第54話 帯飾り
~前回までのあらすじ~
ボクらはベング谷からパーリ谷を目指し、道なき道を歩いている。
シノ様によると、ゴドーさんとセリナさんはアマミヤの追っ手らしい。ボクらがトモン峠を越えようとしているという情報は既にアマミヤ家に伝わっている。シノ様は待ち伏せを回避するために二人と別れ、別のルートでフミルへと入ることにしたのだ。
その道中、ボクはシノ様に詰め寄られた。あっ、あれ。内通者だって、疑われてる?
***
血相を変えてボクに詰め寄ったシノ様は、ボクの腰元をまさぐって何か抜き取った。
シノ様の手の中でちゃりと微かな金属音を響かせたのは、別れ際にセリナさんから受け取った帯飾りだった。
「これ、どこで手に入れたの」
「あ、あの。さっき、セリナさんから……」
ボクがシノ様の剣幕に圧されてしどろもどろに答えると、シノ様は難しい顔をして帯飾りを睨みつけた。
「う~ん、変な呪具ではなさそうだけど……。でも念は籠ってるか、意図的なものか分からないけど。でも、一応……」
ぶつぶつと言っていたと思ったら、急に矛先がボクに向いた。
「なにボケっとしてんのよ!」
怒られた。
さっきまでの話、ちゃんと聞いてたの、とか、言われたことだけじゃなくて自分の頭で考えて行動しなさい、だとか。
帯飾りは没収。
他に何か受け取ったものがないかとか問い詰められて、最後にため息を吐かれた。
「呪術師の中には、念を込めたものの位置を把握できる奴もいるわ。わたしもできるし、セリナさんも、ゴドーさんと組んでるとこから考えて、そういう小技が得意な術師でしょうね。
もし二人が内通者だったなら、わたしたちがすぐに小屋を出たことも筒抜けでしょう。折角、気づいてるって警戒されないように自然に別れたつもりだったのに。
早いうちに見つけられたのは不幸中の幸いね。パーリ谷に向かってることがばれてたら、今度こそ不意打ちされてたかもしれない。
いずれにせよ、イヅル。あんたのやることなすこと全部にわたしが気を配ってあげることなんてできないの。言われたことだけやるんじゃなくて、きちんと自分の頭で考えて行動しなさい」
「はい……」
ボクは叱られてしゅんと首をすくめた。
だって、だって……。
ボクはまだ、セリナさんがボクらをおとしいれるために行動していたなんて信じてないし……。
涙目になりながら項垂れているボクの前に、シノ様はおもむろに自分の帯飾りの一本を差し出した。
「あげるわ」
「え」
「さっきのを取り上げた代わりよ。考えてみれば、あんたにはこういうものを一つもあげてなかったわね。セリナさんからもらったのがいいかもしれないけど、これで我慢しなさい」
それはセリナさんからもらったものより一回り大きな帯飾りだった。
両刃のナイフみたいに尖った銀色の串の後ろには細かな鎖が二重になって、そこに緑色の玉石が通されている。
別に、折角もらったアクセサリーを取り上げられてへこんでいたわけじゃないんだけど、それはそれとして、シノ様の帯飾り……。
「綺麗……」
「でしょう。昔、カルガリの東を旅していた頃に師匠に買ってもらったの」
シノ様は自慢げだ。
「でも、それだったら大切なものでしょう」
「そうよ。邪険に扱ったら怒るからね」
シノ様は怖い顔をして見せた。
ミドウさんの名前を聞きつけてイチセがボクの手元を覗き込んだ。
「お父さんに買ってもらったんですか。いいな、いいなーっ」
「なに、イチセにはこういうの、買ってくれなかったの?」
するとイチセは得意げに左手を掲げて見せた。その中指には幾何学模様の入った指輪が金色に光っている。
「フミルの南を歩き回っている頃、市場で見つけたんです。わたしは買ってもらうつもりなんてなかったんだけど、お父さん、わたしが見ているのに気づいてこっそり買っていてくれたみたいで。
後になってから急に、いつも頑張ってるから、とか理由をつけてわたしの指にはめてくれました。
わたしは薬指にはめてもらいたかったんですけどね。それはまだ早いよ、とかってはぐらかして。ふふっ、ちょっと困った顔で、可愛かったなぁ……」
イチセは聞いてもいないことまでにやけながら教えてくれた。
どうやらミドウさんは、意外とマメに女の子に贈り物とかする奴らしい。
そんなイメージなかった。
ボクにとってはただのふざけたおじさんなのだけど、どうもシノ様とイチセの認識とかみ合わない。
「へぇ、いいなぁ。わたしも指輪とか、ねだればよかったかな」
シノ様が羨ましそうにイチセの指輪を眺めている。
その様子を見ていると、つい胸の内に黒いものが立ち込めてきた。
……ちっ、小さい女の子を育てるのが趣味の変態が。
あっ。いけない、いけない!
つい妬み嫉みが出てきてしまった。
ボクはたった今、シノ様の大切なものをもらったばっかりじゃないか。
シノ様が指輪を欲しがるなら、いつかボクからプレゼントしてあげればいいんだ。
うん、今はシノ様の欲しいものが分かったということでよしとしておこう。
「ありがとうございます、シノ様。大切にします」
ボクが頭を下げると、うん、とシノ様は頷いて帯飾りを差してくれた。
銀色の鎖と深い色の緑の石が帯にぶら下がって可愛い。
我ながら現金だなぁと思いつつも、叱られてへこんだ気持ちは既に薄れてしまっている。
まあ、いいじゃないか。
早めに気づいて対処できたのだから、結果オーライだ。
ボクが身体を揺すぶったりして石が揺れ動くのを見て喜んでいると、シノ様が思いついたように言った。
「あ。その帯飾りね、先の方は切れるようになってるから、取り回しには気を付けてね。うっかり怪我したりしないように」
「え、なんでそんなことになってるんですか?」
「護身用ね。普通にものを切るのにも使えるけど、男に襲われた時とか、丸腰だと思って油断してる奴の腹にざくっと突き立ててやりなさい。
あ、安心して。紙を切ったことくらいはあるけど、その用途には未使用だから」
シノ様はぱちりとウインクしてみせた。
うわぁ。すごく頼もしい。
丈の低い草の生い茂っていた緑色の地面は、急斜面をつづら折りにゆっくりと登っていくうちに次第に石の灰色に染まっていった。
地面に転がっている石は不安定で、ごつごつとして尖っている。
下手なところを踏むとバランスを崩しそうだし、そうでなくとも時々転げて落石になってしまう。ただ進むだけでいいのじゃなく、足運びにも注意を払わなければならない。
そんな場所を登って、下りて、北側に戻ったり南下をしたりを繰り返すうち、次第に遠くに見える背の高い山の景色も変わっていった。
灰色だった視界が白く染まったのは、ベング谷の小屋を出発してから五日後のことだった。
雪だ。
おそらく数日中に薄く降り積もり、それが溶け残って石の上に凍り付いているのだろう。
空気は一段と冷たくなり、昼間でも肌の露出した部分がぴんと引き締まる感じがした。
どうやら気づかないうちに相当標高があがっているようだ。
それに、天外山脈中軸、人の立ち入ることができない白銀の神霊たちの世界へと近づいている。
重い荷を背負って追いついてきたアズマが、ふぅ、とボクの隣で息を吐いた。
「随分登ってきたな。マーディーシャの雪原ってのは、この上だな」
「そのはずよ。ちょうど晴れてるし、この天気が続く間に峠を越えたいところね」
シノ様が頷く。
山の傾斜の緩そうなところを選んで遠回りしながらとぼとぼと登っていくと、日の傾く前に稜線に出た。
そこで眼下に広がった景色にボクは思わず息を呑んだ。
「すごい……」
イチセが隣で呟くのが聞こえた。
周囲が一段と明るくなったような気がした。
そこにはずっと向こうの山壁まで続いている広い雪棚があった。
ところどころでひび割れて土に汚れているが、日の光を浴びて白く輝き、見つめていると目が眩んでしまいそうだ。
「これが、マーディーシャの雪原ですか」
イチセは不安そうにリタの首に手を遣った。
果たしてこの雪原をリタが越えられるのか。雪に足が埋まって動けなくなる未来しか見えない。
「わたしたちが立っているのが、シュンケル山の東の稜線から続く雪原の東の端。目指す必要があるのは、あそこ。シュンケル山の西の稜線と、ペネペネスディ山の東の稜線が交わる場所あの辺りを目指して歩いて行けば、山脈の南側に出られるはずよ」
シノ様が指を差したのは雪原の遥か向こう側だ。
「ここを抜けても、フミル側はいつも雪が降っている上に急な下りが続くらしいわ。なるべく一日で、雪のない場所まで下りたいところね」
そうなるとかなりの強行軍になるはずだ。
でもシノ様は病み上がりでここまで道なき道を歩いて来た。体力がもつのかが心配だ。
「雪原の途中で一泊するわけにはいかないんでしょうか」
「そりゃあ、やむを得なければそういうことになるかもしれないけどね」
シノ様は苦笑いした。
わたしは御免よ、とでも言いたげな顔だった。
もちろんボクだっていつ雪崩に襲われるともしれない場所で一晩も過ごしたくない。
こんなに霊力の強い場所じゃあ強力な妖魔が現れてもおかしくないし、何もなくても凍死してしまいそうだ。
雪原の端の雪の上に乗ってみると、雪は案外しっかりと足を支えてくれた。
新しい雪は溶けるか崩れるかして消えているようだ。ほとんど足が沈み込むことはない。雪原の表面は凍り付いて、踏みしめるとがりがりと氷の砕ける音がした。
雪原は緩やかな斜面だし、さっきまで歩いてきたごつごつした不安定な石が転がる斜面よりよほど歩きやすい。
「あっ。これなら、大丈夫そうですね!」
イチセはリタを連れて雪原を歩き、ぱっと明るい顔をした。
それからちょっと楽しそうに、リタを連れてその辺を興味深そうに歩き回る。
流石、子どもは元気だなぁ。
その様子を眺めつつ、シノ様とアズマは二人で難しい顔で腕組みしている。
「思ったより南に出たわね。正規ルートを通って雪原の北側から仕掛けるつもりだったのに」
「ここからだと斜めに突っ切ることになるな。どうする、一旦北上して雪原を抜け、道を探してみるか」
「……この晴天がいつまで続くか分からない。どうせここまでも強行突破してきたんだもの」
はっ、とアズマが頬を歪めて笑った。
「なら、一か八かだな」
「でも、無理はしない。ダメそうなら撤退して次のチャンスを待ちましょう」
話はまとまったようだ。
もう今日は休みましょうと言い掛けた時、視界の端でふっとイチセの身体がぶれたような気がした。
ボクが、あ、と声を上げるのとほとんど同時、シノ様とアズマも、あ、と口をそろえて言うのが聞こえた。
そして次の瞬間には、視界からイチセの姿がかき消えていた。
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