第45話 馬子にも衣裳
~前回までのあらすじ~
河を渡り、天外山脈に連なる山々の領域へ足を踏み入れたボクらは、赤峰サイラスへ繋がる谷間へと足を踏み入れた。
***
谷に入って三日が過ぎた。
黄土色の大地に背の低い灌木が茂る景色は変わらず、毎日変わり映えのしない日々だ。
朝起きて簡素な食事を摂り、荷物をまとめて出発。適度に休憩を取りながら夕方まで歩き、荷ほどきをして野営を作り、朝より一品増えた食事をして眠りにつく。
不寝番はみんなで順番に担当する。
北極星の近くを回る星座のヤギの角の向く先で、一晩を四つに分けた。だいたい三日に一日は一晩中眠ることができる計算だ。
イチセが加わったことで少し負担が減った。
イチセは、これまで夜の間は呑気に眠って旅をしていたらしい。
なにかあればリタが教えてくれますから大丈夫ですよ、とか言っていたけれど、これまで何もなかったのは幸運なことなのだろう。
いくらイチセが優れた呪術師でも、不意を突かれればひとたまりもない。
そう思っていたが、どうやらイチセは眠りながらでも周囲を警戒することができるようだ。
親に捨てられ、町をさまよっている内に獲得した能力なのだろう。
ボクが不寝番をしている間にも、身じろぎくらいなら平気なのだけれど、どこかへ移動しようとしたりするとすぐに目を覚まし、またすぐに寝入った。
頼もしいけれど、ちょっと心配になる。
ちゃんとよく寝てくれ。育ち盛りなんだから、寝てないと大きくなれないよ。
って、その心配は無用か。既に歳の割に立派なものをつけていらっしゃりますものね。
谷に入ってから、時々ヒツジやヤクの群れを追う遊牧の民の姿を見た。
彼らは長い枝のようなものをひゅんひゅんと振り回しながら家畜に草を食べさせ、家畜を追い立てる。
彼らは遠くからでもボクらの姿に気が付いて、ゆっくりと離れて行ったから接触することはほとんどなかった。
どうやらボクらのことを怪しんでいるらしい。
滅多に旅人の通らない場所を通る槍を担いだ黒装束の男を含めた六人組。
まあ、怪しいだろうね。
ただ、関わり合いにならないことはこちらとしても好都合だ。
相手がどんな人間なのか分からないし、今のところ食糧は少し切り詰めるにしても山越え分はあるはずだ。
相手が盗賊に豹変するリスクを負って接触する意味は薄い。
遊牧民のテントもいくつか見たが、余計な騒ぎを起こさないためにあえて遠回りして通り過ぎたりもした。
時々峠に建てられている石塔は、どうやら彼らの作り上げたものらしい。
石を積み上げ、山に旅の安全を祈るのだ。
「これらの石塔は、山に結界を張り、悪いものが山から抜け出してこないように、という意味もあるの」
見晴らしのいい場所にある石塔の脇に来た時、シノ様が言った。
「ほら、向こうの峰と、あっちにも、似たようなものがあるでしょう。あれらと結んで描かれた三角形の中は、結界で守られた場所ってわけね。向こうに見えるテントも、その内側に建てられてるでしょう。
こういう術は今の呪術が確立する前からのもので、意味を失くしてしまったものもあるけれど、こういうたくさんの人が祈りという形で幾重にも念を込めてきたものは、今でもかなり強力に力を発揮してるはずよ」
その言葉を聞いてセリナさんが振り向いた。
「詳しいんですね」
「まあ。師匠に仕込まれましたから」
そしてシノ様はイチセにちらと視線を向けた。
「イチセのことは一点特化で鍛えたみたいだけど、わたしはまんべんなく、全部を教えてもらったんです。
多分、手に職をつけさせてくれようとしたんでしょう。一人でも生きて行けるように、と」
シノ様は少し寂しそうに眉をしかめる。
今じゃボクがいるじゃないですか、と思いを込めて袖口を握ったら、ありがと、と頭を撫でてくれた。
う~ん、子ども扱い……。
「全部ですか、それも古い呪術の知識まで。かなり広い見識をお持ちの方なんですね」
セリナさんが言うと、シノ様は気を取り直して胸を張った。
「ええ。師匠は五大精霊の術はもちろん、今では忘れられた古い呪術に至るまで、あらゆる術に通じていますから。
むしろ、師匠は戦闘ではあまり精霊の力を借りる術は使いませんでしたね。相手を倒すだけなら、火をおこしてぶつけるより直接破壊した方が早いって。何が起こっているかも分からない内に、野盗の腕がひしゃげるのを見たことがあります。
力を直接ぶつけるだけ、らしいんだけど、わたしには向いてないって、教えてはもらえなかったんですよね」
セリナさんは、へえ、と首を傾げた。
どうしてそんなことができるのか、想像もつかない様子だ。
セリナさんは、ミドウさんの話題が出るといつも表情の裏にどうしてか深刻そうな気配が見え隠れして、ボクは少し気になっている。
シノ様の師匠が伝説の人と同一人物だとして、なにか都合が悪いことでもあるのだろうか。
「当然です、お父さんはすごいんですから!」
ボクの思案をぶった切ってイチセが胸を張った。
イチセはできるの?と訊いてみたら、首を横に振る。
「わたしは金の術以外さっぱりです」
なるほど、いさぎよい。
そんな話をしている内に尾根を一つ越えた。
登って降りてを繰り返すうちに、次第に標高が上がっていくのが分かる。
陽のある内は日光が降り注いで暑いくらいなのだけど、日が暮れると気温は一気に下がる。
石塔の結界の恩恵の範囲内であれば、火を起こしてもそうそう妖魔に襲われることはない、と思いたいが、旅人を狙う賊を呼び寄せることもあるし、燃料も貴重だ。
なるべく身を寄せ合って暖をとっている。
しかしボクは、以前と比べて断然温かな夜を過ごすことができている。
なぜかと言えば、シノ様がオックの町で新しい防寒着を一式買ってくれたからだ。
今のボクは、暖かな下着の上に今までの服をまとって、内側にフェルトの張られた黒い色のズボンと羊毛の靴下をはき、その上から焦げ茶色をした足元まで覆う外套を着こんでいる。毛皮を内張りしてあってとても暖かい!
シノ様も同じデザインの白めの灰色のものを着ているから……、へへ、おそろいですね。
「ありがとうございます、シノ様。こんなに立派なものを……」
大事にしますね、と頭を下げたら、シノ様は照れた表情で褒めてくれた。
「似合ってるよ、イヅル。すっごく素敵。でも高かったんだから、しばらくは血まみれになんてしないでね。一応、目立たなさそうな色にしておいたけど」
茶色は血まみれになることを見越した選択だったらしい。
「いっ、嫌なこと言わないでくださいよ。そんな予定ありませんし!」
「あ、ごめん。でも、イヅルって服、変えたがらないし、その色なら汚れても目立たないから長く着られるね」
ちなみにアズマも、別のデザインだったけれど、服や防寒具を一式そろえてもらっていた。
「あんたのために買ったんじゃないからね。あくまでイヅルのついでだから」
「ああ、分かってるよ。ありがたく着させてもらう」
アズマはいそいそと新しい服に身を包んだ。どうやらシノ様の憎まれ口も気にならないくらいに嬉しかったらしい。
意外だな、着られりゃなんでもいい、とか言いそうなものなのに。まあ、おなか出てたからね。
「馬子にも衣装ってやつね!」
シノ様が服のしわを伸ばしてやって、出来栄えに満足げに頷くと、うるせーよ、とアズマは照れくさそうに言った。
そこには深い青い色の外套に身を包んだ精悍な青年の姿があった。
なるほど、身綺麗にしていればアズマだっていっぱしにはなるらしいね。
ゴドーさんもシノ様の隣で、同じように満足げにしていた。
「なんだアズマ、男ぶりが上がったんじゃないか?」
「……そうか?まあ、他ならねぇあんたの言葉だ、ありがたく真に受けておくよ」
アズマはなんだかんだと言いながらゴドーさんに懐いている。
最後にアズマはボクに視線を向けた。
「お前も、なかなかだな」
「えっ……、ありがと」
びっくりした。
アズマがそんなことを言うなんて。
でもボクはすぐに相好を崩した。アズマがわざわざらしくもないことを言った意味が分かったからだ。
「で、お前は俺に何か言うことはねーのかよ?」
ほめろ、ということらしい。
「アズマも、まあまあカッコいいよ」
ボクが吹き出し交じりに言うと、なんだよ、まあまあって、と言いつつもアズマは嬉しそうにしていた。
こいつにも意外と可愛いところがあるじゃないか。
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