って、ミドウの腕の中で眠るのを止めてしまった。

 そうか、そうだね、とミドウは笑って、シノのために寝床になりそうな布を傍らに敷いてくれた。


 しかしいざ一人で眠る段になると急に心細い気がしてきて、シノは小さな声で尋ねた。


「お師匠様は、眠らないの?」

「僕は、眠る必要がないからね」

「ふぅん……、そっか」


 ミドウが普通の人間じゃないのは、ずっと前から察していた。

 でもそれはシノにとって当たり前のことで、疑問に思うこともなかった。一般的にミドウが化け物と呼ばれるものであったとしても構わなかった。


 ミドウはシノの心細さを察したのだろう、シノの身体の上に手を伸ばして、ゆっくりとした調子で叩いてくれた。

 シノはそれもまた子どもっぽいとは思ったのだけど、されるがままになっていた。


――だってあんまりいっぺんにわたしが大人になっちゃったら、師匠も悲しくなっちゃうかもしれないからね!


 その日からシノは、今しているみたいにミドウの腕の中に座って甘えることもあまりなくなった。


 甘えたい気持ちがなかったわけじゃないのだけれど、幼いながらの意地というものか。


 でも、今のシノにはそんな意地はない。

 もう大きくなったから、大人ぶる必要もなかった。


 だからシノは安心して、小さな頃みたいにミドウの胸に頭を預けて、ミドウと別れてからのこと、どんな楽しいことがあって、どんな辛いことがあって、何が不安で、何に困っているのか、一つ一つ話していた。




「へ~、そうか。フミルの王子にイヅル君ねぇ。それは面白いことになってるなぁ」


 シノから一しきり話を聞くと、ミドウはくっくと喉を鳴らして笑い出した。

 シノとしては全く笑い事ではなかったので、思わずぷくっと頬を膨らませる。


「真面目に聞いてくださいよ!」


「いやぁ、ねえ。だって、面白いじゃないか。僕は君がアマミヤに捕まって意気消沈してるのかと思ってたのに、その実二人に言い寄られて悩んでたなんて……くく」


「悩んでません。イヅルにはすげなくしちゃったし、王子の方はもうおじさんですよ。ありえません!」

 からかわれて、シノはぷっと頬を膨らませる。


「でも、イヅルはともかく王子様の方は、使える、とは思ってるんだろう?」

「それは……、でも」


「その王子様はいずれ王に即位するかもしれないんだろう。やりようによっては僕を呪本から解放して、君の中のイツツバを再封印することもできるかもしれない。

 イヅル君たちが捕まったって、君が王子に取り入ると決めたなら、そうひどいことにはならないよ」


「けど……。多くの人を殺すことになります」

「そうだね。でも、君は従わされただけだ。殺すのは君じゃないし、それを助けるのも君じゃない。君の中のイツツバの神霊たちだ」


「では、師匠はわたしに、あの王子に嫁げと?」


 シノは不貞腐れた気分で唇を尖らせた。

 ミドウならそんなことをする必要はないと言ってくれると思っていたし、もっと何かすごい力で全部解決してくれるように思っていたからだ。


 ミドウはゆっくりと首を横に振った。


「いいや。僕は君にどうしろとも言うつもりはない。だって君はもう立派な呪術師になったんだからね。

 追っ手に気を配り、アマミヤの内通者を探りつつ、よく分からない傭兵上がりの男と見知らぬ二人組を伴って、イヅル君を守りながらここまで来たんじゃないか。

 よくやったよ。

 もう僕が要らぬ気を回す必要なんかなさそうだ」


 ぽんと頭を撫でられて、シノはじんと胸の内に熱いものが広がっていくのが分かった。


「そんなことありません。イヅルにも助けてもらったし、アズマも、イチセも……」


「そうだ、イチセ君が合流したんだってね。すごい子だろう」

 ミドウは自慢げに言った。


 それを聞いて、シノは折角直りかけていた機嫌がまた急降下するのを感じた。ミドウが自分を放ってイチセを育て始めたことを思い出したからだ。


 シノはミドウの腕を逆方向にねじってやった。


「そーですね。師匠がわたしを放って行っちゃった意味がよく分かりました」

「いててて。まだ怒ってるのか、君って結構執念深いよねえ」


「執念深くて悪かったですね」

 シノはつんとそっぽを向く。褒めたんだよ、とミドウが笑った。


「ちょっと一緒に居すぎたと思ったんだ。ほら、あの頃の君って僕にべったりだったろう?

 君にはいずれイツツバがらみで何かあるだろうとは思っていたし、強い人間に育ってほしかった。

 でも、君のいない旅は少し寂しかったよ。

 だからだろうね、イチセを見つけてつい、声をかけてしまったのは」


 都合のいい話を聞かされている自覚はあった。そういう風に話せば機嫌を直すだろうと、ミドウが計算ずくなのも分かっていた。

 それでも心が軽くなっていくんだから、なんて簡単な人間なんだろうと思う。


「なれてますか、わたしは。師匠の期待したとおりの呪術師に」


「そうだね、期待したとおりだよ。

 呪術師は、この世の裏側を覗く者だ。世界と同化し、霊なる存在と対話する者だ。その違いを受容する心と、しかし同化しながらも一個として自分を保ち続ける力とが必要だ。

 君は強くなったよ。困難の中、君はここまで自分を貫いて歩いてきた。そしてそのことが、自分だけの力じゃないと知っている。

 もうあと一歩だ」


 術が解けるね、とミドウが呟いた。

 言われ、シノは周囲に鹿の角を燃やす異臭が漂っていることに気づいた。


 術が干渉を受けている。

 どうやら見つかってしまったらしい。


 シノは慌ててミドウの胸に縋り付いた。


「待ってください。師匠の許に夢渡りできるのはこれで最後でしょう。何か。何か、現状を打破するヒントをください!」


 ミドウはぽんとシノの頭に手を遣った。


「仕様のない子だね。どうするべきか、自分でもう分かっているだろうに」

「そんな……。買いかぶりすぎです。わたしはただ、師匠に会えればみんな解決するんだって、そんな風に甘えていただけなんです」


「まあ、そう思ってもらえるのは、師匠冥利に尽きるけれどね」

 ミドウはふっと笑って、口元を引き締めた。


「君には二つの道があるように思うよ。

 一つはさっき示した道だ。王子に取り入って、その力を利用すること。

 こっちを選ぶなら、僕の本体に気を付けることだね。まあ、あいつは山の下に縛りつけられている身だ。僕が封印されているのなら、気を付けていればしばらくは大丈夫だと思う。

 他にもそれなりに苦労は多いだろうけど、きっと君ならやり遂げるよ。


 もう一つは、イヅル君たちの力を借りること。

 イヅル君を僕の……、呪本の許まで連れて来なさい。そうしたら、きっと僕が何とかしてみせよう。力づくは得意なんだ。

 こっちの道は少々不確定だね。どうにかして宝物庫までイヅル君を連れて来なきゃいけないんだから。でも、誰かを頼むっていうのはそういうことだね。


 だが、僕の言葉はあくまで僕の考えに過ぎないんだ。

 シノ君なら、もっとうまくやるかもしれないね。

 僕は自分の力を過信してこんな体たらくだ。なんとかするなんて言ったけど、あんまり信用しない方がいいかもよ?」


 ミドウはふっふと含み笑いした。

 シノが必死で話をしているのに、あんまり緊張感がない。


 でもミドウは昔からこんな風で、何でも知っていて何でもできるみたいな感じがするのに、度々何か失敗して、あらら、と笑っていることも多かった。

 それを思えば、自分に切っ先を突き付けるほど追いつめられた気分でいた自分が少しおかしくなってくる。


 状況は悪いけど、ここまで来て二つも選択肢が残されているのだ。

 最悪じゃない。


――わたしも、笑え。呪術師らしく何が起きても受け入れて、けれど、自分を曲げるな。


「分かりました。王子に頭を下げるのも嫌だし、イヅルを巻き込むのも嫌ですけど……。でも、何とかやってみます」

「うん、頑張りなさい」


 ミドウはトンとシノの背中を押した。

 シノは小さく会釈し、燭台の明かりの許へと続く道を辿っていく。


 途中で振り返ることはなかった。

 それは身体を目指す意思を弱らせてしまう行為だし、折角褒めてもらったんだから、一人でできるだろうと思っていてもらいたかったのだ。




 そしてふっと奇妙な浮遊感がして、それが治まる頃には、シノはアマミヤに与えられた自室の中に戻っていた。


 部屋の中にはナツキの他、アマミヤの長オラフと見知らぬ男が四人立ち、シノをジッと睨みつけていた。

 シノはふっと知らずため息を吐く。


「誰と会っていた?」

 オラフが詰問口調で言った。


「あら、女の逢瀬の相手を詮索するものじゃないわ。深夜の寝屋に、こうして大人数で押しかけるのもね」


 シノは髪紐を結び直し、ゆっくりとベッドから立ち上がった。

 答える気がないと見たオラフは、ぎっと歯がみして燭台を指差した。


「お前の命綱、握りつぶしてやることもできたんだ」


「あら、心外ね。しるべが無くて夢に迷うような生半な術者じゃないつもりよ。

 それにできるのかしら。わたしは大切なイツツバの巫女で、殿下の妻となる者。次期王の覚えはめでたくしておきたいんじゃない?」


 シノは傲然と顎を上げてオラフに笑み含みの視線を向ける。

 オラフはくびすを返し、荒い手つきで扉を開いた。


「殿下には、お考え直しいただくよう交渉中だ。ご承諾いただいた暁には、その生意気な舌を切り落とし、従順にしつけてやる。

 ナツキ、貴様が目を離すからこうなるのだ。二度目はないぞ」


 言い捨てたオラフが部屋を出ようとした瞬間、ばちんっ、とどこからか、空間が轟くような音が響き渡った。

 一瞬、衝撃波のようなものが感じられ、部屋の中にいた全員がはっと中空を見上げる。


 鋭い声で言ったのはオラフだった。


「なんだ!」

「確認してまいります」


「イツツバの巫女、貴様の手引きではあるまいな!」

 睨まれてつい、シノはさっきまでの居丈高な態度も忘れてぶんぶんと首を振った。


「わ、わたし。知らないわ!」

「ならば何だというんだ」


 そしてオラフはふと何か気づいた様子でつかつかと歩み、シノを突き飛ばして進むと窓を大きく開け放った。


「……退魔結界が、破れておる」


 オラフはじっと空を睨み、残った三人の男を引き連れて部屋を出て行った。


「ナツキ、巫女を守れ」

「はっ」


 扉の奥にオラフの背中を見送り、シノはナツキと顔を見合わせた。


「……何が起こったの?」

「さあ……」


 しかし、いずれにしろ呑気に眠っている場合ではなさそうだった。


「ナツキ、わたしの服を持ってきて。ここに着て来たやつよ。あれじゃないと落ち着かないの」

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