第52話 再出発


~前回までのあらすじ~

 峠越えのリミットが迫る中、シノ様の体調は回復しない。

 出発予定日の朝、シノ様はイチセと二人で戻ることを宣言する。ボクはゴドーさんたちと一緒にフミルへ入国するように、との言いつけだ。

 でも、そんなの絶対にダメだ。ボクは、シノ様と一緒にいなきゃ!


 ***


 シノ様はボクに、ゴドーさんたちに付いていくようにとは、それ以上には言いつけなかった。


 でも、ボクに対する態度は硬い。


 考えてみれば、こんなに真正面から反抗したのは初めてだった。

 シノ様は、きっと怒っているに違いない。


 ゴドーさんとセリナさんは手早く荷物をまとめた。

 食料は分配され、ロバは二人に譲られることに決まった。


 別れはあっさりしたものだった。


「壮健でな」


 ゴドーさんは言葉少なにそれだけ言ってくびすを返し、セリナさんは、ボクに小さな帯飾りをくれた。


「町に着いたらフミルの美味しいものを紹介しようと思ってたのに……。残念です」

「いえ……。きっとまた会えます。その時の楽しみにとっときますね」


 ボクが言うのを聞いて、セリナさんはふっと優しく微笑んだ。


「わたしたちは、旅をしていることも多いですが、拠点は王都にありますからね。よろしければ訪ねてください。セキレイ亭という食堂の主人に聞けばすぐですから」

「王都の、セキレイ亭ですね」


 セリナさんはさらりとボクの頭を撫でると、外套の裾をひるがえしてごつごつとした石の転がる道をゆっくりと遠ざかっていった。


 ボクは手の中にあるセリナさんにもらった帯飾りを眺めた。

 べっこう色の透き通った棒の先に釣鐘状の花をかたどった飾りがぶら下がり、賑やかすようにつけられた銀色の板の飾りがちらちらと揺れていた。


 ボクは帯飾りを軽く握りしめ、着物の帯に慎重に差した。


 ゴドーさんにも、セリナさんにも、世話になった。


 二人がいなければボクはシノ様と再会することができなかったかもしれない。再会できても、アズマはシノ様とケンカしてさっさと一人でどこかへ行ってしまっていたかもしれない。

 ここまでこんなにスムーズに旅をして来ることはできなかっただろう。


 旅の最中にもゴドーさんは大人の対応でシノ様のことを支えてくれていたし、セリナさんは時々ふざけた調子で笑ったりちょっかいをかけてきたりして、歩き疲れて黙りがちだった一行の雰囲気を明るくしてくれていた。


 ここまで一緒にやって来たのに、最後の最後でこうして別れることになるなんて本当に残念だ。


 でも道は繋がっている。

 シノ様の目的地も王都の近くなのだし、またいつか会いに行こう。


「一人増えたと思ったら二人減って四人か」


 そう言ったアズマも、少しだけ寂しそうな調子だった。

 アズマはゴドーさんに懐いていたしね。


「アズマは本当に行かなくて良かったの?」

「まあ、俺の今の雇い主はシノだからな。お前のことも心配だし、もうしばらくついていてやるよ」


 アズマはのんびりと言いながら小屋の中に戻って行った。

 あれで案外、真面目で義理堅いんだ。


 シノ様とイチセは小屋の中で別れを済ませていた。

 一人になったボクは二人の背中が遠くに離れて行くまで見送って、それから小屋の中に戻った。




「二人はもう行った?」


 小屋に戻ると、イチセが鋭い口調でボクに尋ねた。敵意すら感じさせるような声音だった。

 その声に、別れの名残を惜しんでいたボクは少しカチンときた。


「あのさ。あの二人は、君よりもずっと長くボクたちの旅の仲間だったんだ。イチセは気に入らないのかもしれないけど、邪魔者みたいに言うのは止めてほしいな」


「いいから答えてよ」


 いらいらと言ったイチセにボクが言い返そうとするよりも早く、アズマが小屋の外に身体をずらした。


「まあ、しばらく離れたな。まだ背中は見えてるが。もう谷を降りて登りかけてるところだ」

「……そう。ありがとう」

 アズマの言葉に答えたのはシノ様だった。


 シノ様はぐっと力を込めて上体を起こすと、符を一枚取り出して囲炉裏の火にかざした。

 一昨日の夜グルンさんにしたのと同じ手順を踏んでいく。


 ボクはその様子を眺めながら、次第に身体の中にぐるぐると怒りの感情が廻るのを感じていた。

 シノ様がイチセにだけ話していて、ボクに何も言っていないことが何かあるのだと悟ったからだ。


 傍らを見れば、アズマも怪訝な表情でシノ様が符水を飲む様子を眺めている。


 あ、良かった。何も知らされていないのはボクだけじゃなかったみたい。


 って、いやいや。騙されるな。ボクに言ってイチセに言わないのなら分かるけど、その逆はあり得ないだろう!


「アズマさんとイヅルさんは出立の用意を。お姉ちゃんが動けるようになったら出かけます。事情は道々で」


「ふーん……。分かったよ」

 アズマも流石に不満そうな顔をしてはいたが、小屋の隅にまとめてあった荷物をまとめにかかった。


 ボクは……。


「おい、イヅル。何してんだ。手伝えよ」


 言われて、ボクはアズマの隣にしゃがみこんだ。

 そしてこそっと話しかける。


「ねえ、アズマ」

「なんだよ」


「アズマは、あんなふうに隠し事されて腹が立たないの?」

「まあ、何も思わないわけじゃないさ。だが……」


「だが?」

「まあ、俺が信用されないのは仕方ないとも思ってる。それに、あいつがお前に悪いようにはしないだろうともな」


 ボクは思わずアズマの顔を見上げた。


 えっ、なに、アズマ。

 もしかして慰めてくれてる?


 ちょっと、アズマの顔が光輝いて見えた。

 あれ、お前ってよく見ればそんなにブサイクでもないよな……。


 って、ダメだ、ダメだ!


 思い出せ。

 シノ様が何を考えてるのかなんてちっとも分かんないけど、ゴドーさんたちと一緒に行けって、ボクは厄介払いされかけたんだぞ!


「何が、悪いようにはしない、だよ。

 ボクが、はい、分かりました、ってゴドーさんたちについて行くことにしてたら、シノ様はイチセと二人でラブデートだよ。適当にいい感じの理由つけて結局、ボクのことが邪魔だったんじゃないか。

 はい、はい、そうですか。ボクのことなんてもう必要ありませんか。

 今まで耳に優しい言葉ばっかり囁いていたから、今になって不用品扱いして泣かれるのも面倒で、体よくゴドーさんたちに預けて追っ払おうとしたんでしょう。

 でも、そりゃあそうでしょうね。シノ様の立場ならボクだってそうするよ。

 ボクみたいな奴隷より、イチセみたいな可愛い妹と二人きりでいた方が楽しいでしょうとも!」


「イヅル、ちょっと来なさい」

 シノ様がボクの名前を呼んだ。


 どうやら聞こえていたらしい。まあ、聞こえるように言ったんだけども。


 ボクは不貞腐れた表情のまま振り返って見て、驚きに小さく息を呑んだ。


 シノ様の顔色が劇的に良くなっていたからだ。

 その声にも、大儀そうに身体を動かす仕草にもまだ病の影は見えていたけれど、ぴんと背筋を伸ばして座る様子には、誰かに支えられないと身体を起こせなかったシノ様の姿はない。


「シノ様、治ったんですか!」

 ボクはさっきまでの胸のもやもやも全部吹き飛んで、笑顔満面に駆け寄った。


 っていうか、なんで急に元気に?

 でもまあいいや!


 シノ様はちょっと苦笑いをして、すぐ脇に膝を突いたボクの手に指先を少し重ねた。


「別に、あなたを厄介払いしようなんて思ったことは一度もないわ。心配させちゃって申し訳ないとも思ってる。

 今回は、ちょっと事情があって黙ってただけ。だってあなた、演技とかできなさそうなんだもの」


「えっ、あ、あの。ごめんなさい。ちょっと気が大きくなっちゃってたみたいですね……」


「でも俺のことは、厄介払いする気だったんだろう?」


 身体を小さくしたボクの背後からアズマが笑み交じりに言った。

 シノ様はふんと頷く。


「当然。あんたがいるとイヅルに悪影響があるもの」

「そうかよ。うまくいかなくて残念だ」


 会話を遮ってイチセがぱんぱんと手を叩く。


「話なら歩きながらでもできますよ。今は出立の準備を進めましょう」


 何でお前が仕切ろうとしてんだよ。ボクはシノ様が元気になったことを喜んではいるけど、お前が一人訳知り顔なことにはまだ納得していないからな!


「で、これからどうするんだ」

 アズマの言葉にシノ様が頷いた。


「行き先変更です。わたしたちはここから西へ谷を越え、マーディーシャの雪原を経てフミルを目指します」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る