第67話 さよなら


~前回までのあらすじ~

 フミルの町に着いたボクらは、久しぶりのまともな食事にありついた。うまい、うまい、どれもうまい!

 けれどアズマは一行から抜けるって言いだすし、ゴドーさんが現れて一緒に来いと言い出すし……。

 まったく、食事を騒がすなんて野暮な奴らだぜ!


 ***


「ここに来たのは俺を含めて四人だが、この店の周囲をさらに倍の人数が囲んでる。当然呪術師もいて、術封じの結界も用意してある。逃げられるとは思わない方がいい」


「あなた方を人質に脱出してもいいんですよ?」

 イチセが挑発的に言った。


 少し、背中に感じる圧力が強くなった気がする。

 ゴドーさんは苦笑いした。


「もちろん、君の戦闘力の高さは分かっている。そして俺たちは対呪術師戦のプロだ。普段なら、君みたいな術師に対して馬鹿正直に正面から相対しようとは思わない」

「誠意を見せている、とでも言いたげですね」


「そのつもりだ。寝込みを襲ってシノ以外を殺して奪っても良かったんだ。

 それに、なめてもらっちゃ困る。俺たちはアマミヤ家の誇る黒槍の武人。そう簡単にどうにかできるなどとは思わないことだ」


「そうですか。その割には、誰も槍なんて持っていませんね」

 イチセが雰囲気を緩めて笑うと、ゴドーさんはふっと手を開いて見せた。


「こんな狭いところで槍を振り回すほど素人じゃない」

「なるほど、納得しました」


 ゴドーさんはアズマに視線を遣った。


「アズマはこれからどうする。行く当てはあるのか?」

「いいや。おっさんも知っての通り、俺の雇い主はシノだ。こいつを連れてかれると食いっぱぐれちまう」


「良ければ一緒に来ないか。お前はまだ若いし、筋がいい。いい師について研鑽を積めば、俺よりもいい黒槍の武人になれる」

 アズマは驚いたように眉を持ち上げてからにっと笑った。


「そいつは、悪い話じゃねぇな。金は」

「そこらの傭兵になるよりはよほどいい」

「なるほど、願ったり叶ったりってやつかな」


「アズマ!」

 ボクは思わずアズマのへらへらした顔を睨みつけた。


 マジか。

 アズマが敵に回る……?


 ゴドーさんが今度はボクに視線を向けた。


「イヅルもだ。

 お前の呪術師としての才は稀有だ。セリナが言うんだから間違いない。

 まだ粗はあるが、アマミヤに来ればいっぱし以上の術師になれるだろう。シノと一緒に、というわけにはいかないが、お前の頑張り次第ではいずれ護衛を任されるまでになるかもしれん。

 奴隷の呪印も綺麗に消してやろう」


「わたしに勧誘はなしですか?」

 イチセが言うと、ゴドーさんはまた苦笑いを浮かべた。


「お前を招き入れるのは少々怖いな、厄災の弟子よ。

 我らにあだなすつもりがないと言うのならぜひ勧誘させてもらいたいところだが、今更アマミヤに宗旨替えするつもりはないだろう?」


 当然です、とイチセはすまし顔で頷いた。


「イヅルもアズマも、断った方がいいですよ。都合のいいことばかり言っていますが、この国は南も東も物騒なんです。アマミヤは王家に保護を受けており、戦場にも術師を多く派遣している。前線に送られて死にたくなければ、関わらないことですね」


 戦場。

 シュベットは天外山脈に守られた要害の地だ。寒く、土地は痩せて他国から見れば旨味の無い土地。貧しく生活は厳しいが、だからこそ他国からの侵略を免れている国だった。

 そんな国に生まれたボクにしてみれば、現実味の少ない言葉だ。


「まあ、それは否定できんな。

 だが、アズマは元々傭兵だろう。戦いが本職のはずだ。

 イヅルに関して言えば、うちも優秀な呪術師をあっさりと死地へ送るほど人材が潤沢というわけじゃない。戦場に送られることはあるかもしれないが、配属は後衛で、命の危険は少ないさ。手柄を立てれば、希望も受け入れられやすくなるしな。悪いことばかりじゃない」


「待ちなさい」

 しばらく黙っていたシノ様が口を開いた。


「イヅルは今、関係ないでしょう。それよりもわたしの話よ。大人しくついて行った場合、わたしはどうなるの?」


「想像はついてるんだろう?」

「……まあね」

 シノ様は微かに頬を歪めるように笑った。


 シノ様はイツツバの巫女だ。


 そのイツツバってのがどれだけすごい呪物なのかは分からないが、こうしてわざわざ交渉まで仕掛けてきているんだ、ツチミヤのように殺すとか物騒なことは言い出すまい。


 その意味ではツチミヤよりマシに思えるけど、マシなだけだ。

 利用されるだけ利用されて、あとはどうなるか分からない。


 アスミがどんな扱いを受けていたのか分からない。

 でもイザナは少なくともアスミを助けようとした。

 イザナは、アスミを助けなくちゃいけない状況だと判断したんだ。


 そんな状況にシノ様を置くなんて、決して許せることじゃない。


 イチセはやれると言った。

 きっとシノ様が一言号令を下せば、ここにいる四人、全員が串刺しになるだろう。

 その時にもしかしたら、誰かが刺されたりするかもしれないが。


 ボクには何ができる?

 この場の霊力はイチセが支配している。ということは、ボクは大した術を使えない状況だ。術の使えないボクなんて、足手まとい以外の何物でもない。


 なんにもできやしない。


 でも、やる。

 すぐに切り伏せられるだけかもしれない。無駄死にになるかもしれない。

 けど、ボクはそれがシノ様の為になるのなら、ただ憐れにむしゃぶりつくだけでも、縋り付いて懇願するだけだって、やってやる。




「行くわ」


 しばらく瞑目して考えていたシノ様の唇から、そんな言葉が零れ落ちた。

 ボクはその言葉の意味が一瞬分からなくて、思考が停止した。


「わたし、アマミヤに行くわ」


「そうか、その言葉を聞いて安心した」

 ゴドーさんがほっと息を吐いて笑った。


「あなたの言う誠意とやらをここは信じましょう。わたしはあなたたちにつく。もちろん、この子たちに手出しは無用よ」

「ああ、当然だ」


 ちょっと、どうしてそんな話になっているのか分からない。

 アズマもイチセも、止めてよ!


「まっ……、待ってください。どうしてこの人たちのことを信じられるっていうんですか。シノ様は、一度裏切られているんですよ!」


「……そうね」


 そうねって……。


「そうだ。ボクらのことを心配してくれてるんですよね。大丈夫です。いつもみたいにみんなで協力して切り抜ければいいじゃないですか!」


「イヅル、あんた……。大丈夫なんて、何の根拠があって言ってるの?」

 シノ様の冷たい視線でボクは口をつぐんだ。


「そうやって軽々しく言うけどね、その言葉にアズマとイチセ、あんただけじゃない二人分の命も乗っかってるって、本当に分かって言ってる?

 そりゃあアズマは強いわよ。イチセも強い。でもあんたは?

 あんたもそりゃあ、大きな術を使うことにかけては多分才能は群を抜いてるわ。けどね、目の前に武器を持った相手に何ができるの?

 他人に頼ってばかりのくせに、そうやって考えなしに言わないで。振り回される方はたまったもんじゃないわ」


 ボクは唇を噛んだ。

 正論だ。何も言い返せない。

 みんなで協力してって、誰かが切り伏せられるかもしれないのに、どうしてそんなリスクを負わせられるんだ。


「あんたっていつもそう。適当に理想論並べて、自分じゃできもしないこと並べて」

 シノ様は顔を俯けたボクに辛らつに言った。


「ゴドーさんとセリナさんが内通者だって言った時も、あんただけ違うって、そうじゃないって言い張ったわね。


 信じたいのはわたしも一緒だった。

 それでも、その可能性があるなら回避すべきだと思って引き離した。

 進路を変えた。


 なのにどうして、あんたに非難がましい目で見られなくちゃならないの。

 あんたはわたしの味方なんじゃなかったの。


 自分だけ、綺麗ぶらないでよ!」


 シノ様は真っすぐにボクを睨みつけている。

 その瞳はきらきらと怒りの炎をたたえて煌めき、綺麗だなぁとボクは場違いに思う。


「あんた、初めは可愛かったのにね。

 でもちょっと、疲れちゃったわ。

 シノ様、シノ様ってまとわりついて、めんどくさい、うるさい、暑苦しい。


 だいたい気持ち悪いのよ。


 どうしてこそこそわたしの裸見て鼻息荒くしてんの。わたしがほしいならほしいって堂々とそう言いなさい。 

 奴隷の分際でご主人様のご寵愛が欲しいですって、そう正直に言えばまた元の店に売り飛ばしてやったのに。


 でももういいわ。

 アマミヤに行けばきっと何不自由ない暮らしをさせてもらえるだろうし、あんたみたいな奴隷、自由にしてあげるからどこへなりとも行ってしまいなさい。


 わたしはアマミヤにつく。

 アマミヤに行けばいいように使われるだろうけど、利用価値のある内は安全よ。あんたみたいなのの面倒を見ながら一生こそこそ何かに怯えて過ごすより、よっぽどマシ」


 聞き慣れたシノ様の声、いつもボクを気遣って、優しく包み込んでくれいたその声が、今はその一つ一つが胸に突き刺さる。


 あれ、これ、夢……?

 シノ様、冗談ですよね……?


 呼吸が乱れる。なんだろう、目の前が眩んでいる。

 もう何も、考えられない……。


 シノ様は冷たくボクから視線を外した。


「ゴドーさん、わたしがアマミヤに行くのはイヅルから離れたいって気持ちも込みでのことです。イヅルを連れていくことは許しません」


「ああ……、分かった」


「それから、しばらく生活できるだけのお金をみんなに渡して。盗賊どもにやるはずだったお金が浮いてるはずでしょ」

「ああ、そうだな。……そうだった」


「お姉ちゃんが行くなら、わたしも行こうかな」

 イチセが言った。

 シノ様の視線を受けて、ゴドーさんが首を横に振った。


「悪いが、ミドウ・ツチミヤの弟子は受け入れられない」

「お姉ちゃんはいいの?」

「シノは仕方がないからな」


「ふーん。怖いんだ」

 イチセはくすっとほほ笑んだ。

 ゴドーさんも微笑み返す。


「ああ。ツチミヤはアマミヤに害為す者だと、少なくとも宗家の方々はそう考えておられる。この国ではあまり、ツチミヤの名を出さない方がいい」

「お父さんを人質に取ればいいだけなのに。もう捕まえてるんでしょ?」


 言われてゴドーさんはいぶかしげな表情をしたが、すぐに別の男がゴドーさんの耳に何かささやく。

 ゴドーさんはきらりと目を光らせてイチセを睨んだ。


「誰から聞いた?」

「独自の情報網ってやつよ。まさかわたしがあんたたちに手の内を全部見せてるわけないでしょう?」


 ふんとイチセは睨み返した。

 二人はしばらく睨み合っていたが、やがてゴドーさんはゆっくりと立ち上がった。


「まあ、いい。今君に手を出すと、シノが考えを変えそうだからな」


「当り前よ。例えばわたしがその剣で自分の喉を引き裂きでもしたら、あんたの任務は失敗になる。だから苦労してここまで泳がせたんでしょう。

 今までの苦労を水の泡にしたくなければ、ここにいる誰にも手を出さないことね」


「……そうしよう」


 シノ様はそれを聞いて立ち上がった。

「アズマ、イチセ。世話になったわね。イヅルも、もう会うことはないでしょう。……さようならよ」


 ボクは気付くと、シノ様の手を掴んでいた。


「……放しなさい」

「…………」


「放してって、言ってるでしょ」

「……嫌だ。嫌なんです。シノ様にとってご迷惑だったかもわかりません。でもボクは……」


「そうやっていつまでもしつこいから嫌われるんじゃない」

 シノ様のため息交じりの言葉に、何かが打ち砕かれるみたいな音がした。


 胸の奥に冷たく黒い靄のようなものが沈んでいくような心地がして、それは奥底まで行き付くと、ひらりと白刃の閃くような気配に変わった。


 それは怒りだった。


 それはたぶん、ボクが初めて感じたシノ様への憎悪だった。

 ボクのわがままで自分勝手で、向こう見ずな子どものかんしゃくだった。


 ボクのシノ様への敬愛とか、感謝とか、恋慕とか、そういう感情はその時、全くひっくり返っていた。


 知らずボクの内側には、波のように霊力が満ちていた。


 それはガラウイの霊脈と繋がった時のような圧倒的な気配ではあったが、穏やかな凪のように静かだった。

 しかしひとたびボクが命じれば、決壊した河のようにあらゆるものを薙ぎ払い、犯しつくす破壊の力だった。


 もういいや、とボクは思った。

 全部、壊れてしまえ。


「アズマ!」

 シノ様が叫ぶ声を聞いたのを最後に、ボクの意識はふつりと途切れた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る