第69話 人質


~前回までのあらすじ~

 イヅルと別れたわたしは、アマミヤの手先だったゴドー、セリナらに伴われ、王都マオカンに連行された。てっきりアマミヤの屋敷に連れ込まれるのかと思っていたのだけど、連れていかれた先で引き合わされたのはフミル王子オルテンだった。


 ***


「フミル王国第三王子オルテン・バルガス・フミルである」

 乱暴に開いた扉が再び閉じるのも待たず、その男は名乗った。


 シノは何事かと目を見開いたけれど、セリナ以下監視役四名がさっと椅子を立ち膝を突いたので、その粗暴な感じを受ける男が真実フミル王子であることが分かった。


「シノ・ツチミヤよ」


 シノは立ち上がり、堂々とオルテンを睨みつけた。


 無用に不快な目にあわないようにするのも賢さだとゴドーは言ったが、下げたくない頭を下げないというのは、権力者によって人生を歪められた者の小さな誇りだった。

 今は、呼びつけておいて長く待ちぼうけさせられた苛立ちも含まれていたが。


「ばか者、御前だ」

 すかさず傍らにいたゴドーがシノの手を引いた。

 シノはたたらを踏んでゴドーを睨みつける。


「なにすんの、止めて」

「くだらん意地で命を縮めるな」

「わたしがどう死のうが、わたしの勝手でしょ!」


「静まれ!」

 オルテンの傍らに控えていた老年の男が一喝した。


「ゴドー。貴様、殿下の前で見苦しい姿を見せおって。しつけておくのもお前の仕事の内であろうが!」


「よい。捨ておけ。ゴドーとやらも。自らひれ伏さぬのならばそれでよい」

 オルテンは鷹揚に手を振った。


「それより。この国に呪いの技術をもたらしたアマミヤ家の歴史において最高の力を持つという今は失われし秘宝、イツツバ。俺はそれを持って来いと言ったはずだが……。

 この小娘がそうなのか?」


「はい。占術で示された地を巡り、シュベット首都近くの町にいるのを発見いたしました。身の内に膨大な霊力を秘めた娘です」

 セリナの言葉を聞き、老人が何事か呟いて頷いた。


「ふむ。確かに、人の領域を超えた力を感じる。

 だが、イツツバは失われて久しい呪物。これが確かにイツツバであるという証拠はあるのか」


「確たる、と言えるものはありません。しかし長も確かめられたこの霊力こそが何よりの証拠かと。魂の様相も、他と異なっていると見受けました」


「俺は呪物と言うから何か物体なのかと思っていたのだ。それを連れ帰ったと言うから驚いたぞ」


 オルテンは愉快げに笑う。

 セリナは頷いて言葉を続けた。


「おっしゃる通り、当初は物言わぬ物体だったようです。

 伝承によれば、イツツバは伝説的呪術師イザナ・アマミヤによって完成させられ、それは霊木の板を綴り合せた本の形をしていました。

 しかし呪本イツツバはそのあまりの力により適性のない者は触れただけで魂を喪失させられる、正しく呪われた書でした。

 そのため当時の当主はアスミ・アマミヤと呼ばれる人物にこれを封じ、彼女をイツツバの巫女としてその力を行使することにしたのです。

 イツツバの巫女となったアスミは人の身に似合わぬ霊力を持ち、術者はその霊力をもって大呪術を行使し続けることができたそうです。

 結局は、アスミの死と共にイツツバは失われ、こうして巫女の転生を待つこととなったのですが」


「そしてそのイツツバの巫女の転生者がこの娘、というわけか。

 俺としては、この娘が本当にイツツバの巫女かどうかという点について関心はない。問題は我が国の力になるかどうかだ。余には呪術のことなどよく分からん。だが、人の身に余る霊力を持つ者であれば利用価値はあろう。

 どうだ。使えるのか、この娘は」


 オルテンに問われ、老人がセリナの方を見た。

 セリナは頷いた。


「イツツバの巫女からどのように霊力を取り出し、行使したのか。その方法は既に失伝しています。しかし……」


 セリナは立ち上がり、失礼しますね、と微笑んでからシノの肩に触れた。


 その瞬間、シノは数日前にも感じたのと同じ違和感を覚えた。


 何か獰猛な獣が体内で荒れ狂うような、ひやりと冷たい予感。

 びりびりと神経が痺れるような、なにか流れ出していく感覚。


 これは……!


「止めて!」

 シノは叫んでセリナから離れようとしたが、ゴドーに押さえられ、叶わない。


 変化は急激だった。

 先ほどまで晴れ渡っていた空ににわかに雨雲が垂れ込め、そして雨粒が窓を叩いた。


「やろうと思えば、この都を丸ごと水に沈めることも、樹海の底に沈めることも可能でしょう」

 セリナが言うと、オルテンは満足げに頷いた。


「なんと、この短期間に儀式も介さず……」

 老人は驚愕の表情を浮かべ、セリナを睨んだ。


「以後、イツツバの勝手な利用を禁ずるぞ」

「仰せのままに」


 セリナがシノから離れると、シノはよろめき、ゴドーの手に支えられた。


「大丈夫か、どこか痛むのか」

 ゴドーはさっとささやく。

 シノは疲れたように呻いた。


「ええ……。でもこれは……。この感覚、何かが……。わたしの中に、なにかいる。神霊たちが、出口を求めて荒れ狂ってる」


 シノの身体は知らず震えていた。


 知らなかった。

 今までこの身に宿した霊力の強さについて、分かっている気でいたけれど、何も分かってなんていなかったことが分かった。


 今更になって、ツチミヤがイツツバを破壊することに固執していた意味が分かった。


 これは制御された穏やかな河の流れなんかとは違う。

 これは、暴れまわり、全てを灰燼に帰さずにはいられない荒魂だ。


 いけない。

 これは、権力者の手にゆだねてはいけないものだ!


「そうか。雨降りなんぞではよく分からんが、お前がそう言うということは素晴らしい力なのだろうな、オラフよ」

 オルテンは再び晴れ始めた空を眺めて言った。


「そのようですな。セリナは結界術の達人ですが、水霊の術にさほど長けているわけではございません。それが通常大規模な儀式を伴って行われる雨乞いの術をいともたやすく行ったとなれば、素晴らしい術の増幅能力を持っていると言えるでしょう」


「こんな力欲しがって、何するつもり!」


 シノはゴドーの手を振り払い、部屋の隅へと飛び退った。

 腰の帯飾りを抜き、鋭くとがった先端を自らの首筋に突きつける。


「返答次第によっては、このまま喉を突いて命を絶つわ。それでこの力が、あんたたちに渡らないで済むのなら!」


 シノは左手を無手のままに前に構え、右手で串を首筋に押し当てている。


「シノ!」

「動かないで!」


 シノの首筋からひたりと赤い血が滴り、ゴドーは進めかけた足をぴたりと止めた。


 シノは強い目で周囲を見渡しながらも、自分の心臓が激しく鼓動するのを感じていた。


――怖い。……怖い!


 死ぬのが、怖い。


 このままじゃ自分の運命にイヅルを巻き込んで、イヅルを不幸にしてしまうと思った。

 だから全部一人でやろうと決めた。


 失敗したって自分一人の命だ。

 大切な人を巻き込むくらいなら、一人で死ねばいい。

 

 そう決めてここまで来たのに、今更怯えている自分に苦笑いする余裕もなかった。


 勝算はあった。


 アマミヤには師匠が捕らわれている。

 であれば、隙を見つけて師匠を解放すればいい。そうすれば、あとは師匠がなんとでもしてくれる。

 すぐには叶わないかもしれないが、一度や二度は利用させてやればいい。

 利用価値がある限り、殺されることはないだろう。


 そう考えていたのだが、甘かったことに気が付いた。

 イツツバの力はシノの想像以上だった。


 セリナが軽く使っただけで天候を変えられるほどの力だ。

 使いようによっては、多くの人を不幸にすることになる。


 国家などに持たせれば、戦争の道具と使われ、シノはこれからどれほどの人を殺すことになるか分からない。


 一度や二度なら仕方ない、なんて言っていられなかった。

 例えばこの王都を全て焼き払うことになれば、一体何千、何万の人々を殺すことになるのだろう。


「よい、下がれ」


 凍り付いた室内の中で、オルテンが無造作に手を振った。

 そしてゆっくりと両手を広げてシノへと近づいていく。


「止まって。止まらないなら、本当に死ぬわよ!」


 いざとなった時、本当に自分がこれ以上自分に切っ先を沈み込ませられるのか、シノにそんな自信はなかった。


 覚悟はしていたつもりだった。

 でもそんなのはただの自己満足で、いざとなると崩れて消える程度のものでしかなかった。


「そう怯えることはない。お前の問いに答えようというだけだ」

 オルテンはシノの怯えを看破して笑った。


「何をするつもり……、か。平和を為すのだと言えば、信じるのか?」


「……なんですって?」


 思いがけない言葉に、シノは少し毒気を抜かれた気分で聞き返した。

 もしかしたらここで死ぬ必要はないのかもしれないと、張り詰めていた心を少し緩まされてしまったことは事実だ。

 それを見て取り、オルテンは内心に笑みを浮かべた。


「この国が何十年も前から周辺各国との争乱の渦中にあるのは知っているか。

 フミル側から手出しをしたこともあるし、手出しをされたこともある。どちらが悪い、などというつもりはない。

 戦いはお国柄というやつだ。


 だが、この国は戦線を広げ過ぎた。

 東も西も国境地帯での小競り合いは絶えず、同盟者たる南方のシュエンも、隙あらば我が領土を踏みにじるは必定。


 俺はこの争いに幕を引きたいのだ。

 俺はウアリアとの和平を結ぶため、イツツバの力を欲した」


「和平なんてそんなの、勝手に結べばいいじゃない。そこにイツツバの力なんて必要ないはずよ!」


「それは違う。

 力なき和平など、本質を辿ってみれば敗北でしかない。それは敵国を調子づかせ、次なる侵攻の理由を与えることになる。

 俺が欲しいのはそのような見せかけだけの平和ではない。


 俺は、イツツバの力を用いて国境を侵すウアリアの兵どもを蹂躙するつもりだ。

 そして思い知らせる。

 次期フミル王となる男に逆らうなど愚の骨頂であると。

 その上で結ぶからこその、和平なのだ」


 オルテンの言葉は、あまりにも傲慢でエゴイスティックなものだった。

 だがその中には、一定の真実もあるように思われた。


 だからシノも何を言い返すべきか言い淀み、思考する間に僅かな隙が生まれた。


 オルテンが剣を抜いたのは一瞬のことだった。

 剣尖は閃き、一直線にシノの首許へ迫る。


 気迫の籠った一撃だった。

 シノはその剣を咄嗟に左手の串で受けた。


 受けさせられてしまった。


 受けつつ左に跳んで衝撃を殺したシノは、待ち構えていたゴドーに受け止められ、羽交い絞めに取り押さえられた。


「なにすんのよ、離しなさい!」


 シノは暴れるが、ゴドーの鍛えられた身体はびくりともしない。

 ゴドーは静かに言った。


「俺の長男はな、ウアリアとの国境の砦にいる。侵攻の際に盾となるべき砦だ。

 可愛い奴でな、一時期は俺に反抗的だったものだが、今じゃ男同士、対等に酒が飲める仲だ」


「……それが、どうしたって言うのよ!」


「父親ってのは難儀なものだ。どんなことをしでかしたって、失いたくないと思ってしまう。


 オルテン様の計画が成功し、ウアリアとの和平が成れば、砦の生活ものんびりしたものになるだろう。

 いつ失うかと怯えて過ごさねばならない日々は終わるんだ。


 確かにその力は人を殺すことに使われるだろう。だが、それで守られる者も大勢いるのだ」


 頼む、とゴドーが背後で首を垂れたのが分かった。


「ほう、俺の剣を受けるとは。女のくせになかなかやる」

「ふん。あんたの腕がなまくらなんじゃないの?」


 シノの言葉に、オルテンは薄く獰猛な笑みを浮かべた。

 大股でシノに歩み寄り、強引に口元を掴んで顔を上げさせる。


「よく見ると中々見られる顔をしているじゃないか。着飾り、作法を身につければ田舎臭さも抜けるだろう」

「あらそう、どうも。お褒めにあずかり光栄ですわ!」


 首を振って手を払ったシノは、オルテンに敵意の籠った視線を向ける。

 対するオルテンの目は、これまでの冷笑的なものではなくなっていた。


「お前、俺とつがえ」


「……は?」


「俺の妻となれと言っている。もっとも、すでに俺には三人の妻がいるから、四番目ということになるが」


 シノの頭が一瞬、真っ白になった。


 は……。

 え、妻?


 シノが言葉を失っている間にも、オラフと呼ばれていた老人が血相を変えて飛びだした。


「いけません、このようなどこの血筋とも分からぬ娘を迎えるなど!」


「うるさいな、そのように喚かずとも聞こえる」

「この者はあのツチミヤの弟子という情報もあります。寝所で寝首をかかれますぞ!」


「寝首を掻かれれば、それまでの男であったということだ。


 しかし稀有だぞ。この俺にひざまずかぬ度胸、楯突こうという気概、己を盾とする気の強さ。武術も使えるようだし、顔もそこそこだ。


 俺はこの娘が気に入ったのだ。


 それに我が妻として迎えれば、この娘は裏切ることなく我が国の為に働いてくれるだろう。

 なにしろ次期国王の妻だ。第四夫人とは言え、そこらの金持ち程度には望むことも叶わぬ生活を約束しよう。

 イツツバの巫女などと言われ、アマミヤで肩身の狭い思いをして暮らすよりよほどいいだろう」


 どうだ、と見つめられるが、シノは予想外の展開に頭が追いついていかない。


「えっ……。いや。わたしにはもう……」


「なんだ、男がいるのか」

「いや、男っていうか。好きって、言ってくれる人がいて……」


「誰だ」

「イヅ……」


 問われるままに口走ってしまってから、シノは慌てて口をつぐんだ。

 何を言っているんだ、わたしは。イヅルを巻き込まないために一人でここに来たのに!


「そうか、イヅルだな」

 分かるか、とオルテンに問われ、セリナがため息交じりに答えた。


「はい。この者の弟子でございます。ベフアトの町で別れるまで同行しておりました」


「しかし、もはやその者との関係は途切れております。別れ際にこっ酷く振っておりましたので」


 ゴドーが素早く付け加えた。

 シノは羽交い絞めにされながらも思わず心の中で感謝する。


 そんなにこっ酷かったかなぁ。

 まあ、そうか。

 うん……。


 オルテンはかかと笑った。


「そうか、こっ酷くな。

 だが、この娘は未だその男が忘れられぬようだ」


 そして次の言葉に、シノは心臓が凍り付くような心地がした。


「よし、その者を俺の前に連れて来い。目の前で叩きのめしてくれれば、心変わりもしようものだ」


「……っ、止めて!」


 シノは口を真一文字に結び、そんなことをすれば許さないとオルテンを強く睨みつけた。

 しかしオルテンは、そんなシノを見てますます愉快そうに笑うだけだった。


「なるほど、よほど大切な者らしい。人質としても適任のようだ。

 以後、自死を図ることを禁ずるぞ。もしもお前がこの命令に背くなら、お前の男を草の根を分けても探し出し、我が国に伝わる最も残虐な方法でいたぶり殺してやる」

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