第68話 シノ・ツチミヤの護送
~前回までのあらすじ~
シノ様に捨てられた。
もう、いい。
全部、どうでもいい。
なに拗ねてんのよ。
分かったわ。それならしばらく、わたしが話すから。
***
車輪は回る。
ガルゴロと音を響かせて、時折ガタリと揺れながらゆっくりと進んでいく。
シノ・ツチミヤがぼんやりと見るともなしに眺めている馬車の車窓からは、のどかな田園風景が流れていくのが見えている。
氷水と寒風の支配するシュベットでは見られない光景だ。
田は今や黄金色に染まり、その奥に白い雪冠をいただいて見えているのは天外山脈の荘厳な峰々だった。
おそらくイヅルがいれば、その景色を見てシノに、綺麗ですねっ、と無邪気な笑みを向けてくれていたことだろう。
――いや、どうかな。あの子、かなり現金なとこあったから。
シノは眼裏に浮かんだ笑顔を自嘲的な笑みで散らして首を振った。
――あの子はいない。わたしが振り払った。だから、わたし一人で頑張らなくちゃ。
「あまり悲観しないでくださいな」
沈んだ表情のシノには似合わないからりとした声がかかる。セリナだ。
「無理な話ね」
「まあ、そうでしょうけど……。でもわたしもゴドーも、できる限りフォローするつもりですから」
シノの前には一組の男女がいた。
セリナとゴドーだ。
二人は、シノと長らく旅をしたということで監視役兼話し相手として馬車に同乗している。
「それなら今すぐここからわたしを出して。
それで、どこか誰もがわたしのことを放っておいてくれる場所まで連れてって!」
「それは……、できませんけど」
困った顔をしたセリナに、シノはそら見たことかとばかりに笑った。
「ほらね。口先だけの同情なんていらないわ。何もしてくれないならわたしを一人にしておいてくれる?」
シノが拗ねた様子でぷいと足を組むと、セリナもゴドーも顔を見合わせた。
そしてセリナは小さく笑う。
「急に子どもっぽいんですね」
「どうとでも言いなさい。わたし、まだ子どもだもの」
シノは、大人ぶってただけで、と言おうとして止めた。
流石にちょっと、自分がみじめになり過ぎると思ったからだ。
「イヅルさんの前だから気を張っていただけ、と」
けれどセリナにそうしてすぐに言い当てられ、シノは思わず口をひん曲げた。
「……良かったのか、あんなことを言って」
ゴドーさんの言葉に、シノは胸の底を抉られるような心地がした。
思わず組んだ足で蹴りつけようとしたけれど、途中で止められて、放してよ、と睨みつける。
イヅルたちと別れてからもう一日が経っていた。
あの後すぐにゴドーたちの手配した馬車で町を出て、今は周囲を複数の護衛に守られながら馬車の旅を続けている。
王都までは残り三日程度の距離だそうだ。
シノの胸の奥には、シノが振り払ったイヅルの、ふっつりと闇に沈み込んだような目の色がこびりついて離れなかった。
別れる間際、最後にイヅルが何かしようとしたのが分かったので、とっさにアズマに頼んで昏倒させてもらったけれど……。
あの違和感。
何かシノの中からイヅルの中に何かが流れていく感じ。
背筋が冷えるような圧力。
――もしかしたら、あれがイツツバの力? だとしたら、思ったよりもとんでもないものなんじゃ……。
とにかく、今回は大事に至らなかった。
イヅルがシノに対していつも一生懸命で真剣なことはシノも重々承知だった。
承知の上で、傷つけて、引き離そうとしたのはシノも考えあってのことだったが、流石に別れ際に殴って気絶させることになるのは想定外だった。
気づいた時に自分がいなくてイヅルがどれだけ傷ついただろうと考えるとずんと心に重しを背負ったような気分になったが、既にシノとイヅルの運命は分かたれた。
心配ではあったけれど、あとは残ったイチセとアズマが慰めてくれるだろうと期待するほかない。
――いや。わたしに心配する資格なんてないか。
「今のはゴドー、あなたのデリカシーが無さすぎましたよ」
「ん。ああ、すまん。悪かったな」
ゴドーがセリナに睨まれて頭を下げた。
「……ふん」
シノは足を組みなおして馬車の壁を睨みつけた。
謝られて、どういう反応をしていいか分からなかったのだ。
そんな謝罪よりもむしろ、それが虜囚の身の態度か、とか言って乱暴にされた方が、今のシノには、いくらかの慰めになったに違いない。
後悔とか、不安とか、心細さなんかがぐるぐるとシノの中を回って落ち着かなかった。
ただ馬車に揺られてゴドーとセリナに当り散らすだけじゃ、そういった薄暗い心持ちは紛らすことができなかった。
フミル王国王都マオカンは三百年の歴史を持つ古都だ。
北にジパ、南東にスリャーク、南西にバスマールと三つの山に囲まれた盆地の中心部分には古寂びた石造りの建物が立ち並び、それらの建物が身を退くようにしてできた広い空白には、壁の白さが際立つ立派な王宮が建っていた。
「今、この国は不安定な状態にある。現王サミスが、老齢により王位を三人の息子のうち一人に渡すと宣言したためだ」
シノが大通りの往来をぼうっと眺めていると、ゴドーが静かに語りだした。
「第一王子マフス、第二王子ジーラ、第三王子オルテン。
現在王位継承権のあるこの三人の王子の中で、最も有力と言われるのがオルテン王子だ。
若くして東のウアリアとの争乱に勝利をもたらした英雄で、現在の役職は東方軍務司。呪術兵の育成にも積極的だ」
「その方に、これから謁見することになりました」
セリナが言った。
「ふうん。そいつ、わたしになんか関係あるの?」
「オルテン王子はアマミヤ家の協力者なんですよ。イツツバをなんとしても探し出すよう命じられたのもこのお方です」
「そう。元凶ってことね」
シノがふんと鼻で笑うと、ゴドーが小さくため息を吐いた。
「頼むから、御前ではそういう口利きは控えてくれ。なるべく不快な目にあわないようにするというのも賢さだぞ」
「不快の方からやって来る時にはどうしたらいいの?」
「……避けようがない時には、目をつむって過ぎ去るのを待て」
「……は~い」
馬車から降りると、そこは王宮の門前だった。
門をくぐれば庭が広がり、シノは庭の奥の王宮ではなく、すぐに曲がって敷地の隅にある木造の建物の中に通された。
外側は質素に見えるがところどころに凝った意匠の彫刻がほどこされ、床は組木細工となっている。
窓にはガラスが嵌め込まれ、明かりが灯されているわけでもないのに室内でも明るかった。
前室で武装解除させられ、大きな机が一つ置いてあるばかりの部屋に通された。
「ここで待ってろってこと?」
「そのようですね」
シノは近くの椅子にどかりと座り、おそらく王子が現れるのであろう奥の扉をじっと睨みつけた。
しかし、来ない。
「ちょっと、いつまで待たせる気?」
「王子様ですからね。お忙しいのですよ」
セリナは苛々と問うたシノを宥めるように言った。
オルテン王子が現れたのは、ほとんど真上にあった太陽が、西の方の空に見えるようになってからだった。
扉の奥から忙しい足音が聞こえてきたかと思うと、いささか乱暴な音を立てて扉は開いた。
「フミル王国第三王子オルテン・バルガス・フミルである」
そう名乗った男は鍛えられた肉体を持つ中年の男だった。
短く刈り上げられた髪は黒く、肌は精悍に、褐色に焼けている。
その堂々たる姿には、なるほどこれが次期王となる者かと思わせるどこか威厳のようなものがあった。
オルテンはシノにこう言い放った。
「お前、俺とつがえ」
つが……?
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