第46話 ひとやすみ


~前回までのあらすじ~

 サイラス山へ向かい、ベング谷を行くボクらはどんどん高度を上げていく。道はこれまでに比べて格段に厳しくなった。

 フツーに辛いっす……。


 ***


 谷に入って七日も過ぎると、一行にどんより澱んだ空気が流れ始めていた。


 長旅の疲れが出ているのだろう、口数はぐんと少なくなり、ただ急な坂を上る靴音と、時折小石が下り落ちていく音、各々のくたびれた呼吸の音が響いている。


 特にシノ様が辛そうにしているのが心配で、ボクは何度も気を遣って声をかけたのだけれど、鬱陶しそうに手を振って追い払われるだけだった。

 シノ様はたぶん、あんまりボクには頼りたくないみたいだ。


 そんなある日、急登を登り切った先で石積みの小屋があるのが見えた。

 それを見つけるとイチセがあからさまにほっとした顔をした。

 

「今日のところはあそこで休みませんか。来がけにも、あの小屋で休ませてもらったんです。中は暗いですが、囲炉裏もあってそんなに荒れてもいません」


「あれは……、遊牧民が使う仮小屋だな。見たとこ誰もいないし、いいんじゃないか?」

 アズマの後押しもあって、その日は陽が傾く前に休憩することになった。


 ついでに二、三日休んでいきたい気もしているけれど、そういう話にならないかなぁ。


 小屋は六人で入っても広々と使える程度に広かった。

 建物の高さは低いのだけど、中に入ると地面が掘り下げてあって、アズマが立ち上がって頭を擦らない程度の高さはあった。


 ほとんど光は差し込まないが、南側に開けられた窓の覆いを外せば、ぼんやりと殺風景な小屋の様子が浮かび上がってくる。


 裏手に回ると、どうして小屋がこの場所に建てられているかの理由も分かった。


 ちょろちょろと心許ない量だが、小さな川が山を伝って流れているのだ。

 その水は細長いレンガ造りの枠に流れ込んで再び地面にこぼれ、道を横切って谷の底へ向かっている。


 小屋の奥の一角に天幕に使う布が敷かれ、囲炉裏には火がおこされた。

 鍋に火をかけるとじきに水が沸騰する音が小屋の中に響きだす。そこに茶葉のかけらを放り込み、ぐらぐらとしばらく煮詰めて、水に焦がしたような茶色が染みてきたら塩とバターを入れてもうひと煮立ち。


 次第に茶のいい香りが立ち込めて、薄暗い小屋の中の空気が少しばかり明るくなった。


「どうぞ、シノ様」

「ありがとう」


 シノ様は湯気の上に一度顔をかぶせて一つ深く息を吸い込んで、それから慎重に何度も息を吹きかける。


 その間にも、アズマやゴドーさんたちは一口茶を飲んでほっと息を吐いていた。

 旅の疲れに凝り固まったような空気がふっと緩む。


「大分、登って来た感じがしますね」


 セリナさんがマントを外して身軽になった格好で身体を伸ばしながら言った。

 イチセが頷く。


「そうですね。ここまで来れば、道のりももうあと半ばもない、といったところでしょうか。

 ここからどんどん険しくなっていきますし、あまり急ぐと山惑いもあります。数日ここで休んでいく、というのはどうでしょう」


 素晴らしい提案だ!

 イチセもたまにはいいことを言う。


「そうですね。わたしたちも、山越えには難儀しました」

「ああ、山惑いか、二度と御免だな」


 ゴドーさんが頭を抱え、セリナさんがそれを見てくすくすと笑っている。


「なんですか、その山惑いって」

 尋ねると、セリナさんが答えてくれた。


「天外山脈の奥にはそういう妖魔が潜んでいるらしいんですよ。自分たちの領域に近寄らせないために、来た人たちを呪うんですって。

 呪われると頭が割れるように痛み、他にもいろいろと体調が悪くなって、酷くなると錯乱して死んでしまうらしいです」


「へえ、怖い妖魔がいるんですね」

 そんな話、お父さんは教えてくれなかった。そもそも登るなという教えだったから言わなかっただけかもしれない。


「ええ、前の山越えの時にはゴドーが呪いをかけられて、一度退散する羽目になったんですよ」


「ああ、酷い目に遭った。実体がある妖魔ならいくらでも切り伏せてやるが、遠くから呪われるとなると手に負えんな」


「わたしは、天外山脈の霊力が人の侵入を嫌って呪っているんだと聞きましたよ」

 イチセが口を開いた。


「だからすぐには登らずに、麓で時間をかけて天外の山々に受け入れてもらうことで、初めて山を越えられるのだそうです。

 ゴドーさん、さては山に許しを請わず、さっさと山を越えようとしたんでしょう」


「セリナと同じくらいの時間、祈りをささげたつもりではあったんだがな」

 イチセににやりと笑われて、ゴドーさんが苦笑いしている。


「呪いをかけられるにも順番があると聞きますし、セリナさんは、もしかしたら呪術師だったから少しは山の呪いに耐性があったのかもしれませんね」


「熱っ」

 シノ様の声が小さく響いた。ようやくお茶に口をつけたらしい。まだ熱かったみたいだけど。


 その後誰の反対もなく、三日間の休息が決定した。

 山惑いだかなんだか知らないが、しばらく休めるのならありがたい。




 早めの食事を摂った後、シノ様はまだ日も落ちない内から眠ってしまった。


「いつもは凛々しいのに、眠っている時はあどけないんですね」


 セリナさんがシノ様の前髪をさらりと掻き上げて笑った。

 ゴドーさんが少し心配げに頷く。


「ずっと気を張っているだろう、疲れているんだろう。体調を崩さなければいいんだが……」


「あら、ゴドー。それはあなたもですよ。もう若くはないんですから無理はしないでください。もうあなたに肩を貸して潰されそうになりながら山道を下るのは御免ですから」


「……それはそうだな」

 ゴドーさんが低い声で静かに笑った。


 ボクはシノ様のすぐ隣に陣取って寝転んだ。

 シノ様の細い肩が静かに上下するのが見えている。向けられた背中が少し寂しい。


 以前のシノ様は、いつもボクのことを抱き枕代わりにして眠っていた。

 けれど最近では、こうして隣に眠っていても抱き着いてくることがなくなった。

 不用意に触れて来なくなったというか。

 少なくとも、イチセが来てからは一度もない。


 イチセに見栄を張っている、というのもあるとは思うんだけど、考えてみればボクがガラウイ山でシノ様にキスをして、それから減っていった気がする。イチセのことはきっかけに過ぎないのだろう。


 嫌……、だったかな。


 ボクはふと人差し指で自分の唇に触れてみる。

 シノ様の感触なんて当然そこには残っていなくて、嫌がられるんだったらもっと意識のはっきりした時にして、しっかり味わいたかったなぁ、とか不埒なことを考えている。


 そんな呑気な考えをもてあそんでいられるのは、嫌だったのかも、なんて真面目には思っていないからだ。

 だって気持ち悪くて仕方ないくらい嫌だったら、シノ様はゴドーさんの陰に隠れて睨みつけるのじゃなくて、もっとはっきり拒絶していたと思うんだよね。


 でも……、あれ。殴られたし、あれって拒絶か。実はすごく嫌だったりしたのかなぁ……。


 ともあれ、最近ちょっと、シノ様との間に距離を感じている。

 シノ様はボクのことを代わらずに大切に思ってくれていると思うのだけど、心も身体も、ナンキの町で同じベッドにもぐりこんでいたあの頃より遠いように感じている。


 ボクはさっきから、シノ様の背中におでこをひっつけようかどうしようか迷っている。

 昔のボクならたぶん、なんにも考えずにくっついてシノ様を起こしてしまったかもしれない。


 でも今のボクにはどうしてか、それができない。


 今までボクはシノ様のボクへの接し方が変わったと思っていた。

 けれどもしかしたら、ボクのシノ様への気持ちの方が変わっていたのかもしれない。


 でも、変わってなんてなるものか。


 ボクは寝ぼけたふりをしてシノ様の背中にすがりついた。

 シノ様は呼吸を乱すこともなく眠ったままで、ボクはそのことに少し落胆したような、安堵したような気がした。


 ともあれ、シノ様がよく眠れているようなのは良いことだ。

 慣れない山歩きに加えて、盗賊は、どうやらもはや追ってきそうもないけれど、アマミヤ家のことや、ミドウさんのことや、ボクの夢のことで、シノ様はみんなが思っている以上に頭を悩ませている。


 せっかくお休みしようということになったのだから、いっそ頭を空にしてゆっくり過ごしてほしい。



 そんな風に期待していたのだけれど、翌日の昼間になると、外で昼寝をしていたアズマが小屋に入って来て、客だぜ、と外を指さした。


 ボクは眠りこけるシノ様の隣からそっと立ち上がって尋ねた。


「敵?」

「敵かは知らん」


 なににせよ、だらけてばかりもいられないようだ。

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