第70話 軟禁
~前回までのあらすじ~
フミル王子オルテンと引き合わされたわたしは、オルテンがイツツバの力を東国ウアリアに対して振るうつもりでいることを知る。
イツツバの力は思っていたよりも強大だ。わたしはそんなことに利用されたくない。
でも、オルテンに妻に迎えるとか言われたわたしは、うっかり口を滑らせてイヅルの名前を口にしてしまった。勝手をするならイヅルを殺すと脅されて、どうしようもない。
好きって言ってくれる人がいる、なんて。
わたしは何言ってるんだろう。
イヅルはもう、わたしのことなんて大嫌いになっちゃったに決まってるのに。
***
目覚めると格子天井の下にいた。
一瞬状況がよく分からなくて瞼を数度瞬かせると、身じろぎの気配に気づいたのか、扉が開いて女が一人入ってきた。
女はシノの顔を見て微笑む。
「おはようございます」
「……ええ」
シノは不機嫌に顔をしかめた。
シノが目を覚ましたのは、アマミヤ家がフミル王国王都マオカンの郊外に与えられた広大な敷地に建つ建物の一つだった。
呪術院と呼ばれるその場所は、フミル王国を陰で支え続けた呪術師たちの中枢だった。敷地内で多くを占めるのは学校機能を持った区画と、技術の研究、その他の実務を行う区画だ。
そしてそれらとは塀で隔てられた場所に、アマミヤ家代々の長たちの住む屋敷がある。
シノが目覚めた部屋は、それらの屋敷とは棟の別れた小さな建物の二階にあった。
オラフと呼ばれていた老人は、どうやら現アマミヤ家当主であったらしい。
シノはオラフから聞かされる警告とも脅しともとれるような文句を聞き流しながらこの部屋まで連れて来られ、閉じ込められた。
部屋の中には立派な寝台の他、家具類も高価そうなものが据え付けられていた。
どうやらシノにそうひどい待遇をするつもりはないことが見て取れた。
「本日よりシノさまのお世話を仰せつかりました。ナツキ・アマミヤと申します」
シノが閉じ込められてよりしばらくして部屋に入ってきたのは、ゆったりとした水色の羽織に身を包んだ、シノと同じほどの背格好の女だった。
歳の頃もおそらく、同じくらいか、シノよりも年下だろう。
長い髪を頭の後ろで留め、目許は垂れ下がり優しげな雰囲気を醸し出す。
物腰も柔らかく、儚げな笑みを浮かべる様はイヅルならころりと騙されてしまいそうなものだったが、生憎とこの時のシノには八つ当たりしやすそうな人間としか映らなかった。
オルテンとの謁見での自分があまりにも情けなく思え、しでかした失敗があまりに大きかったため、シノは敗北感にまみれて、旅の疲れも併せ、自責と悔恨の念で疲れ切っていたのだった。
「あ、そう。それはご苦労様ね」
シノは素っ気なく答えた。
「おじい様からは、不自由なく過ごしていただくようにと言いつけられています。隣の部屋に控えさせていただきますから、不足がありましたらお呼びつけくださいね」
「寝るから消えなさい」
「あの、でも。お食事と湯浴みは……」
「消えろって言ってんでしょ!」
「は、ぃ……。では、失礼します」
シノはベッドの上にうつぶせに倒れ込んだ。
そのマットはこれまで過ごしてきた日々からは考えられないくらいの柔らかさだった。眠っていて小石が突き刺さることも、地面の硬さ冷たさに身体が強張ることもなさそうだ。
自分で出した大声がぎんぎんと頭に響く気がした。
かんしゃくを起こしたことを後悔する。
それがダメ押しになったのかもしれない。
シノの目の奥に、不意に何か熱いものが盛り上がった。
――ああ、カッコ悪いな。
全部一人でやるって決めて出てきたのに、もうわたし、くじけそうになってる。
こういう時、優しく抱きしめてくれた師匠はいない。
慰めてくれるイチセもいない。
わたしを怒らせて気を紛らわせてくれるアズマもいない。
イヅルなら、ボクはシノ様のそういうところ、好きですよ、とか恥ずかしいこと言ってくれたかな。
――やっぱりあの時、イチセを止めないでみんなで戦っていれば良かったのかな。ゴドーさんもセリナさんも、みんな、殺してしまえば……。
そこまで考えてシノは考えを打ち消した。
あの時戦えば、きっと誰かが傷ついた。
けが人を抱えて逃げ回ることなんてできないし、人を殺したとなれば相手も本気になる。もう交渉しようなんて思ってくれないだろう。
そういう段階は、雪原を越えた時点で過ぎたのだ。
やはり、シノ自身で成し遂げなければならなかった。
目的は三つ。
おそらくこの屋敷のどこかに封印されたミドウを助け出すこと。
あわよくばイツツバの呪本を盗み出すこと。
イヅルを連れて国外へ逃亡すること。
それができないのであれば、シノはオルテンと結婚し、イツツバの巫女として戦争で多くの人を殺すことになるのだろう。
あるいはゲーム続行不可能と判断したツチミヤによって、じきに破壊されるかもしれない。
でも、これまでは自然とやらなきゃいけないと気負えていたのに、今のシノにはできない理由しか思いつけなかった。
折れ曲がった帯飾りは、そのことを思い知らせるように思われた。
シノは打ちのめされ、しばらく泣いて、泣いている内にいつの間にか眠っていた。
そんな鬱々とした夜を過ごしたシノだったが、食事をして湯浴みをすると少しずつ調子を取り戻してきた。
なにしろ、食事は朝ということもあり控えめだったが十分な量があり、案内された浴室は広く清潔だった。
空腹が満たされ、暖かな湯に温められると、シノの元々健康で負けん気の強い魂はいつまでもしぼ萎えたままでいられなかったのだ。
ナツキはシノに邪険にされても、シノのことを嫌がったり怒ったりすることはなかった。
ただいつも少し悲しそうな顔でほほ笑むだけで、そのこともシノを勇気づけた。
未だ自分は孤独な呪物などではなく、誰かに影響を与えることのできる人間だと思えたからだ。
その思考回路はいささか不健康なものではあったが、シノ自身はそれを自覚していなかった。
ただ自分がナツキに元気づけられたことは何となく分かっていたので、少し調子を取り戻すと、相手が敵だろうともう少し優しく接しようと思うだけの余裕も出てきた。
「ちょっと、話し相手になりなさい」
湯浴みをして部屋に戻ると、シノはナツキを椅子に座らせた。
旅の間中着ていた服を奪われたシノは、ナツキと似た服を着ていた。
ミドウの着ていたものと同じ系統の服で、今までの服との違いは決定的な肌触りのよさ。軽くて、服を着ていないような気がしてむずむずしてしまう。
「自己紹介が遅れたわね。わたしはシノ・ツチミヤ。ミドウ・ツチミヤの弟子で、呪術師よ。よろしく。
昨日は嫌な態度を取っちゃったから、謝ろうと思ってね」
シノが頭を下げると、ナツキは慌てて床の上に下りた。
「そんな。王子の妃となられる方が頭を下げるなんて!」
「ならないわよ、失礼ね!」
どうやらシノはイツツバではなく第三王子妃として丁重に扱われていたらしい。
そんな気はしていたが。
「えっ……、でも。おじい様はオルテン様の妃となられるかもしれないと」
「かも、でしょ。向こうが勝手に言ってるだけなの。わたし、無理やり結婚させられようとしているの。可哀そうでしょ?」
はあ、とナツキは曖昧に微笑んだ。
王子の妃の何が不満なんだ、ということかもしれない。
同情を誘って仲間に引き入れる作戦の雲行きはよろしくない。
「それにしても、シノ様はあの大呪術師の弟子なのですね」
「そうよ。小さい頃に拾われて、育ててもらったの。だから、育ての親でもあるわ。
あなたは知ってるのね、師匠のこと」
「もちろんです。ミドウ・ツチミヤと言えばその昔、アマミヤ家始祖ハスミと対立した伝説の呪術師ですから。生存説がささやかれていましたが、本当だったんですね。でも……」
ナツキは少し言いよどみ、意を決したように口を開いた。
「シノ様がツチミヤ様の弟子ということは、アマミヤ家の転覆を狙っておられるのでしょうか?」
「はあ?」
シノはあんぐりと口を開けてしまった。
どうしてそんな話になるのだ。まんまとこんなところに閉じ込められたシノに、そんな力などあるはずもないのに。
「ツチミヤ様と言えば、アマミヤに恨みを抱いてこの世をさ迷っていると聞きます。であれば、お弟子様であるあなたもそうなのかな、と。
わたし、この家が好きなのです。長の三番目の娘の子として生まれ、なに不自由なく暮らしてきたわたしが何をと思われるかもしれません。
ですが、この家におりますと真面目に研鑽に励む呪術師たちのお世話をすることもあります。中には貧しい村から出て、教練所で励みつつ村へ援助を送る者もあります。元は荒くれの者が武人としてまっとうに暮らし始めることもあります。
わたしは、そうした者たちの居場所を奪っていただきたくないのです。
どうか王妃となられた後も、数百年前の遺恨のためにアマミヤを取り潰すようなことのないよう、お慈悲を」
ナツキはべったりと床に身を投げ出すようにして平伏した。シノはびっくりしてベッドから飛び降りる。
慌てて身体を起こさせようとするのに、ナツキはどうしても床から離れようとしない。
「分かった。分かったから!
わたしが王妃になることはないけど、もし、万一、何かの間違いでなってしまっても、取り潰しなんてしないから!」
それを聞いてようやくナツキは起き上がった。
ありがとうございます、と目を潤ませながらシノを見上げるナツキを見ながら、この子は敵に回すと怖そうだ、と思う。
心臓がバクバクしている。
さっきまでそれなりに落ち着いた気持ちだったのに、これがシノを動揺させ続けて追い詰める作戦なら大成功だ。
「あ、でも。交換条件よ」
シノはふと思いついて脅すように言った。
ナツキは唇を結んで、なんでしょうか、と両手を握る。
「そんなに構えることないわ。簡単なことなの。
師匠と会わせて」
びくりとナツキの身体が震えた。
それは……、と言いかけたのを制するように、シノはナツキの耳もとに唇を寄せる。
「いるんでしょう、ここに。
さもなくば何としてでもオルテンに取り入って、わたしはアマミヤを潰すわ」
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